『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』

●第一作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』が公開されたのが2003年。まだブログなんて流行ってなかったほど前だ。過去3作ではPART1が娯楽作品としては一番面白く、冒険映画としてのツボも的確に押さえていた楽しめる映画だった。「これはインディ・ジョーンズのような痛快なシリーズになるか」と期待したのだが、PART2,PART3のあまりに詰まらなすぎる出来にがっかりし、これはもうシリーズとしてはだめだなと思っていた。

●Part1から3までのヒロインであったキーラ・ナイトレイペネロペ・クルスに変わったのはまずまずOK。キーラ・ナイトレイは美しく気品もちょっとあり、だけど跳ねっ返りの強い王族階級の娘というの役にぴったりだった。今回のPart4のヒロイン役は貴族でもなく、海賊一味の娘。昔ジャックと恋沙汰もして来たすれっからし女という設定だから、これにはペネロペ・クルスのイメージがこれまたぴったりだ。ヒロインのキャスティングは実に見事、旬の役者で上手にはめ込んでいる。ここをしくじったら映画が最初っから駄目になるわけだが、そういう心配は全く無し。ペネロペがどんな役でどんなアクションを見せてくれるのかという期待も少々涌き出す。

●PART3があまりに面白くなく、シリーズものとして完全に失速し、娯楽作品としての本筋さえも勘違いしていると思っていたので、5年ぶりのPART4にも殆ど期待はしていなかった。唯一ペネロペのニューヒロインに、ひょっとしたらPART4はちょっとは面白いものになっているかなとほのかな期待を掛けたのだが、しかしPART4も駄目だった。メリハリもなく、だらだらとしていて面白くないのだ。

●作品の質はどうあれ、パイレーツ・オブ・カリビアンはディズニー実写部門では大ヒットシリーズの看板映画のになっている。けれど、心機一転したかと期待したこのPART4はほとほとに詰まらない。予算も潤沢、大規模ロケ、CGIもさんざん。それなのに全然詰まらない。PART2から4まで三作品連続でこれだけ詰まらないとなると、散々にマーケティングをしながら何故こんなに詰まらないものを連発するのかと疑問にさえ思う。

●J・ブラッカイマー、制作のディレクションをしているプロデューサーやディレクター、ディズニーのスタジオの重鎮たちまで含めて頭が古いカビの生えた感覚の年寄りばかりで、中庸なデータばかりを集積し、思い切った賭けもできず、とにかく安全な範囲で最大公約数的な映画、失敗を突かれない内容のものを作ろうとして作品の中身を歪めてしまっているのではないか。トニモカクニモ話がワッ!っと盛り上がらないし、だらだらとして全く面白くないのだ。今までこういったアクションものに携わってきていないロブ・マーシャルを監督に起用したことも疑問。

●こういった冒険物、アクション映画では何よりも先ず第一に一体この先どうなるのだろうというワクワク、ドキドキする期待、通常では考えられないくらいスカッと胸がすくような大冒険、もうダメだという絶体絶命の危機を乗り越える爽快さ、見終わった後の胸の高鳴り、清々しさ、そういうものが必要不可欠であり、そういうものがなくては冒険娯楽映画なんて言えない。しかし、このパイレーツ・オブ・カリビアンではそれが非常に少ないのだ。

●主役であるジャック・スパローの役柄設定が、ヒーローでもなんでもなく、特にカッコイイ男でもない。ダメ男なのにいざと言うとき力を発揮して皆を窮地から救うという程でもない。危機から抜け出すのはジャック以外の登場人物の力が作用したときだ。要するにジャックは映画の中で主人公でありながらも決定的なキーマンになっていない。おちゃらけて、ふざけてなんとなく難局を乗り切る性格付けにされていて、話をグイグイと引っ張って行くヒーローではないのだ。

●そしてさらに、ジャック以外の登場人物がことごとくジャックと同じ位の強さや魅力で配置されている。バルボッサにしても黒髭にしてもジャックと同じかそれ以上に癖があり面白いキャラクターで、結局主人公のジャックが脇役と同列になってしまっているのだ。前作でもジャックよりターナーやエリザベスの方が話の中心にあった。

●結局のところこのシリーズ、主役に設定しているジャック・スパローの個性、魅力、面白さが充分に描かれておらず、また話を引っ張って行く中心にもなく、周りのキャラクターに主役と同じかそれ以上の面白さを与えて並べてしまっているため、全てが曖昧になり、誰かにグッと魅かれるとか、誰かの活躍に思いきり拍手するとか、そいうった冒険アクション映画に必要な観客を喜ばせる定石が欠けているのだ。だからパイレーツ・オブ・カリビアンは面白くない、詰まらない映画になってしまっているのだ。

