『鴨川ホルモー』(2009)

●ホルモーという言葉に類義する他の言葉はない。このタイトルを聞いた時は「最近のホルモン人気にかこつけて、京都の鴨川でホルモンを食う映画だろうか?」程度にしか思っていなかった。

●大学生の青春映画として描いているのかと思えば、そんな匂いは薄く、恋愛の部分に焦点が当てられているのかと思えばそうでもない。一体何を描いている映画なのかと考えたが、結局小さなオニが対決するだけの映画だ。ホルモーと呼ばれる鬼対決を主軸として、肉付けされている恋愛、騙し、失恋、片思い、友情といったものはぴらぴらの付箋紙が貼り付けられているかのごときであり、話を太くも深くもしていない。CGIで描かれた鬼と、奇妙な言葉と格好で鬼語を話す役者の姿以外にはなんら面白味も興味もわかない映画であった。

●確かに今まで見たことも聞いたこともない奇想天外ではちゃめちゃでオリジナリティー溢れるストーリーなのだが、ただ奇抜な話と映像を2時間観ていても感動もなければ、感激もない。鬼の対決にばかり焦点が当たっていて、観る者が何かを感じるような話の面白さがどこにもないと言っていいだろう。

●役者が「ゲロリンチョー」などと変てこな言葉と仕草で鬼に指示する姿は面白いが、それも一瞬のものであり、一つの描写が面白くても、それが繋がって面白い話になっていなければ何の意味もない。

●阿呆の満開といわれているが、変な格好と変な言葉以外はそれほど阿呆に振り切れてもいるわけでもない。阿呆をやるんだったらもっと徹底的に観ている者が引いてしまう位の凄さでやってほしいものだ。

芦名星が演ずる小ずるい女性も小悪魔的ずるさやあくどさは全然なし。

●安部(山田孝之)に片思いする楠木(栗山千明)にしても、二人の絡みに片思い特有の甘酸っぱさだとか切なさといった感じも出ていない。

CGIで描いた鬼の対決にしろ、人間は変な言葉で動きを命令するだけで、対決に汗臭さも、迫力もない。ちっちゃい鬼たちの頭上で歯を食いしばって鬼語で命令するだけの人間に対決の緊迫感、緊張感が出ているわけでもない。

●変な言葉、変な格好、無数の鬼、それ以外には観るべきところが無い映画だ。

●原作物映画では映像を観ていると、まるで小説のセリフをそのままなぞって喋っているだけで、映像の裏に小説の文字が見えてしまうようなものも多い。その点この「鴨川ホルモー」に関しては、原作の影がまるで見えないどころか、こんな奇想天外なストーリーが小説でどう描かれているのか全く創造出来ないほどだ。ある意味この映画は小説を完全に咀嚼し、小説の主要な要素だけを抽出して完璧に映画独自の作品として仕上げられている。

●しかし、小説であろうが、映画であろうが、最終的に大事なのは感動や感激であり、奇天烈な映像をいくら見せられても物語に何かを感じられなければなんの意味もない。

●京都に住んでいたり、京都の学生だったり、そういった人にはあれこれ自分の知っている風景が出てくるので、それだけでも面白いかもしれないが、それはご当地を知る人に限ったこと。まるで関係ない人にとっては、あまりにご当地モノ的に映画を作り過ぎると白けてしまう部分がある。

●結局この「鴨川ホルモー」という映画には物語そのものの面白さが欠けていて、ただ単に鬼が対決する映像を見せつけられるだけの映画に終わってしまっている。

スター・ウォーズEP1で数え切れないほどのドロイドがそれぞれ別個に動いているのを観て「これは凄いなぁ、この映像の裏でこの動作を表現するためにどれだけの計算がされているのだろう」と溜息をついたことがあった。『鴨川ホルモー』でもかなりの数の鬼たちが別個の動きをし、京都の街を人間と一緒に走り回る映像も実景との違和感がまるでない。CGIの技術は日進月歩であろうが、日本のCGもここまできているなら、もう何でも描くことが出来るだろう。

○ちび鬼が駆け回る映像を観ていたら、 『To(トゥー)』の特典映像で監督の曽利文彦が「予算の桁が違うからハリウッドはコンピューターで凄い映像を作れるけど、もし予算も同じでよーいドンで一緒にスタートしたら絶対に日本が勝つよ」と言っていたことを思い出した。これだけの映像を作れるのだからそろそろ日本から世界に打って出るような凄い映像の作品が出てくるかもしれない。

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