「恍惚の人』(1973)

原作者:有吉佐和子 1972年 新潮社より刊行
監督 - 豊田四郎 代表作 夫婦善哉(1955)
出演:立花茂造 - 森繁久彌 立花信利 - 田村高廣 立花昭子 - 高峰秀子 音羽三枝子
撮影:岡崎宏三 名カメラマン

森繁久弥の演技の巧さ、本当の認知症の老人ではないかと思えるほどの生々しさ。迫真の鬼気迫る演技。高峰秀子の苦悩する主婦の姿も本当に凄い。役者が演技しているように思えない。

●先日『折り梅』を観たが、こういった社会問題、暗く重い内容の映画は今の日本では作る事が難しい。利益本位で考えれば、今の風情では娯楽とは正反対のこういったタイプの映画は動員が望めない。小屋も掛けてはくれない。出資も集まらない。製作会社も手を付けようとしない。もうその状況は分かりすぎるくらい分かっている。だったら昔の映画でもいい、多くの人がこういった作品を観て、考える機会が増えることこそが大事だ。だが、レンタル店も回転の悪い作品は棚から外す。如何に名作と言われていようとも、この手の作品は大型のレンタル店でも置いているところは少ない。だからこそNHKがこういった作品を放送してくれるのは非常に有り難い。そこには映画を使った社会的な必要性、価値というものがある。

●自分の父親、母親が高齢になったら、いつまでも意識もしっかりとしていて、元気であればなんの問題もないけれど、いつ認知症状を発症し、いつ体の具合が悪くなり寝たきりになるかは誰にもわからない。この映画で描かれているのと同じ状況に家族が追い込まれる可能性は誰にでもあるわけだ。そう考えると非常に重い。

●自分の親は大丈夫、自分の家は、家族は大丈夫と思っていても、いざその大変な状況が訪れたら、子供も、兄弟も、妻も、夫も、親戚も、きっと豹変するのだろう。人間は厳しい状況になってはじめてその本性を露にするのだから。

『昔お嫁に来たときお爺さんにさんざんいじめられたからいい気味よ」

●息子でもある夫が「殺せよもう・・・」と呟く。そんな酷いことを息子が言うのか、と思いつつも、いやきっと言うだろうと納得してしまう。

●大人・老人用オムツなんていうものがあるなんて、震災で介護施設の不足物資というものを見た、ついこの間まで全然知らなかった。

●ちょっと観ている事が辛くなるような作品でもある。

●映画としての質も充分に高いが、これは取り上げているもの、中身としてもっと目をむけて観るべき一作ということになるだろう。

●ラスト、高峰秀子が鳥カゴの中の鳥を寂しそうに見ている姿には、人間のはかなさや悲しさを言葉で語らずに表現している。

●白黒での映像表現、映画表現の技術程度が非常に高い。画面を見ていると撮影技術が非常に高いと感じる。光の当て方、影の使い方、逆光、フレーム、カット、編集。古くささはない。現代的。違和感も感じない。黒澤映画的

●モノクロ撮影の良さがしっかりと出ている。黒の深み、黒の中の陰影、影を効果的に利用した演出。箪笥の木目、障子の皺、畳の風合いなどが白黒でありながら実に見事に映像に映し出されている。

●遠方に焦点を合わせ、手前のテーブルに置かれたガラスコップのぼやけさせ。その両方を捉えたフレーム。意図的、作為的ではあるが目立たない小道具の配置、撮影の巧妙さ。

●年代がさほど古くはないというのもあるが、デジタル・レストアが素晴らしい。木目細かく、細部まで美しく仕上げられている。光のあたった女性の髪の毛、木目、肌の具合、家具の風合いなどは絶妙。これは元々の撮影技術の高さがあってこそここまで美しいのだ。


NHK-BSシネマ 山本晋也の後話》
山本晋也
「監督は体が弱くてこのときもあまり撮影に参加できなかった」
高峰秀子
「この映画は森繁さんと、岡崎さん(カメラマン)と私の3人でとったような作品です。

なるほど。確かにこの映画は最初観て直ぐに、カメラワーク、光のあて方がとても特徴的で、良い意味で気になった。非常にカメラマン的な感覚、カメラマン的な目線、光の捉え具合で撮影された映画なのかもしれない。シーンが光線の具合と物の配置をきっちりと考えた写真のようでもある。時としてそれがあまりにわざとらしく感じる部分もあるが、全体的には非常に高度で考えられ、手の込んだ撮影をしている。
これはカメラマンの岡崎氏の力量が非常に大きく反映された映画かもしれない。