『プロメテウス』

・出だしから暫くのシーンは『2001年宇宙の旅』の明らかなオマージュ。船内の様子も食べている宇宙食らしきものも・・・。

・過去のエイリアンシリーズ1から4までと、時系列の整合性がない。あるように思えるが、時系列に並べてみると明らかにおかしな部分、矛盾が噴出する・・・つまり、脚本と時代設定、背景設定が全く練り込まれていないのだ。

・いや、練り込まれていないというより、練り込んでしまうと話が上手く流れなくなるし、脚本を書き、演出するのに制約が多く出てきてしまうから、しっかりとした時代設定の整合性は無視したのだろう。「面倒臭いからこの位いい、そこまで突き詰めなくていい、当たればいいんだ!」というスタジオ側の強引な論理で時代設定や背景設定の不合理、非整合性も「そんな細かいことなんか全部どうでもイイ!」と切り捨てられたのだろう。

・エイリアンの前日談と監督が言っているが、前日談としては過去のエイリアン・シリーズとの時系列の整合性は全然ないではないか。独立した別物語りとして撮ったというにしては、まるでエイリアン1の焼き直しだし、まるでリメイクのような内容・・・結局どっちつかずである。どうしょうもない。

・数々の、散々の期待は、話として最大にして散々に裏切られた。

・あのホログラム映像はなんなんだろう? 自分たちがエイリアンから逃げてやられる様子をホログラムで記録していた? それがちゃんと再生されるようになっていた? まったく意味ふめ〜なお話じゃないか。

・ウェイランド・コーポレーションの創業者だか社長だか会長が、もう老い先無くヨボヨボになって、プロメテウス号に実は乗っていて、その理由が命を永らえさせるために創造主(エンジニア)にお話を聞きその秘訣を教えてもらうのだ・・・って、アホか? 思わず吹き出してしまった。なんだそりゃ?って。しかもそのヨボヨボの足に補助機を取り付けて、通訳であるデイヴィットを連れて生き残っていたエンジニアに会いに行き「どうやったら死なないで済むの? 教えて?」と質問する・・・ハぁ?っともうこの段階でため息。でもってカプセルから出てきたエンジニアにあっさり殺される・・・って当たり前だろ、今まで見たこともない全く分からないそのエンジニアにそいつがどういう生き物かも分からないのに「ねえ君、ボクに長く生きる方法を教えて?」って武装もせず聞きにいくかっての? しかもそれを「お父さま」って・・・吹き出したよ、これで驚かすつもりだったのか? 科学が進んだ世界で知能指数も高い人物がそういうことするか?っての、デイビットはご主人様の部下だとしても「ご主人様、危険です、それは危ないです」って言うだろうっての。もうほんとになんだこのどうしょうもないお話と脚本は?

・いちばん美形のシャリーズ・セロンがヒロインになるのかと思ったら、なんだかツンツンしてるだけで、全然知性も感じられないし、魅力的でもない。他のキャストがそれほど有名ではない役者ばかりだし、やっぱり美しい女性の華が必要だからと飾りであてがわれた役というかんじだ。ヤメテヤメテ、ダメダメェ〜とまるで喘ぎ声でもだしてるように落っこちてきた宇宙船に叫びながら潰されちゃうというのも見ている方が失笑モノ、ある意味ビックリ予想外の展開で大笑い。

・で、「エイリアン」で力強い女性の象徴的存在にもなったシガニー・ウィーパーに代わる女優としてノオミ・ラパスを持ってきたのだろうが「ミレニアム」でのダークな印象はあるものの、まだこの女優にヒロイン的な強さはない。顔つきが少し丸くてぼんやりしているというのも原因かもしれないが、シガニー・ウィーパーのように困難な状況を切り抜けていく知的な力強さはないな。実際は自分で麻酔を打ち込みながら開腹手術を強行するなどの凄い場面もあるが(ここはなかなかエグかった)恐ろしい異生物や異星人と闘うという鋭さや尖った突き刺すようなところがない。ラストもいきなりそう来るか!という決断だし・・・。

ノオミ・ラパスは「ミレニアム」シリーズのヒロインとして名をあげたが、スゥエーデンの女優であり、有名なハリウッド女優を使うのとはギャラが相当に違うだろう。今回の「プロメテウス」では続編も含めた出演契約が交わされているというが、ハリウッド女優では続編まで含めたギャラとなると高額になるし「エイリアン」の焼き直しでヒットも読めない状態でなるべく製作費を抑えたいと考えたプロデューサーが海外の女優に目をつけたといったところか? ノオミ・ラパス側にしたらハリウッドの大作で主演を射止められるんだから出演料の交渉はある程度(かなりかも)妥協しても受け入れるというものだ。

