『八つ墓村』(1996)

横溝正史原作 市川崑監督作品 三回目の映画化
金田一耕助豊川悦司 浅野ゆう子の演技はいい。岸田今日子の二役は少しキワドイ。

●自分の中での『八つ墓村』は1977年 野村芳太郎監督である。金田一役は渥美清

金田一耕助のシリーズの良さは、ミステリー、謎解きという部分よりも、金田一耕助のキャラクターとしての面白さ、魅了だ。

金田一耕助シリーズの良さは、刑事コロンボに似ている。ぼさっとしていてあまり頭の切れが良くないような汚い風体の男が、実は洞察力が鋭く、どんどんと事件の糸口を見つけ、難題を解決してゆく。最初に会った時は怪訝な目で見ていた周辺の人々が、段々と金田一に魅了され好きになって行く。頭を掻きフケを落とすような金田一をなぜかいつの間にか皆が好きになっていく。金田一はみなから頼られてゆく、この描写が市川崑版の『八つ墓村』では弱い。

●いつの間にか事件の謎を解き、最後に金田一は一人去って行く。残った人々の心に何かえも言われぬ愛しさや寂しさや哀しさを残したまま。金田一シリーズの映画でラストに必ず訪れるこの気持ち。好きな人が去って行く寂しさ物悲しさ甘酸っぱさ、ほろ苦さ。それこそがこの金田一シリーズの良さなのだ。

●最後にジンと胸を締め付ける切なさ。最後に吹き抜ける爽やかな一陣の風。それこそが、観客が金田一を映画を好きになってしまう部分であり金田一シリーズの良さなのだ。その味わいが、切ない余韻が市川崑版『八つ墓村』では薄い、少ない。それは映画本編で金田一が徐々に周りを魅了していってしまう過程、その描写が少ない、だから最後で感じ金田一が去って行く切なさが増幅しない、盛り上がらないのだ。

金田一シリーズの映画で一番大切な部分、一番心に響く部分、金田一の魅力。それが市川崑版『八つ墓村』では甚不足している。その演出、表現が足りな過ぎる。だからこの作品は野村芳太郎版に比べるとかなり物足りなく、見劣りしてしまう。

●ラストの曲はいい。「青空に問いかけて」小室等《答えを知らぬ君に出来るのは、ただ明けてゆく青空に問いかけること》図らずもこの歌とメロディーには金田一シリーズが持つべき、侘びしさ、淋しさ、切なさ漂っていた。この曲が流れるエンディングロールだけ何度か繰り返し見て(聞いて)しまった。
・この局はテレビドラマ「俺たちの朝」の主題歌を作曲家・小室等がセルフカバーしたものだという。なるほど。

○昔の八つ墓村は頭に蝋燭を突き刺していたんじゃなかったかな?懐中電灯というのがなんだか変だ。

と思っていたら、昔も懐中電灯ですというコメントを頂いた。確かにロウソクを頭に付け走ったら火が直ぐ消えてしまいそうだし、頭にロウが垂れてきて大変だろうなぁ。笑