『ホノカアボーイ』(2009)

●これもまた"癒し系" "ほのぼの系"だとかの今流行りのキーに合わせて作られた映画なのだろう。"脱力系"ではないが・・・・。

●こういう癒し系の映画ははどこもかしこもワンパターン化している。日本の田舎から始まって、沖縄に辿り着き、その次は海外。癒しの場所は南国の海辺。ほんとにどこで誰が作ろうとみな似たり寄ったりだ。

●そして必ず料理のシーンは出てくる。昔から行き詰まったら食事シーンを入れろなどと映画では言われていたが、最近は行き詰まる以前に食事シーンを組み込んでいるわけで、確かに美味しそうなものを作っていたり、食べていたりするシーンはそれだけで興味を引くし飽きないのだけれど、ちょっともう余りにやり過ぎと言う感じだ。

●脚本家もプロデューサーも監督も料理シーンを入れればそこそこ当たるという定石に胡座をかいて楽をしようとしているのではないか? あっちの映画でもこっちの映画でもお料理シーンが出てくる。「またか、ここでもか」と溜め息が出てしまう。確かに料理のシーンは面白いけれど、そこにばかり頼ってる今の邦画はどうなんだろう。日本映画を並べたらお料理番組映画があっちもこっちもという状況ではないか。他がやって巧くいってるからこっちも同じことをしようというのは商売なら普通だが、映画というものを作っているなら他がやってるから自分は絶対同じことをしないって言って欲しいものだ。作品のHPにはレシピを上げてお料理を紹介し・・・というのももう止めたらと言いたい。

●ストーリーは殆どあってないような映画。一人の若者と、その周りにいる年老いた人達のなんでもない日々の出来事が、なんでもなくほのぼのと描かれている。確かにこの映画を観ているとなにかあんまりあれこれ考えずただほのぼのとしてればいいかという気持ちになる。その雰囲気は悪くは無いのだが、それを台無しにしてしまっているのが倍賞千恵子演じるビーだ。

倍賞千恵子はもう円熟の女優だと思うのだが、なんでこんな役をやっているんだろうと思ってしまった。若い男に色気を出して派手な洋服を買ったり、料理を作ってやったり、糸電話をしたり、ヤキモチを焼いたりするビーの姿は、正直なところ、気持ち悪いのだ。いくらなんでもこんなオバサンに中学生か高校生の少女がするのと同じような恋心、女心を演じさせるのは大間違いであろう。この位のオバサンになったらもっと大人として、熟年の女性としての気持ちの表現というものがあるだろう。それがまるで少女と同じような恋愛感情の表現を演じさせているから、妙に気持ち悪い。これは賠償千恵子が悪いのではなく、こんなキャスティングの甚だしい間違であり、こんなおばさんにこんな演技をさせる脚本のどうしょうもなさであり、それをそのまま撮ってしまう監督のおかしさ。ビーがなんともキモイ感じになってしまっているので、全体のほのぼの感や柔らかな感じにまで悪影響を及ぼしてしまっている。

●ビーというおばさんの若い男にたいする妙な恋愛感情なんか入れず、年配女性として温かく息子のように若い男を見守る姿のほうがよっぽどよかっただろう。そうすればもっと素直にほのぼのした映画になっていただろう。

蒼井優深津絵理がチョイ役で出てきても、それがどうだというわけではない取って付け。虹の話も同じく取って付け。
●マライア役を演じる長谷川潤のいかにもハワイのギャルといったムッチリ、ボインのナイスボディーが印象的だった映画ということになるか・・・・。(笑)