『L.A.コンフィデンシャル』(1997)

●記憶が少し前後してしまっている。「L.A.コンフィデンシャル」と「タイタニック」が同じ1997年公開作品で「L.A.コンフィデンシャル」が第23回ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞と非常に映画関係者の中でも評判が高かったため、アカデミー作品賞をどちらが取るかと賭けたりしていたので、ほぼ同時期にこの二作品を観た気がしているのだが「タイタニック」は97年末に日本で公開され、「L.A.コンフィデンシャル」は日本での公開がなかなかされず、98年夏に日本公開だったようだ。

●当時の自分の記憶ではアカデミー作品賞は「L.A.コンフィデンシャル」になるだろうと予想していた。はっきりと思い出せないが日本公開のかなり前に行われた試写会で観て、その後なかなか劇場公開されなかったのでUSA版リージョン1のDVDを取り寄せて観ていたような気もする。

●なんにしても97年か98年当時自分はこの作品にかなり衝撃を受けたことは確かだ。非常に緻密に練り上げ、編み込まれたストーリー、そして最も犯人らしくない人物が最大の悪者だっっという驚き。ショットガンで部長を後ろから撃った瞬間はその銃声音とともにスクリーンからドンと体を押され椅子に背中を打ち付けんがばかりの衝撃だった。

●こういう作品を作ることの出来るアメリカ、ハリウッドに羨望と嫉妬さえ感じていた。

●あれからもう13年、もうずっと観ていなかったこの作品がNHK-BSで放送されるということで、改めてじっくりとストーリーを検証しながら観た。

●前半一時間は一癖も二癖もある登場人物が多数登場し、それぞれが一つ二つ曰く付きだ。それらの登場人物とストーリーがあれやこれやと絡みだし、物語の中間ではまるであれこれのエピソードがお互いにもつれ絡み大きな糸玉にでもなっているかのようだ。それが一つ一つ絡まった糸をていねいに解いていくような後半の展開はむず痒くもあるがパラリパラリと謎が解けていくたびに得も言われぬ快感がおとずれる。見事な脚本、見事な展開、見事なストーリー構成だ。

●前半に仕組まれた伏線や謎がどれ一つとっても嫌らしさが無い。あたかもそしてわざとらしいまでに張られた伏線はその謎解きが行われても、あざとらしさゆえに爽快さ、気持ち良さがない。伏線の嫌らしさを頭のなかで確認させられるかのようで好きになれない。その点、この作品では全てが自然だ、ナチュラルなのだ。騙そう、引っ掛けよう、驚かそうという魂胆で伏線が張られていないのだ。前半に仕込まれた数々のエピソード、セリフは全て後半へ繋がるストーリーの必然性の上に並んでいるのだ。小憎たらしくなるほどにその流れは素直であり巧みだ。

●まさかと思われる人物が最大の悪者であり、正義感の塊のような男が悪を受け入れる。警察内部で長く行われてきた不正。最終的には悪事を働いていた男達はほとんどみな殺される。すっきりとした結末にもっていきながらも、不正や警察の闇という部分は取り除かれず残り続けるが、それが人間の組織だと言うことなのだろう。ため息が出るほどにじつに見事に組み上げられた映画だ。

●この作品はラストで黒幕が誰なのか、犯人は誰なのか、その背後にある歪んだLA警察組織の姿などをはっきりと描いてくれているので話としての結末は非常に明快に分かるのだが、そこに至る人間と人間の絡み、様々な伏線は一度観ただけでは非常に困難と思われるくらい分かりにくい。人間関係が入り組み複雑で(原作は遥かに登場人物も多く複雑らしいが)日本語字幕もセリフの大事な部分を省略してしまっている所があり、こういった部分でも絡み合った話を余計に理解しにくいものにしてしまっている。これは残念な部分だ。登場人物の名前も渾名で呼んだりしていることから、ちょっと気を抜いていると話の大事な部分がわからなくなってしまったりする。英語ネイティブであってもこの複雑さは一度通しで映画を観ただけでは分かりにくいであろう。そんな分からなさを抱えつつも、最後には唸ってしまう結末。初見で驚き、感動し、再見で再び話の奥を垣間見てまた驚き感嘆する。そういった作品だ。

●この作品を観たのも、もう13年も前か・・・最近こういうことばかり書いているけれど、やはり最近の公開作よりも少し前の作品にいいものが多いし記憶に残っているものも多い。なんでも9.11テロのことに絡めるのは自分としては好きではないし、嫌なのだと何度も書いてきているが、やはり9.11同時多発テロの起きた2001年の前と後で、明らかにアメリカの映画は変わったと。社会批判、アメリカそのものを批判するような作品はものの見事に消えた。アメリカ社会の悪を痛烈に皮肉るマイケル・ムーアや、クリント・イーストウッドのように文句(恐喝)を言われても動じることのない地位を固めた大御所は別だが、一般の監督、製作会社、プロデューサー、スタジオ、出資者はアメリカを批判し、糾弾するような作品に手を出さなくなった。映画産業自体が、アメリカの世論、ブッシュ政権に誘導され操作された国民感情に懐柔し、それを気にし、それを刺激するような作品を作らなくなった。2001年以降のこの10年のアメリカ映画にはそういった影がスクリーン全体を覆っているかのようだ。ひょっとしたら後年映画史などという研究がされた場合、この10年が「ハリウッドの失われた10年」とか「見えない影、隠れた第二のレッドパージの時代」などと呼ばれるかもしれない。いや、それはまだ今後も続き、10年だけでは済まないことになるやもしれないが。

●インサイダー(1990)エリンブロコビッチ(1999)のような企業の在り方を糾弾するかのような作品もこのところ表にはでてこない。そして、そういう傾向は日本においてはもっと強いのだ。

第23回ロサンゼルス映画批評家協会賞 作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