『ヒポクラテスたち』(1980)

監督、脚本:大森 一樹

●1980年代、邦画がそれまでにない新たな映画への取り組みを開始し、技術だ、経験だというものではなく、若手の勢いで古い映画業界をひっくり返すような映画を作っていこうとしていた、邦画が猪突猛進的な勢いを一つの流れとして生み出していた時期、その時代に生み出された様々な作品の内で、代表的な作品の一つ・・・と言われている。名作だ傑作だというのではなく、その時代の空気をしっかりと写し取った作品、そういう意味での代表作ということだ。

●だが、いかにその時代の空気を如実に写し取っていたとしても、その時代の匂いをフィルムから漂わせていたとしても、後々まで語り継がれ見続けられる映画としての質を兼ね備えているものもあれば、ただ単に若さのたぎり、若さの勢いを焼き付けただけの作品もある。この映画は後者にあたるだろう。

●かねがね作品の名前だけは良く聞いていたて、いつか観てみようと思ってはいたのだが、ようやく今回初めて観ることとなった。

●大学生を扱った映画であっても医学部の学生を扱った作品というのは殆どない。医者の卵となる医学生が一体どういう考えをしていてどういう生活をしているのかというのは、なかなか伺い知ることの出来ない世界だったわけで、そういう意味でこの映画の舞台は特殊性もあり、興味を引く設定であっただあろう。

●だが、映し出される学生の姿はさして特殊性はない。この時代の、この年齢の他の大学生とやっていることも考えていることも殆ど同じ。

●学生の将来に対する不安や迷い。社会に対する疑問、不満はどんな学生でもほぼ同じだ。医学部という設定を取り去れば、よくある学生ドラマとさして代わり映えしない。

●映像には確かに若々しい勢いがある。ありきたりで下手糞で使い古されたようなカット、シーン、物語。今まで何度も観てきた手垢にまみれたシーンや演出を繋ぎあわせた、学生映画に毛が生えたような作品だ。話もほとんど面白くない。

●絞っただけで、ろ過するわけでも蒸留するわけでも、しばらく待って異物を沈殿させ澱を取るわけでもなく、ただ絞っただけの樹液のような作品。いや、勢いを繋いだだけで作品と呼べるものに辿り着いているかどうか。

●名作や傑作などとは言われないまでも、邦画の歴史の中でよく名前が出てくる作品である。それは若さの勢いと医学生という設定の物珍しさが組み合わさって生じた特殊性が注目されているのであり、作品としての質、完成度が注目されているのではない。

●なんだか昔の青春TVドラマに全くそっくりという感じの映画でもある。中村雅俊なんかが出ていた「俺たちの旅」とかそういったドラマがTVで受けていたから、似たようなものを映画で作ればヒットするだろうということで企画され「だったら若い勢いのある監督を使えばいいさ」ということで製作された映画なんじゃないかという気がしないでもない。

●勢いはあるがそれだけ。見終わった瞬間に「それで?」と問えば、それまでの映画全部が霧散して消える。そんな映画。今流の商業映画の先走りみたいな映画か。

伊藤蘭が24歳か25歳位の作品、伊藤蘭はやはり美形だが、なんだか中国人的な顔つきに見える。キャンディーズの中でも一番顔立ちのいい伊藤蘭をキャスティングしたのは、よくあるアイドル人気便乗キャスティング。その伊藤蘭に避妊の確率だ、窒外射精だと下ネタに近いものを語らせるというのも男のスケベ心と下半身を刺激して興味をひきつけ、話題作りをし映画に足を運ばせようとした、見え透いた手。

○これ見よがしにあちこちで出てくる映画のポスター。映画の中で映画の通ぶった役者がでてきてアレコレと映画お宅を刺激するような話をさせるという手も昔は良く使われていた。これも今から見るとわざとらしく、あざとく、観ていて欠伸が出てくる。

○最後に登場人物の顔写真を出して、一人々のその後を説明するというのも、まあもうホントに使い古されたラストであり結局は映像ではなく、言葉で説明して映像表現である映画を締め括っているそもそもの映画にあるまじき手法。そして木内みどり伊藤蘭)は自殺したなんて語るのも、最後の最後、ここで観客を驚かせてやろうという浅はかな魂胆が見え透いている。

○今はもう随分と歳をとった熟練役者の若い頃の演技は面白い。