『神童』(2006)

●メインキャストである成海璃子松山ケンイチの演技は良い。あざとらしさが少なく、わざとらしさは役者の顔や声、そして演技の個性で巧く包まれ観ていて嫌みが全然ない。脇を固める柄本明吉田日出子手塚理美らの演技は抜けがなく全く持って安泰。地に足をどんと付けた揺るぎない樹木のような演技。それを演技と感じさせない巧さ、自然さ。

●だが、話は芯が見えず、ご都合主義的展開がもう充分ですと言いたくなるほど出過ぎ。

●成海にしろ松山にしろ、ピアノの巧さや才能という部分を感じさせる部分が無い。「この子は才能がある」とセリフで説明されても映像としてその才能を感じさせる部分は薄い。

●高名なピアニストが公演のために来日したというのに、その公演をキャンセルして成海演じる13歳の少女に演奏させるなど、余りに飛躍しすぎあり得ない都合の良すぎる話には興醒めしてしまう。

●カメラの動かし方やそこから出てくるシーンにも良く見るようなカットが散見されるのは頂けない所。
(八百屋の前から二階を覗き見上げるようなシーンだとか)

●結局のところタイトルの神童という、幼くして天才と言える才覚をあらわした子供というものが映画の中でどこにも具現化されていなかった。この映画を見て成海が神童と言えるような天才的少女だと感じられるだろうか? 無理だ。そうなのだよと説明されても感じられなければ意味がない。

●この映画の役ではなく、その役者としての存在で成海璃子にはどしんと芯の通った将来大女優になる可能性を感じることは出来る。ちゃらちゃらしたアイドル歌手やその演技とは全く別物の本物の女優になる素養、その才能を成海の顔つきや仕草、醸し出す雰囲気から感じることが出来る。その意味でこの映画のタイトルである『神童』とは原作やこの映画のストーリー、役ではなく、成海の存在にこそ当てはめるべきかもしれない。

●映画としての『神童』は登場人物にまるで神童らしさなど感じない、普通の少女の生活ストーリーのようなものだが、映画とは別の部分で成海の神童さを垣間見ることが出来たという点で図らずもタイトルが当てはまる作品と言えるだろう