『伊豆の踊り子』(1963)

川端康成の名作「伊豆の踊子」を読んだのはいつのことだったろう? 小学生か中学生、かなり小さい頃に一度か二度読んだという記憶があるが、定かではない曖昧である。記憶の中に残る「伊豆の踊り子」読後の断片は「丸刈りの坊主頭のまだ幼さの残る高校生が学ラン、学生帽で伊豆を旅し、旅芸人の中にいた純粋な踊り子の少女に淡い恋心を抱く」というものだった。

●名作と呼ばれるこの映画が始まって直ぐ、学生さんである高橋英樹(1944)が自分のイメージする伊豆の踊子にでてくる高校生とはあまりにイメージがかけ離れていて違和感を覚えた。今時折テレビで見る高橋英樹木はもう60歳後半。もう高年となった高橋英樹の顔つきともイメージが重なってしまい、とてもまだ幼さの残る高校生には見えなかった。これは人気俳優を無理やりキャスティングした難点が出ているのではないかと思ったのだが、映画を観たあとに気になってしらべてみて恥ずかしながら気がついたが、この当時の高校生とは旧制高校の学生を示し、今の大学1,2年に該当するものだという。なるほど、それならば高橋英樹の実年齢と役柄の年齢は符合する。 それにしても高橋英樹の顔は20歳の頃も60を過ぎた今も余り変わっていない。だから20歳の学生と言われても違和感があるのだが・・・まあこれは仕方なしか。

●監督西河克己が取り入れた、映画の冒頭とラストに挿入される現在のシーンをモノクロで映し、作品のメインとなる部分を過去の回想としてカラーで映すというある意味逆転的発想の手法。なるほど、これは映画監督の演出術として発想としてもとても特徴的だ。この作品から36年も経過してチャン・イーモゥが若くあどけないチャン・ツィー・イーを起用した秀作『初恋のきた道』(1999)で同じ手法を取っているというのも興味深い。

吉永小百合は純真で無邪気な踊り子の役柄に見事にはまっている吉永小百合も1945年生まれであるから、この映画の撮影当時は18歳くらいか? 学生を演じた高橋英樹と年齢の差もないのだが、妙にあどけなく幼いまだ中学生くらいのの少女のように感じる。吉永小百合もテレビや映画で60後半を迎えたおばさんになっている姿を見ているわけだが、何故か高橋英樹と違ってこの「伊豆の踊り子」の薫役に今の高齢の吉永小百合のイメージは重ならない。この映画の中の吉永小百合は本当に幼く可愛らしい踊り子の少女の姿である。

●2010年の今、この『伊豆の踊り子』が撮影された当時からほぼ半世紀近く経過している今、改めてこの映画を観ると、昔の日本の風俗、考え方に興味深く、驚く点が散見される。なによりも驚くのはごく普通の人の中にある差別、階級的な意識だ。突然の雨に降られて街道の茶屋に逃げ込む学生、そこには流れ芸者たちも雨宿りをしている。雨に濡れた学生を見ると店の主である老婆は「温かいところへどうぞ」と学生を自分たちの居間へ上げ流れの芸者たちを「あんな連中」と蔑む。たかが50年前、いやそれは半世紀という遠い昔なのかもしれないが、いわゆる学生は金持ちであり、特権階級的な身分であったのだろう、それに反して流しの芸者というのは金のない卑しい身分と見なされていたのだろう。同じようなシーンはその後も度々出てくる。宿の泊まるのも、温泉に入るのも学生と流しの芸者では別。流しの芸者も自分たちはそんな身分ではないと学生と同じ敷居を跨ぐことを憚る。宿の女中や主も流しの芸者連中が学生の部屋に入ってくること、つまり自分の旅籠に出入することに眉をひそめる。たった50年前、いやそれは50年も大昔なのかもしれないが、日本のなかで日常的にこのようにあからさまな階級差別的意識が根づいていたのかと思うと驚く。今からすれば考えられないことだ。いや、都会にいるから感じないのかもしれないが、田舎にいけばまだこういった考えは古い村や町、人の中にしっかりと今でも残っているのかもしれない。

●この映画は若き日の吉永小百合主演作ということで有名ではあるが、登場人物の中では見事なまでに人間の寂しさや悲しさを醸し出している大坂志郎(栄吉(踊り子の兄)の演技が素晴らしい。「新劇の俳優を目指していたんですがこんなふうに落ちぶれちまって」と学生に語りかける姿、温泉宿の座敷でひょっとこ姿で踊る姿、伊豆の山道を学生と語りあいながら歩くすがた。「本当は私もそんなふうになりたかった、学生さんが羨ましい」そんな心のなかの気持ちを押し隠しながらも、学生の姿にあこがれ好いて共に旅路を歩む姿。大坂志郎はある意味この映画の中では踊り子である薫以上の存在であり、隠れた主役となっている。たまに見る大坂志郎の姿はほとんど脇役かチョイ役なのだが、この映画のなかでこれだけ存在感のある立派な演技をしているところをみて、実力がありながらも表舞台に出ることの出来なかったであろう人生が、映画の中の永吉の人生と重なりあって見えてしまう。

