『カティンの森』(2007)

●鉛を落としたように重く垂れ込める映像。そして陰りが張り付いたような全ての登場人物の表情。最初のワンシーンを観ただけでズンと体に重りを乗せられたような気持ちになる。

自由なポーランドはないのよ、二度と・・・

登場人物全てがセリフで語ることなく、寡黙な表情で演技をし心情を伝えている。

長い間映画に関わってきた監督の熟練の技。浮ついた部分は微塵もない。

世界の歴史の中で虐殺は数多く行われてきた。ナチス・ドイツユダヤ人虐殺は誰しもが知るところだが、その他多くの虐殺は余り知られていない。カチンの森の虐殺もその一つと言える。アミュリュッアールの虐殺は『ガンジー』の中で短時間だが描かれていた。カンボジアクメール・ルージュの大量虐殺は直接的表現ではなかったが「キリング・フィールド」で描かれていた。ルワンダの大量虐殺は『ホテル・ルワンダ』で描かれていた。

ポーランド人にとってソ連もドイツも両方共が自国を占領し、支配し、蹂躙した国。

当時のプロパガンダ映像はソ連側のものも、ドイツ側のものも映画の中に取り入れられている。

打たれ、叩かれ、鍛錬され、練り上げられた燻し銀のごとき映像、映画。

しっかりと観ていないとストーリーは少し分かりにくい。予備知識がない人ではその点は更にだろう。字幕を追っているとドイツ語で語られているセリフとロシア語で語られているセリフを意識しなくなり、どちらの立場の人間なのかということが交錯してしまう。ヨーロッパの人々であれば言葉を聞いただけでどちらの軍人なのか、どちらサイドの人間なのかということが分かるのだろうが、日本人には少し難しい。

一度観終えて、直ぐにもう一回見直した。そういう映画はめったにないことなのだ。

映画の役割とはなんだろう? 映画はアートか、エンターテイメントか? とよく言われることだが、今までにない新しい映像、今までにない新しい表現を生み出し伝えていく芸術面と、観て楽しむことに特化させる娯楽面に映画は二つに分けられる。だが、もう一つ映画には別の面がある。それは歴史を伝えるという面だ。それは映画という多くの人が簡単に観ることの出来るメディアであるが故の特性であり、役目であり使命なのだ。映画には歴史を、その間違いを、問題を後世にまで、多くの人に伝える役割と、使命がある。

ある種の映画の持つ使命。

その使命を持った映画、『カティンの森』はその映画なのだ。


 アンジェイ・ワイダ 日本公開2009.12

http://eiga.com/news/20091204/25/