『ゴールデンスランバー』

●原作はいくつもの賞をもらった読んで確かに面白い小説であった。だけど日本で首相暗殺、国家の闇の組織、巨大権力が一人の男を犯人にしたてあげるという話は、いくらケネディー暗殺をもとにして作った話だとしてもなんだかあまりにアメリカ的であり、この話は日本的じゃないなぁという思いがしていた。エンターテイメント小説なんだから背景や設定というのは仮想の中で楽しむためのものであり、あくまで話として楽しめればいいのだから、そう頭のなかで割り切ってしまえばストーリーとしては非常に面白い小説である。

●だが、この小説が映画になると聞いたときには「んー、ちょっとどうかなぁ?」とまた思った。 「実写で映画にしてもあまりに日本的じゃないし、日本映画に馴染みにくいような話の内容だから、果たして巧く行くのかなぁ?」と思った。このお話をリアルに表現しようとすればするほど嘘っぽくなるだろうし、いくら小説が仙台を舞台にしているとはいえ、仮想のお話を現実の仙台の街で撮影したらあまりに非現実過ぎて白けた映画になってしまうんじゃないか?とも思った。

●映像に、風景に、シーンに、迫力やリアリティーを出そうとすればするほど、迫真のシリアスな逃走劇にしたりすればするほど、現実からどんどん乖離していって、嘘っぽさがだけが際立ってしまうじゃないか? これはどう映画にしても日本的じゃない話の設定なんだから、実写映画にしたら極め付けのへんてこ映画になってしまうんじゃないだろうか? そうも思っていた。

●だが、さすがにその辺りはこれまで一番に伊坂作品を巧く映画化してきた中村義洋監督、こうしたらまずいだろうなとか、こういうふうに描いたらしらけるだろうなという部分は見事にクリアされていた。この作品を、一人の男が罪をかぶされて追いつめられ逃げていくという、手に汗握るシリアスな話ではなく、青春映画、仲間が助けあう友情や信頼という部分にこそ重きをおいた映画として作り上げていた。シリアスなサスペンス映画ではなくて、人と人との信頼関係、青春の思い出、恋愛、そういったものの温かさや、懐かしさ、美しさを感じさせるエンターテイメント映画としてきっちり作り上げられていた。

●思うに、この映画、というかこの小説、このストーリーの大きな問題点は、テーマとして描きたいのが人と人との信頼関係だとか、恋だとか、青春のほのかに甘酸っぱい思い出なのに、それを盛りつけているお皿が、大統領暗殺だとか、国家巨大権力の暗部だとか、テーマとして描こうとしているものとその入れ物である背景が余りに乖離した馴染まぬ事柄を組み合わせているということだ。

(A)首相暗殺、濡れ衣、巨大権力の陰謀・・・・映画を見る前にそういう宣伝文句だけを耳にしていかにもアメリカ映画的なサスペンス、シリアスな社会派映画だと思ってこの映画を観てしまったら、なんじゃこれ? っと思ってきっとずっこけるだろう。そういうことを描こうとしている作品じゃないんだから。だけどハリウッド映画のスタイルに良くも悪くも毒され慣らされている映画ファンなら、無実の男、首相暗殺犯に断定なんてPRコピーを読んだら、そう思っても当然。邦画がハリウッド的なサスペンス、クライムアクション映画を作ってんの? どんなのだろう? と思ってこの映画をみてしまったら、なんだこの映画は!!と怒ってしまうかもしれない。

(B)でも最初に小説を読んでいて、この「ゴールデン・スランバー」が首相暗殺だとかずいぶんキナ臭いことを扱っている小説なのだけれど、ハリウッド的な展開の映画とは違って、本当に描こうとしているテーマは恋愛とか青春とか、人と人とが助け合うこと、その信頼の大切さだということにテーマを置いた話なんだとわかっていれば、きっと納得してこの映画を観ることが出来るだろう。

●観る前の作品に対する予備知識、先入観、それによって形成される観る前の心持ち、映画を観ようとするスタンス。シリアスなサスペンス、クライム映画と思ってこの映画を観るか、小説などを読んでいて、この話の中心は仲間の信頼関係だとか、恋愛ものなんだと分かっていてこの映画を観るか、観る人の観る前の心持ち、映画を観ようとするスタンスによってこの映画は良しともされるしダメともされるであろう。一つの映画の中に入っているのに(A)と(B)は余りに違いすぎるからだ。

