『ミスト』

●劇場公開時は周りから「必見だ」「衝撃のラストだ」「これほど後味の悪い映画はない」などと言われ、ちょっとは興味も湧いたのだが、どうにもホラー映画は好きではないし、他にも沢山映画観たい作品はあるのだから、ホラーはソフト化されてからでいいやという思いがあり劇場でホラーを観るというのは殆ど無い。大スクリーン、大音響の方が怖さが増すであろうけれど、映画に怖さを求めていないのだからそれも必要ではない。ホラーは時間の余ったときに気晴らしに観るくらいが丁度いい。この作品もソフト化されてから観て丁度いい程度のものだ。

●「得体の知れない怪物の恐怖に慄くより、一箇所に閉じ込められ身動きできなくなった人間の集団心理の描写が怖い。凄い」などと書いてある評があちこちにあるが、この手のパニックムービーでは人間側の分裂、いさかい、独善主義などが描かれることが非常に多い。その昔日曜洋画劇場などで放映していたB級、C級パニックムービーはまさにこのパターンばかりだった。巨大蛇やら蜘蛛やらアリゲーターなどに街が襲われるなんて映画はもう山ほど作られているしその中身も似通っている。この『ミスト』も昔のパニックムービーとなんら話の筋も演出の基本も変わりないと思うのだけれど、なぜにそんな類型的パターン化された演出に「これはすごい」なんて高い評価がされるのであろう? そういうことを書いている人は昔のパニック映画を全然観ていないか、忘れているか?

911以降、なにかににつけてアメリカの映画は911に結び付けられて語られることが多くなっていた。「クローバー・フィールド」まで911の影響だなんて言っていたら、パニックムービー、戦争映画は全部911に繋がってしまう。それほどまでに911のもたらした影響は大きかったことは確かなのだが、当事国でない日本とかの映画評論家なんていうのがあれもこれも911に結び付けて映画評を語っているのは「あなたおかしいんじゃないの?」と言いたくなる。自分も一時はそういう傾向があったと思うが、冷静に考えればなんでもかんでも911に結びつけるのはおかしいでしょうと気が付くのではないだろうか?

●この『ミスト』までをもアメリカの今の不安だ、911以降のアメリカ社会をあらわしているだとか言っているのをみると、またかよ、とため息が出てくる。

●映画は社会を映す鏡でもあるわけだが、なんでもかんでも一つの事件に結び付けているのは、製作した監督や脚本家などではなく、観る側なんじゃないのだろうか? それも最近は行き過ぎだと思えている。

●この映画、パニックムービーとしては特に目立ったところもなく、今まで作られた多くのパニックムービーと流れは同じ。ダラボンが監督したからってこういう映画は落ち着くところにしか落ち着かないのだ。よくあるタイプの映画なのに、これは凄い、驚いたなどという声が聞こえてくることの方がなんだか不思議である。

●ショッピングセンターで子供に「絶対に手を離すんじゃないぞ」と繰り返し言う親なんていうのは、アメリカ社会で誘拐が日常化しているのを感じさせるシーンでもあるが、アメリカ社会の不安や暗部を描いているというのなら「ミスティツク・リバー」などのほうが真実で、さらに厳しいし、この映画からそういうものを無理に拾い出そうなどとするのはオカシイ。この映画は単純にパニックムービーなのだ。

●「俺達はお前の言うことなんか聞かない」「俺は俺のやりたいようにやる」などという集団の中の反対分子が必ず出てきて、必ずそういうのは怪物に食い殺されたり、怪物の姿を見て「ごめん、俺が間違っていた」などと言う。どうもこの映画の中のキャラクターは余りにパターン化された、こういう映画でよく見るキャラクターばかりだ。神を信じて狂信的なことを言う女性もそう。これも良く出てくるキャラである。

●救いようの無い後味の悪いラストというのもよく言われていたのだが、確かに絶望して仲間を殺し、自分も死のうというのは辛い結末だ。だが、火炎放射器を持った程度の軍隊がやってきて異次元からやってきた怪物をどんどん退治していくなら救いようが無いわけではない。人類は助かったのだから。救いようの無いのは逃げ出した仲間を、子供を殺してしまった父親だけになる。本当に救いようが無い後味の悪い結末なら、軍隊の登場はいらない。このラストだと生き残った父親への愛惜の念は強まりはするけれど。

●この映画、自分としてはありきたり、典型的、類型的なたいしたことのないパニックムービーにしか思えない。演出のスピードはあるから、つまらなくなく最後まで観ることができたが、最近小難しい作品ばかり観ているからこういうのをたまにみると深く考えないでいいから気楽でもある。

●思ったほどでは全然なく、なぜこの映画を評価する声が高かったのかが不思議。