『言えない秘密』(2007)

●いわゆる韓流、台湾、中国系アジア系恋愛映画特有のベタベタ、ドロドロ、クドクドさは、まるで古い日本のトレンディードラマを今更に観せられているかのようであり辟易としてしまう。この作品の前半はまさにそんなパターン化したアジア映画そのものなのだが、後半で全く予想外の展開となり驚く。

●タイムトラベル物は数々あれど、ピアノで奏でる旋律に乗って時間を行き来するという発想は非常に斬新であり、今まで思いもよらなかったアイディアの素晴らしさ。

グイ・ルンメイ演じるヒロイン小雨の、キャラクター設定が実に巧い。か細くて、病気で体も弱く、暗さや影が潜んでいるような表情。少し内向的、だけど好きになった人には積極的な部分も見せるという女学生の演出が見事。ステレオタイプなイメージかもしれないが、音楽学校の女学生というと派手で明るいというのではなく、静かで少し暗くて、内向的で芸術志向で、と確かに小雨のような女性が頭に浮かぶ。

●予備知識もなくまっさらで一回観ただけでは、大筋のストーリーは把握出来てある程度の驚きはすれど、頭の中に沢山の疑問符が浮かぶ作品でもある。

●良く練られた脚本。ちょっとしたシーン、セリフ、仕掛け、伏線がタイムトラベルの仕組みに整合するようにしっかり考え、配置されている。だが一回観た段階でそれと気付くことは少ない。というか出来まい。映画を観る側はストーリーを追いかけ理解し感じていくわけで、最初から何気ないシーンまで意識して観ているわけではない。

●脚本を練り映画を撮った側は全体を俯瞰しながら作品を作っていくので、細かな仕掛け、伏線をあちこちに配置してほくそ笑む事も出来るだろうが、何もしらず最初から観ていく観客にとっては作る側の頭の中にある前提条件を知らないのだからストーリーを100%理解することは出来ない。一回観ただけではこの映画のストーリーは60%位しか分からないだろう。残りの40%は疑問符として頭の中に残り、もう一度か二度観た段階でようやくはっきりとシーンとシーンの繋がり、シーンの意味、セリフの意味、あれこれの伏線、その回収、演出の意図が分かってくる。

●この作品のプロット、ストーリーの構造が分かると「なるほど、良く考えられている、良く練り上げられている」と驚くし、改めて全体を観直すと爽やかであり、切なくもあり良いストーリーだ。だが、それは一回観て、?マークが頭の中に沢山出てきて、ネットで情報を調べ、この映画の前提条件とされている約束事を知り、二回目の鑑賞をして色々な仕掛けが分かってきてようやく湧き上がった感想だ。

●楽譜に書かれた「最初に出会った人が・・・・・・」という言葉だけで《小雨がタイムトラベルをして最初に見た人だけが小雨を認識することが出来る》という約束事を理解するのは余程想像力が豊かでなければ不可能だろう。自分もネットでこの作品を説明しているページを読むことで初めて分かった部分だ。たぶん監督がそのお約束事をどこかで「実はこうなんですよ」と説明していたのだろうと思うが、ストーリーの根幹となるこんな大事な前提条件が作品そのものでは全く語られておらず、観ている側には混迷のはてなマークばかりが湧いてくる。

●映画の文法という以前に、物事を表現し誰かに伝えるという文法、構造そのものが間違っている。他所の説明を聞かなければ作品を理解できないというのならば、その作品は自立していないということだ、作品そのものが自分だけで立脚していない。そういう作品は存在そのものが映画としての間違いなのだと言いたくもなる。

●小説ならば何度も前に戻ってセリフやストーリーを確認しながら読み進むということもできる。だが映画は時間とともに流れる映像で人を感動させるものだ。途中で立ち止まり、少し前にもどって確認し、また進むという鑑賞の仕方をするものではない。それは劇場では全く不可能だし、それが可能なDVDなどのメディアであったとしても最初からそんな鑑賞方法を取るなどありえない、というか以ての外だ。

●だから、この作品は如何に良いストーリーであったとしても”映画”としては、その在り方、立ち位置、存在そのものが違うのだ、間違っていると言ってもいい。

●だが、最近はこう言った作品も多く作られている。伏線、回収、伏線、回収に終始し、小細工を作品のあちこちに仕組んで、まるで何度も観て宝探し、秘密探しをさせようという考えの映画がやたらと目に付く。そんなものは映画の本筋ではないし正道でも王道でも覇道でもない、邪道でしかないのだ。そういうタイプの映画は正真正銘のストーリーで語り掛け、本当の話のおもしろさ、驚きで感動を観客に与えるものではない。

●秘密探しをするような映画、映画そのものに含まれない説明や前提条件を他所から持ってこなければ理解が出来ないような作品を映画として扱いたくない。それは映画という入れ物を使ったTVゲームに類する映像ようなものだ。だが、最近そういた作品を映画のストーリーそのものよりも秘密探しを楽しみ、秘密の配置が巧妙で機智が含まれていれば面白い、いい映画だというような傾向すらある。TVゲームで育った監督や観客にはTVゲーム的映画のほうが親和性があるということなのだろうか? だたそんな映画は映画本来の文法から外れたものであり、しかも映画本来の文法を外したことによって革新が生じているものでもない。それは異形なのだ。

●良いストーリーであるし、切なさ爽やかさ、胸を締め付けるような恋愛の苦しさも非常に良く出ている作品だ、だが一度観ただけでは分かり得ないような作りをしていることが映画として非常に不満。映画というものは一度観て伏線も仕掛けも全てが最後にはきちんとわかって感動感激するものであるべきだと。もう一度見直したり、作品の外で説明される事柄を知らなければ理解出来ない様な映画ならそれは映画に非ずだ。

●美しい恋愛映画としてストーリーは良いし、アイディアも良い。これをもっと素直に純粋に映画として撮り上げたならば恋愛映画の傑作になりえたかもしれないのに、こましゃくれた引っ掛けや伏線を仕込むことに熱を上げて、素晴らしいアイディアの宝石のような輝きを、歪め、濁らせ、汚してしまっているのだ。

●韓国や中華系アジア映画]でいつも気になるところなのだが、作品の中に必ずと言っていいほどえげつない、ドロドロとしたシーンや状況が出てくる。美しいストーリーならばそのイメージを汚さないようそんなシーンは入れなければいいのに、と思うのに、なぜか必ず妙な場面が入っている。社会的弱者を徹底的に虐めるシーンだとか、身体的な部分や精神的な部分の異常さを取り上げ突付くようなシーンだ。この映画の中にもやはりそういう部分は見て取れる。

●自分も一回目に見たときは良く分からない部分、矛盾している部分、説明がなされていない部分があまりに目につき、なんだこれは? と非常に戸惑った。ネットでこの映画のことを少ししらべてから再見してようやく大体のストーリーが飲み込めてきたというものだった。(参考になったサイト ⇒ココ )

●台湾では岩井俊二の「ラブレター」が非常に人気が高いと聞くが、この映画のテイストは「ラブレター」に近いものがある。だが素晴らしいアイディアから生まれた素晴らしいストーリーを捏ねくり回し、切った貼った引っくり返したを繰り返した挙句、ダメな方向に引きずり落としてしまった作品と言えるだろう。 ダメになってもこれだけの輝きを持っているのだからきちんとつくっていたらきっと「ラブレター」を超えるような傑作になっていたかもしれないと思うのだ。

「言えない秘密HP」http://ienai-himitsu.com/index.html