・スタジオにとって大ヒット、ドル箱安定シリーズであったエイリアン・シリーズが第四作まで作ってしまって、第四作の最後じゃついに地球にもどってきて「これじゃ第五作は地球が舞台か?」と言うところまで来ていたのだが、どうしても第五作の脚本が上手く出来上がらず、つじつまも合わず、どうにも目茶苦茶な話にしかなりそうにないから、もう第五作は諦めて、別物語として新しい話、シリーズを派生させようとして「プロメテウス」という名前で全く新しい話を立ち上げることとした・・・のだが、結局それも斬新な画期的なアイディアは浮かばず、第一作の焼き直しで話を構築してしまっちゃったということなんでないかな?

・これは過去4部作のエイリアン・シリーズの中に時系列をあわせてどこかに入れるという作品ではなく、リドリー・スコット監督『エイリアン』第一作(1979)の30数年ぶりの焼き直し、リメイクとして独立した一本と考えたほうがいいだろう。ネット上にもあれこれ時系列がわからんだなんだという記述はあふれているが、ちょっと出来の悪い、脚本に粗だらけの失敗リメイクとして考えれば納得がいくし、映像は素晴らしいからまあなんとか満足もできるだろう。



剛力彩芽の吹き替え・・・ダメだこりゃ。壊滅的な酷さとまではいってはいないが、エリザベス(ノオミ・ラパス)の役を2,3ランク引き下げてしまっている。どう考えても声が幼稚過ぎる。話題作りのためとはいえこういった真面目な作りのSFホラーで剛力みたいな流行り女優、アイドルを使うというのはどういったものか? アニメや子供向け映画ならアイドル人気を使った話題作りも許せるが、この「プロメテウス」でその手を使うか? ヒロインであるエリザベスがガキンチョの声になり表現力も全然のセリフ読みで雰囲気もシリアスさも台無しにされてしまっている。

・トレイラー(予告編)に作品の重要部分ともいえる映像が使われている。ラストに近い映像まで使われている。・・・予告編段階でこういった重要な映像を出してしまう映画というのは、大概「ちょっと内容がヤバいからイイ場面をいっぱい予告編に入れてしまえ、予告編にイイ場面をたくさん入れれば観た人はそれだけ興味を持って、凄い映画になりそうだと思う、これは行って観ようという気持ちを作れるから、最初の動員を上げられる」なんていう魂胆が働いている。つまり予告編で本編の見せ場を見せてしまっている映画というのは、大概、本編がダメで予告編で客を釣ろうという程度の映画である。

・結局、人類の起源や創造主なんてのは全く分からないわけで、作品自体も「人類はどこから来たのか」を探求するというような哲学的要素は薄い。大企業の社長が自分が生き長らえたいから創造主をさがしてなんとか延命したいというのが(その程度が)話の元であり、人間の起源を探求するようなキリスト教文化に何をか言わんやというような崇高さや思想と思考の高さはない。じゃあ『人類ばどこから来たのか』という日本の宣伝文句はなんだ? このポスターやらネットで使われている宣伝用のキャッチコピーがデタラメ。海外ポスターやfacebookページにはこんな文言どこにもないから日本の配給宣伝が付けたデタラメコピーか?

アラビアのロレンスの映像を入れているのはなぜ? フォックスの映画にコロンビアの代表作を? アンドロイドのデヴィッド8(マイケル・ファスベンダー)は確かに「アラビアのロレンス」当時のピーター・オトゥールにそっくりではあるが・・・いやはや、なんとか話題を作ろうとあれこれ画策してるうちの一つだなこれも。

・だけど「2001年宇宙の旅」を彷彿させる古風なイメージ、ファッショのデヴィットは嫌いではない。というかデヴィットがこの映画のほんとうの主役か??


