『気球クラブ、その後』(2006)

●深夜1時とか2時とかにテレビで流れている安っぽいドラマといった感じだ。なんなんだろうこの作品は。これでも映画といえるのか?こんなのを作って公開できるなんてある意味うらやましいものだ。と最近同じような感想を観た後持つものばかりが続いているけれど。

●たしかに、こんな風にたいしてキレイでも無い大部屋みたいな所に集まってそんなに金もあるわけじゃないからみんなで鍋とかやって・・・というのはたぶん青春時代の一つの典型的な姿なのだろう。普通そういうのは部室だとか、合宿で泊まった民宿だとかで行われる。まあ少しは貧乏臭さもなくなった今の学生でもやっていることは似たり寄ったりであろう。この映画ではご都合よろしく一軒家を借りて部室のようにしているけれど。

●そういった誰もが経験しているような、目の中に思い浮かぶような青春時代の一ページは懐かしさも覚えるし、ああ、こんなこと確かにしてたよなぁという気持ちにもなるけれど・・・・それがあまりにも類型的だ。もうどこにでもあるようななんの工夫も創意もされていない、だらだらとした絵だ。

●誰かが部屋のふすまを開けて廊下からビデオカメラで撮影しているような宴会シーン。気球を上げるシーンにしても、なんにしても、そのまんま学生のクラブがみんなで宴会の時に見るようにビデオカメラで記録撮影しているかのような映像ばかりだ。

●まるで、映画っぽくない。これだったら、どこかの大学サークルで撮っていたビデオカメラの映像を借りてきて、それを軽く編集して繋いで音楽を被せればおんなじ映像になってしまうだろうというようなものである。

●ただ単に手持ちビデオで撮影した映像を切って繋いで好きな音楽を被せたもの・・・・そんなものは映画とは呼べない。映画としての工夫だとかそういったものが全然感じられない。これは正直映画!とは言えまい。

●この雰囲気に懐かしさを感じ、それだけで良いと思えた向きにはそれでよし。映画というものだと思って観たら・・・激しく「なんだこれは?」という作品。

●尺の短さに救われたが、こんなものを2時間も続けられたら途中から早送りでみただろう。

●監督の自己満足の世界の中だけで作られた単なるただ撮りのビデオ映像としか思えない。映画とは思えん。

永作博美川村ゆきえとキャストにだけはそこそこ予算を回しているという感じだろうか? それはキャストだけで引こうとした魂胆が見え透いている。


●DVDのジャケット裏には松任谷由実の「翳りゆく部屋」をモチーフにして云々ということが書いてあった。「へぇ、それはなんだか面白そうだな」と思ったのだが、監督が『自殺サークル』や『紀子の食卓』の園子温と見て「んー、これはだめだろうな」という思いが頭をよぎる。どうにも『自殺サークル』や『紀子の食卓』は嫌な作品、そしてその作品を作った監督というのもどうにも好きにはなれない。

●人間だから考え方、思考の傾向なんてものはそんなにバリエーションがあるわけではない。というかだいたいこういう感じの人だと思ったらそのままだ。意外だと思うことはあったとしても。園子温はああいったへんちくりんな気色の悪い作品を作っている監督なのだから自分の嗜好にはまるで合わない傾向をもった監督。ああゆう作品を作っている監督の作品はもう見る必要もあるまい。そう思っていたが、最近では「ちゃんと伝える」なんてまじめっぽい作品も作っているようだ。だが、それも雇われ監督として撮っているのだろう、自分の内面から出てきているもので撮っているのではあるまいと思っていた。そんなふうに思っている監督でありその監督の作品なのだが、松任谷由実の「翳りゆく部屋」をモチーフにした青春映画と聞いたらちょっとは興味をそそられる。「この監督の撮ったのでは多分ダメだろうな」とは思いつつも鑑賞してみたが、やはりだめだった。

●まんまと宣伝の策に嵌められたというわけだ。もう薹が立ったアーティストだとはいえ、やはり一時代を築いた松任谷由実、その名曲、それがひっかけ文句として書いてあるとなにか自分の中のイメージと重ねてしまう。何かを期待してしまう。しかしそこにあったものは青春映画ではなく浅春映画というようものだった。実際の曲も畠山美由紀がカバーしたものが使われている・・・・DVDジャケット裏の映画の説明はうそではないが、ごまかしに極めて近いずる汚さ。そう、hじゃけっともなにもかも青春のあまずっぱさや懐かしさを演出しているが、映画の内容もそういうった皮膚感を漂わせているが・・・・そこにあるのはウワツラだけの模倣であり、再現であり・・・そんなものに心をゆらされることもまるでない。

川村ゆきえは性悪女を見事に演じていた(地か?)見どころはそのくらいかも?

●とどのつまり、映画を見た評価なんて好き嫌いに立脚する。その映画が良いと思うも、悪いと思うも、それを分けるのは好き嫌いが源。

●やはりこれも嫌いな作品。