●ストーリー構成の巧さとして首相暗殺や国家の闇といったヘビーなもののなかに、恋愛や青春といったものを巧く馴染ませてはいるけれど、この二つは両者がまるで交じり合わぬ素材だからなんだかちょっと話全体にしっくりとこない違和感が残る。首相暗殺、学生時代の甘い恋愛、人と人との助け合い・・・こんな石ころと美しい花のような素材を組み合わせて一つのストーリーにしたのは伊坂幸太郎の力量ということで凄いのだけれど、馴染み合わぬものを一つの器に入れてしまっているから、いつまでも違和感は残り続ける・・・それがこのストーリーの大きな問題点であると思う。

●映画批評というより小説批評になってしまうか?これでは・・・・笑

●自分としては小説を読んでいたおかげもあり、シリアスなお話は端から考えておらず、逃げる主人公とそれを助ける仲間達という部分で小説を思い出しながら映画を観ることが出来たのでそれなりに楽しめた。小説でもそうだがキルオの登場の仕方だとか、キルオが青柳を助ける動機だと化という部分はちょっと???ではあるけれど、浜田の演じるキルオのヘンテコさがまた面白くてまあこまかいことはいいか?という気持ちになった。

●前半で、堺雅人のあの篤姫の夫のときのようなちょっとおバカさ幼稚性をだした、ようなシーン、演技はなんだかもうちょっとわざとらしすぎて嫌である。

●土砂降りの雨に服まで濡れて草むらの中に隠していたカローラに青柳と晴子が逃げ込むシーン。このときの竹内結子はなかなかエロチック、竹内にエロチックな部分を感じることは今までほとんどなかったのだが、このシーンの竹内はなかなかである。というか映画全編の中でもそういう艶のあるシーンはここだけかな? 貫地谷しほりの「死んじゃう死んじゃう」のシーンは完璧に笑いを取るギャグだったし。

●ショトガンを冷徹に打ちまくる永島敏行はこの映画の中で一人一番極悪という風体で凄みが際立っていた。

●正直、逃走劇の映画なのにスピード感やドライブ感というものは余りない、どちらかといえばたらりたらりとストーリーは流れている。

●首相暗殺、巨大権力の陰謀・・・といった話に似あうようなスケール感も、この映画にはない。まあテーマがそれではなくて、青春や恋愛や人間関係なのだから大きなスケール感があったらあおかしくなるのでこれでいいのだけれど、 また繰り返すけれど、やはりこの「ゴールデン・スランバー」のストーリーは、随分とどでかい話と、とってもこじんまりとした仲間の話が同居していて、スケールの大きな大作映画のような話のなかに、私小説的で単館系恋愛映画のようなこじんまりとした話を同居させているのがえもしれぬすっきりしないモヤモヤ感の部分なのだろう。

●花火のシーンもとってもいいし、青春とか恋愛とかの部分を切り取ってもう少し話の大きさが同じ位の別ストーリーと組み合わせていたら、それはそれで良い作品になっているかもしれない。

●宣伝もたっぷりだし、1月末に大々的に全国公開された作品ではあるのだけれど、なんだか話としてはそんな全国公開するようなスケールのものではなくて、小規模公開された「フィッシュストーリー」と内容的には同じような感じである。

●小説の方でも一番気に入っていて、とても面白かったのがラスト近くで青柳の父の元に届く手紙のシーン。青柳の母と父が差出人の書いていない不審な手紙を開けて、中に書いてある文字を見たときの反応、これは映画でも好い感じに再現されていた。このシーンはちょっとジーンと来た。先輩ドライバーの浮気を告げ口する下りも楽しい。

●原作にあったセキュリティー・ポッドの話は取り除かれている。これは賛成!  原作のセキュリティー・ボッドの話はちょっと突拍子すぎ。映画では携帯と町中にある監視カメラで十二分に人の動きは見張られていると描いていた。

●映画の冒頭で晴子の一家がエレベーターに乗るシーンは、小説のラストをしっていると「え、これじゃ話がおかしくなるんじゃないの?」と思ってしまったのだが、ラストで繰り返されたそのシーンできちんとつじつまが合わされ、「たいへんよくできました」のハンコを押すシーンも、上手に組み込まれていて、冒頭で感じた疑問もすっかり拭い取れた。

●まあ本当のことを言えば、青柳の両親が手紙を開けるシーンがよかったから、その後もずっと最後の最後まで気持ちの良い晴れ晴れとするようなストーリーが立て続けにでてきて、もっとすっきりした気持ちで映画を見終えることができれば最高であったかな? ちょっと最後の最後は不完全燃焼気味。

●それでもまあ娯楽作品としてはなかなかに楽しめる一作であることは間違いあるまい。