『ミリオン・ダラー・ベイビー』(2004)

●光の陰影、影の使い方が非常に特徴的であり効果的。「最近は影で語る監督がいなくなった」とは小津安二郎の撮影監督だった名カメラマン川又昴の言葉だったかと思うが、この映画ほど影で表現の奥行きを深め、セリフや演技以上に光の陰影でシーンの中にある意味を伝えてくる映画は少ない。地獄の黙示録も影を映画の演出として多用していた。

●登場人物に覆いかぶさる暗い影こそが登場人物の心の中を観客に伝えている。

●トレーラーハウスで生活保護をうけながら暮らす一家、抜け出せない貧困、医療保険の問題。生活手当ての問題。家族の問題。人間の尊厳、父の存在。アメリカの日向と日陰。光と影。監督はアメリカ社会の根底に根を張った大きな問題に静かな怒りの目を向けている。

●脚本のポール・ハギスががぜん頭角を表し、注目するようになったのもこの作品からだった。

●再見して気がついたが、ストーリーを大きく転換させるキーとなる、コーナーから差し出されるイスが、それ以前のシーンで思った以上に象徴的に撮られ、使われていた。初見では気がつかなかった。

●C・イーストウッドと、M・フリーマン、二人の老練な役者の見事すぎる演技。

●惚れ惚れするようなフレームワーク、カメラワーク、カット、編集構成、シナリオ構成、全てにおける秀逸さ。

●この映画はスポーツ物などではなく、これは虚構に彩られた自由の国アメリカの真の姿、普段は目も留められないような余りに低い場所、奥底に拡がっている大きく卑しき問題を描いた現在のアメリカ社会を告発する痛烈な社会、体制、政治、制度、文明批判の映画。

●心を打たれるが、その先にあるのは現代社会の体制が行き着いた場所に対する絶望なのかもしれない。