『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)

ディーゼル機関で走る一両だけの汽車、雪が降り積もった田舎の駅、なんだか懐かしいような侘びしいような。昔田舎を旅するとこういう駅の景色によく出会っていたなと思い出し、すこし胸がキュンとする。

●この映画は公開時、確かチネグランデで観たかな? 結構ヒットしていて並んで入場した記憶がある。だが当時観た後の感想は、なんだかやたらと登場人物がぽっぽや、ぽっぽや、俺たちはぽっぽやだ!と耳慣れない”ぽっぽや”という言葉を連呼していて、それがいかにも当てつけがましく感じ、広末が出ていたなぁという印象がある程度で内容も詰まらなく感じあまり記憶に残っていない映画だった。

●10年経って改めて見直すと、なるほどなかなか味わいがあるし、古き懐かしき日本の風景に郷愁を呼び起こされるような、ほのかに温かくそして切ない映画だった。こんな風に思うのも自分が歳を通ったせいだろうな。10年前は全然なんとも思わなかったのだから。おじさん、おばさんが観て感激するような映画なんだろうなと思っていたのだから。

●話の筋立ては少々強引なところも見受けられるが、ファンタジーなのだからちょっと無理のある設定や流れも夢物語として考えればいいのだな。最初乙松のところに現れる少女が誰なのか分からず、少し話に困惑したが、小さい頃になくなった娘が徐々に成長して行く姿を見せにやってくるなんて、ちょっとそれは狡いだろうと言えるような夢物語。でもこんな話、父親だったら皆涙をポロポロ流してしまうのかな。高倉健の素直過ぎるくらい自然な演技の上手さにも驚くばかり。

●NHKBSシネマで「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本〜家族編〜」の一つとして取り上げられていたのだが、こうして見返すと、今と昔、どちらが本当に家族というものを大切にしていたのだろうと疑問が湧く。山田洋次は日本にあった家族の絆というものを見つめ直したいということで日本の家族を描いた映画を取り上げたのだが、昔の方が今よりも家族とか家というものをないがしろにしていたのではなかろうか?  

●当時の苦しい時代背景、必至に働かなければ生きて行けないという状況があったにせよ、この『鉄道員』に描かれるような主人公は家族よりもなによりも仕事が最優先であり、ある意味会社にしがみつき、会社のなかで少しでも出世することが人生の目標であり、全てであったかのような男だ。猛烈サラリーマンとかエコノミックアニマルなどと日本人が呼ばれてていた時代も、仕事が全てにおいて優先で、休みも無く、帰りも遅く、会社の命令、会社の仕事ならば家族の病気も、子供の運動会もすべて二の次。終戦後から高度成長を遂げ1980年代に入るくらいまでは、日本中がそんな男達だらけだったような時代が長く続いていたのではないだろうか? 

●昔は今より家族の繋がり、絆が強かった。男は家族を、家庭を大事にしていた。そんな話を聞く度に「本当だろうか?」と思ってしまう。

●家族を大切に思う気持ち、その心は確かに今よりも強かったかもしれない。だが、実際にはこの映画主人公のように仕事を何よりも優先させ家族を顧みず、家庭をないがしろにしていた男達が昔は今よりもずっと多かった、いや殆どだったのではないだろうかと思うのだ。映画やTVで描かれる男達はまさにそういった姿を描いているし、時代の状況のなかで、それが致し方なかったことだとはいえ、家族を思い、家族の団欒の時間を少しでもとろう、家族と過ごす時間を作ろうとうする男は今のほうが圧倒的に多いのではないか。

●昔は家族の絆、繋がりは強かったというのは内面的な部分では正しいかもしれないが、実際の生活では今よりも家族の団欒や一緒に過ごす時間も少なく、男は家族に犠牲を強いていたのではないかと思う。この映画を観ているとそんな思いが余計に強くなってしまう。

●この映画はやはりある程度歳をとってからでないと良さが分からない、染みてこない映画かなと思う。若い時にこの映画を観ても、ストーリーは分かったとしても、その裏に染みこんでいる男の、父の、家族への郷愁というものを感じ取る事は、ある程度の歳を取り、人生や社会の辛さ厳しさ、苦しさを味わってこなければ難しいのではなかろうか。

●少し歳をとって、ようやく今自分もこの映画の意味、良さが分かりかけてきたということなのだろう。

高倉健さんの演技は流石だなと感心。まるで演技をしているようにはに思えない自然さ。

●この当時の広末はまだ可愛らしさもあり、演技も許せる。まだ20歳前でバリバリ大人気アイドルであった頃か。セーラー服姿は確かに可愛いし、色気もある。なるほどこの頃の広末は悪くはないのだな、まだ素直で素のままで。あの止めて欲しいアヒル口の笑いもないし(片鱗は伺えるが)、今みたいなあの態とらしい下手くそな演技もない。笑

●アルファ・リゾート・トマムの話題が出てくる。「内地からたくさん人が来るぞ」といっているが、トマムも何度も倒産、買収され、今は中国、香港、台湾、韓国などからのアジア観光客ばかり。日本人は却って行かない場所になってしまっている。時代流れを強くかんじてしまう。

●炭鉱を舞台背景にした映画というのは日本も海外も本当に良く似ている。一時期は産業の発展を支える土台として隆盛を誇った炭坑も石油エネルギーに取って代わられどこの国でも急速に衰退し過去の物となって行く。炭坑を支えた鉄道や道路といった物流も、炭坑の町にあった飲み屋や食堂も全て廃坑とともに消えて行く。町もなくなってしまう。
遠い空の向こうに』『フルモンティー』なども炭坑の町を背景にした映画であったが、イギリス、日本と、両方とも島国という点も似通っている。