『ベンジャミン・バトン』(2008)

●年齢と若さが逆行して人生を進行していくという点が、既にそして最大の驚きであるためその他の要素、つまり人生の出会いや別れが驚くべき事件ではなくなってしまっている。

●人生はどうなるか分からない。ちょっとしたきっかけで人生が大きく花開くこともあれば、いきなり奈落の底に落とし込まれることもある。だから人生は面白いんじゃないか? それが人間なんじゃないか? といったことを叙事詩のように描いた映画は多々ある。「フォレスト・ガンプ」にしろ「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」にしろ「風と共に去りぬ」にしろ、何気ない日常を送っていた人生があるきっかけをもとに急に目まぐるしく変わったり、地道にこつこつ努力をしていたら思いもかけない幸運が舞い込んできたり、普通の暮らしをしていたのに大きな歴史の渦にまきこまれたり、そういった映画はごく普通の生き方、平凡な暮らしが大きく波打ち、怒濤のごとく変わっていく様が面白いのだ。ワクワクするのだ。

●だが、この『ベンジャミン・バトン』の場合は、一人の人間が生まれたときに年老いていて、年齢を重ねるにつれて若返っていくという、異常な、驚きの状況をベースに物語が展開していく。何気ない日常や、ごく普通の人の人生が驚きの変化をしていくのではなく、そもそもが驚きの生き方であり、普通では考えられないあり得ない人の人生を話の土台として物語を展開している。

だから、時間経過とともに起きてくる様々な出来事や変化が、驚くものに見えてこないのだ。それも全く。

●時間とともに、年を経るごとに若返っていくという、余りにも普通ではない驚くべき状況が話の中になによりも先に横たわっているから、ベンジャミンの人生の中で起きる様々な出来事が、さっぱり驚きにならず、葛藤も呼び起こさず、心を揺さぶりワクワクとさせてくれないのだ。

●小さく波打ち漂う人生の中に、時として大波が起きればそれは大きな驚きになるのだが、最初から大きく波打っている信じられないような人生の中に、小さな波が起きても大波の間に隠れてしまい驚きとして観る側に打ち寄せてこないのだ。

●それがこの映画の奇妙でおかしな所であり、間違った失敗しているところと言えるだろう。

●謳い上げようとした人間の素晴らしさ、人生の素晴らしさ、掴みきれないその不思議さが、時間とともに若返っていくという余りに不思議で驚きの大波で覆われ、隠され、伝わらなくなってしまっているのだ。

●だから、すっきりとしない、釈然としないもやもやしたものが観終えた時に残ってしまうのだ。

●映像のクオリティーは高い、隅々まで目が行き届いている隙のない映画だ。ケイト・ブランシェットの姿はオーラを纏って輝いている。老いた子供から若返った姿まで演じるブラピも実に巧い。だが、死にかけた老婆に娘が昔の日記を読んで語りかけるという演出はありきたりで安易だ。観る側はたびたび日記を読む娘の視点に戻されるので主人公と一緒に体験を共有できない。数奇な人生に入っていけない。いや、この映画の中で数奇だったのは、ベンジャミン・バトンの人生そのものではなく、やはり逆行する年齢という部分だったのだ。だから何かこの物語そのものに感動も出来ない状態で観終わってしまうのだろう。

ケイト・ブランシェットはこの映画の中でも際立って輝いている。最初の頃はキツイ目鼻立ちのこの女優を好きになれなかったのだが、役を演じている姿を観れば観るほどに魅力に捕らえられてしまった。もうこの女優の千変万化のイメージは恐ろしいまでの魅力を放っている。今のままでも凄いが、ケイト・ブランシェットは希代の大女優、名女優として映画の歴史が続く限りその名を残すのではないだろうか。

ケイト・ブランシェット インタビュー:http://eiga.com/movie/53529/interview/2/