・大企業が揃えた一流の科学者達・・・のはずなのに、異星の地でちょっとした空気検査しただけでヘルメットを外してしまうとうのはお笑いだし、迷子になってしまった二人が突如現れた幼虫エイリアンにお馬鹿な酔っぱらいみたいに話しかけ、いかにも食ってくださいよといわんがばかりに餌食になるのも馬鹿らしい。なんなんだ、このお話の甘さは? 伏線の張り方もバレバレで、しかもご丁寧に説明しながら伏線を張っているなんて阿呆らしい。「私は妊娠しないの」と言いながらセックスして体内にエイリアンの子を宿すなんてもう見え透いてて呆れてしまう。

・エリザベスの開腹場面など、かなりエグい場面がいっぱいあるが、これは「エイリアン」でリドリー・スコットが描いたSFホラーの轍をしっかり踏襲している。

・フェイスハガーのあの不気味な様態がなくなり、エイリアンの幼虫はまんまチェストバスターになってしまっている。しかもそのチェストバスターが腹の中で成長したものがもう完全に”イカ”!! なんなんだあれは? NHKで見たダイオウイカか??(呆) 

・シガニー・ウィーパー演じたリプリーノオミ・ラパスが演じるエリザベスで置き換え、新しいヒロインを作り出そうとしているのか? んーシガニーの足元にも及ばないな現段階では?

・兎に角、設定から話の筋、キャラクターまでほとんど「エイリアン」を踏襲して多少現代風に修正をくわえたものであり、これはエイリアン・シリーズの続編やその中のどこかの挿話というものではなく、サイドストーリーというものでもなく、明らかに「エイリアン」の焼き直し、リメイクと言ってしまって問題はあるまい。

・ドル箱シリーズを派生させる脚本を手に入れることにしくじった、出来なかったスタジオが、もうどうにもならなくなって「エイリアン」と同じ話でもう一回シリーズを作ってしまえ!と強引にでっちあげたような作品。オリジナルをリメイクしてちょっと筋を変えてもう一回シリーズものにしてしまえば何作かはヒットを読める!という金勘定で作られたような映画だろう。プロメテウス2(という題になるかどうかはわからないが)という続編は確実だし、それがヒットしたら更に続編も作るつもりだろう。ん? このやり方どこかに似てるのがあったな? そうそう「ターミネーター」シリーズだよ、あれと同じで強引にかこつけてストーリーを引っ張り広げていっても、もう限界がミエミエでどうしょうもないドツボにはまって愚作を作りだしていく、あのパターンに似ている。

・結局この作品「ターミネーター4」と全く同類で極め付けのハリウッド的打算と金勘定の総体としてできあがったような映画と言えるだろう。

・単体として観れば、説明不足は多々だが映像がいいからSFホラーとして楽しめるものの・・・粗が多過ぎ。

・国内宣伝的にも”そのコピーは嘘だろぅ”と言ったもので期待を上げ、アイドル女優を使って話題作りをして、などと騙して客を引き込もうといういわゆる腐敗したマーケティングがあからさまにギラギラとしていて目に余る。映画の宣伝なんてもう手法は出尽くしていて、新たな斬新なアイディア、手法なんて殆ど無く、過去に誰かが行ったデータを並べて「これと、これを今回は使おう」ってやれば充分とも言える。下手な新しい思いつきなどを実行してしくじったらハリウッドのスタジオ側(利益の向上にしか目がない経営陣)はすぐに責任を取れ!となるから、結局は安全策が選択される。だから宣伝というものに創造性だとかクリエイティブな面はなくなり、過去のアイディアの焼き直しで多少のアレンジを加えたもので殆ど充分となる。とどのつまり、作品も宣伝も今の状況では煮詰まってしまっている。映画においてはプロの宣伝担当よりいかに過去を勉強し、最も安全で効率のよいものを選んで実行すればいいとなってくる。誰だっていいとなってくる。なんてね、ここまで言いたくなるような作品と、嘘をついてもなんでもとにかく初週の動員を上げろという企みが見え透いた宣伝。そういったものが寄席集まってできた、妥協と虚偽の産物・・・そういう映画となるか?・・・・今回は辛口過ぎるか?(-.-;)

2017年11月追記

・BS洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」が吹替版を新録して12月3日に放送するらしい。だろうな、もう主役であるエリザベス・ショー博士の吹き替えを剛力彩芽にやらせたのは歴代の映画吹き替えでも最低最悪のトンデモない馬鹿宣伝部のバカキャスティングだった。もうあれはないと思っていたら、公開から5年以上経てようやく主役にきちんとした声優を使って新しく録音したバージョンが出るらしい。映画会社のおバカな若造宣伝マンの低レベルな施策思いつきで作品の価値を大幅に落としたんだから、ここはいっそ今まで出しているソフトも全部廃盤にして新しい吹き替えを再発したほうがいい。と・・・なると、剛力吹替版がプレミアになったりするかもしれないがね。まあ、どんな感じなのか観てみる聴いてみることとしよう。
[:W600]