『女の子ものがたり』

●一言で言って、これは強烈な映画。『女の子ものがたり』なんていうほのかなタイトルから想起されるイメージとは激しく異なる。

●最初は田舎町に移り住んできた女の子と、学校や地域での女の子どうしのグループ化、対立、いじめなど、まあよくあるパターン化された展開だなと斜めに見ていたし、”汚い、臭い”と言われる女の子が綺麗な顔立ちで全然衣装も姿も汚くない所などに作りの薄っぺらさを感じていた。

●しかし、三人の友だちが成長し、高校生になり、大人の世界に首を突っ込むころから話は重くなっていく。表面的な軽さ、明るさを装いながらも、その実はずんずんと重さと暗さを増していく。

●チンピラ・ヤクザの男に憧れ、チンピラ・ヤクザに貢ぐ女。なんでそんな信用できない男を、裏切られるって分かり切ったよう男に従い、付いていこうとするのか?と腹立たしくなる。

●結婚しても旦那に殴られ、頭蓋骨まで陥没する女、それでも男の元を離れる気持は無い。

●主人公はそんな友だちを見つめながら、どうして? どうして? と思いつつも友だちを救うことなんかできない。なぜかわからないけれど友だちは悪い方へ悪い方へ、泥沼へ泥沼の底の方へと進んでいく。

●確かに、ヤクザの女になったり、どうしょうもないダメ男や暴力亭主にいつまでもすがり付いて離れられない女というのも多い。それは相手がどんなに最低でも自分より強いものの下に匿ってもらいたい、まもってもらいたいという希望なのだろうか? 殴られ蹴られ暴力をふるわれてもそんな男に就いていく女の気持ちが男には分からない。

●でも、主人公は黙ってそんな友だちを見つめている。助けてあげたいけど、友だちが選んで生きている道に自分は何も言えないと主人公も胸の苦しみを飲み込む。

●この町には未来も希望もない、この町の男はヤクザになって戻ってくるだけや、そんなセリフがあったかと思う。キツイ、救いようもないくらいキツイ状況だ、未来への絶望しかないなかで生きていかなければならないなんて。

●それでも、ともだちは、女の子は生きている。

●二人が掴み合って喧嘩をするシーンも強烈だ。痛々しいまでに。殴りあって、泥の中を転げまわって、出てきた言葉、あんたはうちらのことをバカにしている、あんたなんか大嫌いだ。それは悲痛なまでの優しさと思いやりの裏返し。あまりにも痛々しい、吐き出せない本当の思いやりを込めた罵詈。

●なんて痛々しいストーリーなんだろう。なんて痛々しい映画なんだろう。

●「この町から出て行け、もう二度と帰ってくるな!」友だちから吐きかけられたその言葉は、痛々しいまでの友だちの思いやりであり、自分に対して、自分が生まれたこの町に対して、この町が生み出し抱え込んで夢も希望も呑み込んでしまうものへの怒り。

●『ニュー・シネマ・パラダイス』で目の見えなくなったアルフレートがトトに伝える言葉と同じだ。『この町を出て行け、そして二度と帰ってくるな、お前が帰ってきても俺は会わない、何があっても二度とこの町に戻るな』

●国が違おうとも、田舎の町が若者の夢や希望を飲み込み、若者の足に鎖を縛り付け、未来に蓋をしようとする状況は同じなのだろう。人種、国、状況、時代が違おうとも、人間の営みはすべからく同じなのだ。田舎に住む者は、生まれた町を出て行かなければならない、どんなに苦しくても成功するまでもどってきてはいけない、田舎は夢や希望を押しつぶす。人の心を押しこめて田舎に縛り付ける。

●女性が自分の不幸を、自分の周りにある余りに酷い状況を自ら話す事は少ない。女性は人から羨ましく思われていたい、きらびやかでいたい、幸せだなって思っていたい、思われていたいものだから。男も同じだが、この思いは女性の方がきっと強いだろう。

●それなのに、西原理恵子はこれまで女性が隠し、見えないように装ってきた女性の不幸を、女性だから生み落とし、しがみ付いてしまう女性の不幸の業をあからさまに表に出して描いた。女性が今まで口にすることのなかった、ありふれた女性の不幸や苦しみを、白日のもとに曝け出した。こんなに女性の不幸を、自分の不幸を堂々と外に向かって描いた女性が他にいるだろうか?

だから、きっと、西原理恵子は多くの女性に支持されるのだろう。

●本当に痛烈なまでに、いたたまれぬほど痛々しい映画だ、ストーリーだ。余りの痛々しさに途中からもう目を背けたくもなってしまう。

●不幸にまみれて、夢も希望もなくして死んでいったともだち。唯一の希望は主人公が町を出て、成功すること、自分の分までも幸せになること・・・でもそれは余りにも悲しすぎる。

●都会で生まれ、さしたる不自由もなく、それほど裕福ではなくても、普通に育った人に、この映画の苦しみは分からないだろう。田舎というものは都会よりも状況が悪いというのではなく、状況はマイナスを通り越して地面の底に向かって深く沈みこんでいるのだ。その悪しき状況は昔も今も変わらない。いや昔以上に今は悪くなっているのかもしれない。

●この映画は閉塞感で密封された田舎で明日への希望も見つけられず、もう諦めてただ生きて行くことしか選択できなくなった女の子に希望を与えるだろうか? いや、希望を与えるのではなく、希望を掴み取りに行く動機を田舎の女の子に与えるだろうか? この映画を観た何千人か何万人かの女の子の中から、一人か二人でも、西原を目指して状況から抜け出そうとする人が現れるなら、この余りに痛々しい映画も未来へ伸びる萌芽を育む土と養分となることだろう。

●余りに痛々しくて、観るのが辛い部分もある映画だが、しかと目を見開いて見つめなければならない映画といえるだろう。粗も雑さもあるが、心に響く一作である。

『女の子ものがたり』大後寿々花インタビュー
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2009/08/6556/index.html

『女の子ものがたり』大後寿々花&波瑠&高山侑子インタビュー
http://movie.nifty.com/cs/interview/detail/090831036357/1.htm

●三人の友だちが自転車で海に向かうシーンが非常にイイ。この映画の中で一番に爽やかだ。
[:W300]
●高校時代までは苦しくて、貧乏であっても女の子三人の爽やかさのある青春。

●芯の強さが顔に出ている大後寿々花がなかなかイイ。
[:W300][:W300]
●思い出の壁の絵は、別れの場所ともなった。

[:W300][:W300]
●西原の役として深津絵里はベストキャスティングだ。イメージがぴったり。

☆2011-09-05 『女の子ものがたり』(再見)女の子の本当の青春映画
http://d.hatena.ne.jp/LACROIX/20110905