●子供の頃に読んだ小説『伊豆の踊子』の記憶と今回観た映画の中身がずいぶんと違うので改めて小説を読み直してみた。古き日本の文豪の作品を読むということもまったくもって久しぶりである。改めて小説と比べてみると映画は小説を正確になぞらえているのではなく、基本線は踏襲しているが、思った以上に大胆に演出を変えているのだということがわかる。なによりも違うのは小説では学生が伊豆の旅に出たのは自己の孤独に悩み苦しんでいたからとなっている。しかし映画ではこの部分はさっぱりと切り落とされ、伊豆を一人旅する学生は特に理由もなく、旅をしたくなったから伊豆にきたという天真爛漫な明るい学生として描かれている。

南田洋子や十朱幸代が演じていた湯ヶ野温泉の酌婦(売春婦)のストーリーも映画独自のものだ。病に犯され寝たきりになった状態でありながら、男どもが体を買いに来るという挿話にしても金をもった客と持たざる娼婦、そしてその娼婦は病に犯され若くして死んでいくという格差、差別、その悲しさを際立たせるために取り入れられたものであろう。

●監督西河克己は原作小説から若い男女の淡き恋心という部分だけに焦点を当て映画化はしなかった。踊り子と学生の恋心と同等の比重でこの時代に蔓延っていた人間の差別意識階級意識、それが引き起こす不平等、格差といったものを映画の中に取り入れ描いている。「物乞い、旅芸人は村に入るべからず」という看板が村の入り口に掲げてあるシーンなど、ズキっと胸に刃物を突き刺されるようなきつさだ。

伊豆の踊り子という作品を観ようと思ったとき、この作品は若い男女の淡い恋心、青春の切なさを描いたそれこそ"青春恋愛映画"だと思っていた。しかし2010年の春、この映画を観てまさかこんなきつい話が含まれている作品だとは思いもしなかった。正直「こんな映画だったのか」と非常に驚いた。

●若い男女の淡く純粋な恋心を、その時代の人気の女優を起用して映画化してきたものが一連の『伊豆の踊り子』の映画化なのであろうと思っていたが、この映画には淡い恋心以上に、差別や格差といった冷たく殺伐とした人間社会の歪み、悪しき部分に対する視点が強く存在している。川端康成の原作小説は文庫本にして45ページほどの短編である。原作小説の中でももちろん旅芸人と学生という身分の違いや差別、旅芸人を卑下する人々のことなどが描かれているが、映画ではその度合いが小説よりはるかに強い。

●監督西河克己はこの余りにも有名な『伊豆の踊り子』という作品の映画化において、単なる恋愛物の映画ではなく、当時の社会や人間の心のなかに植え付けられた悪しき感情、意識に目を向け、それを風刺した。小説が書かれ、映画が撮影された当時から半世紀以上の年月を隔てた2010年の今観たからこそその部分が非常に際立って感じられたのかもしれないが、思った以上にこの『伊豆の踊り子』は社会性のある映画であり、人間の心の中に潜む悪しき部分をあぶり出しているような映画だ。本当にあまりに予想外の内容に驚いたとしか言い様がない。


○前述した、映画の冒頭と最後にモノクロで加えられている宇野重吉とその生徒の挿話は、映像演出としてはよく考えられてはいるが、通しでこの映画を観ると蛇足ではないかと感じる。あえて時を経た現在の年老いた学生、川崎の姿を持ってきたことによって却って仄かな恋心を通わせた無色で純粋な川崎と薫の姿に霞んだ汚れが掛かってしまった。特にラストで吉永小百合が踊り子の衣装からブラウス、スカートという普通の女性の衣装で現れ、恋人とわざとらしいはしゃぎ方をする姿は、下田で涙を流して川崎を見送った純真な踊り子場面の余韻や味わいを台無しにしてしまっている。
○映画の中で映し出される河津、湯ヶ野の温泉街や、大滝、伊豆から下田の風景や雰囲気は今とあまり変わっていない。あの辺りを歩いた記憶がよみがえってきて懐かしさを感じた。
伊豆の踊り子はこれまで何度も映画化されているが、西川克己監督が10年後に山口百恵三浦友和で再度撮影した『伊豆の踊り子』も観てみたいと思う。10年を経て撮影された『伊豆の踊り子』におなじく差別や格差、社会、人間への風刺の視点は折り込まれているのだろうか? それとも単なるアイドル映画的になっているのだろうか?

◆過去に映画化された『伊豆の踊り子

☆『恋の花咲く 伊豆の踊子 』(1933) 監督:五所平之助、 田中絹代、 大日方伝

☆『伊豆の踊子』(1954) 監督:野村芳太郎、 美空ひばり 、石浜朗

☆『伊豆の踊子』(1960) 監督: 川頭義郎、 鰐淵晴子。 津川雅彦

☆『伊豆の踊子』(1963) 監督: 西河克己吉永小百合、 高橋英樹大坂志郎

☆『伊豆の踊子』(1967) 監督: 恩地日出夫、 内藤洋子 、黒沢年男

☆『伊豆の踊子』(1974) 監督:西河克己山口百恵三浦友和