『奇談』(2005)

諸星大二郎原作漫画の映画化では『妖怪ハンター ヒルコ』についで2作目?

●原作漫画はマンガであるからこそ許される特異さ、話の奇抜さ、その着眼点の凄さというものがあったのだが、これをそのまま実写映画にしてもだめだろうなと思っていたが・・・その通りであった。

●2005年当時、世の中的にはホラー映画のブームがまだ続いていたし、そのブームに乗っかってホラー物映画を作ってヒットを狙おうとしたのだろう。しかし諸星大二郎はホラー系のマンガを描いている作者だとしても、原作の『生命の木』はホラーではない。『生命の木』はキリスト教の生誕と復活、日本の隠れキリシタンの歴史などを漫画の題材にしたある種宗教哲学的な内容の物語だ。それを真摯に映像化しようとすれば『ダ・ヴィンチ・コード』のような宗教史に異を唱えるかのような映画になったかもしれないし、そう安々と映画化できるような内容でもない。しかも漫画という世界だから許容できた表現も、実写となるとどう考えても今の日本という国、風土、歴史にキリスト教というものが馴染まないし、ましてやそのキリストがこの日本で復活をするという話はあまりに突拍子もない話になってしまい、とんでも映画になってしまう可能性が非常に高い。そして予想道理、この映画はあまりに突拍子もないとんでも映画になってしまっていた。

●ホラーではないものをホラー映画にしようとし、あまりに難解な原作漫画を映画化する題材として選んだことに、この映画製作者のとんでもないミス、始まりからの失態があると言ってしまってもいいであろう。

阿部寛は面白いキャラだし嫌いじゃないのだが、この格好でこんな役柄で出てこられるとすべて『トリック』にキャラが被さってしまう。これは完全なキャスティングミスである。原作の稗田のイメージとも阿部のイメージは繋がらない。公いった部分もこの映画の大ミス。稗田は別の役者にすべきであっただろう。

●結局イエスだユダだパライソだというズーズー弁と関連づけられた言葉の意味は、稗田役の阿部があれこれ口頭で説明して話をまとめている。これはもうひどい脚本。あれこれ説明されてもこの作品を観た人は原作を未読であればいったいこの映画何を描いているの?とほとんど理解できず、訳の分からぬ映画としてしか記憶に残らないであろう。

●巧く作れば『八つ墓村』『犬神家の一族』のような古い日本の風俗の中にある不気味な物語として成功したかもしれないが、なんにせよ選んだ原作が『生命の木』でイエス・キリストが日本に居たという話であるから、やはり無理がある。

藤澤恵麻はこの映画が初出演ということだが、壇れいに似た和の美人といった顔つきでなかなかいい・・・と思ったのだが、ラストで「結局どちらが幸せだったのだろう」などというもうありきたり過ぎるセリフで話をまとめさせているのはあまりに酷い。せっかくの役をもらったのにこれではどうにもならないなと思ってしまう。酷い役をあてがわれてしまうとその後の役者人生にも影響が出てしまうのだが、これではなぁとがっくりと来てしまった。

諸星大二郎の作品は非常にマニアックなファンが多いし、一種異様さはあるがやはり唯一無二の世界観を持っている。
『生命の木』は見方によってはエキセントリックな作品でもあるのだが、諸星作品の中でも非常に人気のある名作と呼ばれている。そんな難しい作品を映画化しようなどと思いつき、チープな作り、練りこまれていない脚本、短絡的なキャスティングなど、目を覆いたくなるような作り方をされたこの『奇談』は正直またしてもというかんじで、諸星作品をトンデモ映画として多くの人に認識させてしまうことになってしまっている。

●これは一重にプロデューサーや監督などの作品に対するちゃらんぽらんな姿勢が表に露見したものであろう。
[:W300]