●こうなるとやはり『インディ・ジョーンズ』シリーズは作りが見事だったなと改めて思う。それがスピルバーグとの才覚の違いとでも言えるのだろう。
ちょっと面白かったのは人魚の描写と人魚との恋話位なものだった。

●まだ続編は続くようだが、もう別にこのシリーズは観なくてもいいな、大画面スクリーンで観る必要もあるまい。そんな風に思った。

《『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の3D映像》
・3D映画は『アバター』で充分楽しめたが、自分としては敢えて3Dで映画を観たいとは思わないし、3Dであるよりも先に、映画であれ!ちゃんとした脚本、ストーリーであれ!それ無くして3Dなど必要ないと思っている。去年は3D元年として映画も家電業界も3Dの宣伝、普及に随分頑張っていたが、家でまでさして立体感のない、奥行きだけあって絵がふわふわ浮いているような大して意味のない3Dなど必要ないと思っている。市場も一年以上経過して完璧に失速状態だし、いずれ終息してしまうのではとさえ思う。

・今回の『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』も3D作品ということでREAL3D方式で鑑賞した。3Dでしか上映していなかったのだから否応なしという状態であるが。

・映画を見始めて直ぐに「これは何だか変だな」と気がついた。3D上映なのに3Dらしさが非常に足りない、そういうシーンが少ないのだ。ぼんやりとした奥行感が出ているシーンなどはあるにはあるが、途中途中で「これは3Dになっているのか?」と思われるシーンが何度も出てくる。

・映画自体も大して面白くないので、途中で3Dメガネを外してスクリーンを確認すると、登場人物がスクリーンの中心にあるときなどは登場人物に3D独特の視差をずらした輪郭線は掛かっておらず、背景の椅子や木、人物だけが視差がずれている。真ん中の登場人物は3Dメガネなしでもくっきりはっきりの2D映像になっている。

・海のシーンや自然風景を大きく映したシーンも3Dにはなっていない。2Dのままだ。剣を突き出したり、拳銃を突き出すシーン、木の葉などが舞うシーンなどは3Dでズンと映像が前に飛び出してくる感時や木の葉がスクリーンの中で浮遊している感じはでているが、普通のアクションシーンでも3Dの効果はかなり薄い。こんなレベルならなにも3Dで上映する必要などあるのか?というほどだ。

・3Dメガネを外して画面を見ていると、どうも画面の中で特定の部分だけを3D化して視差のズレを出しているが、そうでない部分は2Dのままである。

・これは2Dで撮影したものをポストプロダクションの段階で部分的に2D→3Dのデジタル処理をしたものであり、撮影の大部分はこれまで通常の2Dカメラで行われたのだろう。

・『アバター』のようなフルCGに近い作品であれば、初めから全編を3Dカメラで撮影し、あれだけの立体感をだせたのだろうが、実際の自然環境、海や森といったロケの現場で重たく機動性の低い3Dカメラで撮影するのは大変なことだ。

・撮影の利便性やコストを考えれば、この手の実写作品は2Dで撮影して3Dに変換するというのも致し方あるまいとは思う。だが、この生命の泉の3Dはどうも手抜きして適当に目立つシーンだけを3D処理している似非3D映画といった感じだ。たぶん3D作品として大きく謳われたこの映画を観て「なんだ、全然3Dらしくない、立体感も少ないじゃないか」と思った人はかなり多いのではないだろうか。

・3Dメガネを外して見ていると、どこに3D処理をしてどこが2Dのままかというのが明確に分かる。この映画、全体の60%位しか3D処理していないではと思えた。前述したが剣や銃をこちら側に向かって突き出すような特徴的なシーンでは、その剣や銃の部分をきっちり3D化しているが、周辺背景は2Dのままだったりだし。

・ポスプロで3D処理をするにしても特定の場所だけを3D加工しているという感じで、これでは手抜きして作った3D映画ではと言いたくなる。この映画を大々的に《3D作品》として謳い、鑑賞料金も高く取ると言うのはちょっと納得いかない。この程度の3Dなら別に2Dで充分だ、というかこの『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』はとても3D映画とは言えないような作品である。

・こんな驚きも無く、奥行きも、飛び出し感も立体感もない、似非3Dならもう3Dなんて全く要らない。こんなものを3D映画だって言って公開しているのでは、すでに皆がそっぽを向き始めた3D映画の衰退を更さらに加速させてしまうだろう。

【3D映画のコラム】2D→3D変換のことなど。
http://eiga.com/extra/oguchi/2/2/


2006-07-23 『パイレーツ・オブ・カリビアン2 デッドマンズ・チェスト』批評

★2007-06-10 『パイレーツ・オブ・カリビアン3 ワールド・エンド』批評