『となり町戦争』

小説すばる新人賞受賞作品の映画化・・・・ということだったが、話題にはならなかったなぁ。宣伝なんてやってたの?って思うほど映画化の話題は薄かった。

●ちょっと古本屋によったときにオススメ本の所にこの「となり町戦争」が並べてあり、ああ、そういえばまだこれも見てなかったなと気が付く。ハードカバーの帯にはこんなことが書いてあった。

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選考委員絶賛選考評

井上ひさし<このすばらしさを伝えるのは百万言費やしても不可能>

五木寛之<卓抜な批評性か、無意識の天才か。いずれにせよ桁はずれの白日夢だ>

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●この二人がここまで絶賛してるというのも凄いな、この二人がそんな持ち上げをするとも思えんし・・・・小説はまあ、映画を見てから気に入ったら読んでみるか、とにかく家でこの映画見てみようかな?と思った。

●しかし、これはまた見ているのが辛くなる程に、詰まらぬ映画だった。これはあんまりやっちゃいけないことだが、余りの面白く無さに早送りすらしてしまった・・・・。

●原作に取ってもこれは悲劇であろう。映画を観て、面白い、原作も読んでみたいと思わせるくらいでなきゃ小説を映画化した意味など無い。しかしこの作品では「こんな話しなら原作も相当に詰まんないんじゃないの?」と思わせるに十分すぎる程のほんとうに詰まらない作品だ。

●がっしりとした演技をしていたのは瑛太位に思えた。他の役者のあのあまりに態とらしくベタベタなギャグ演技は一体何なのだろう? いやこれは役者が悪いのではなく、こういう演出をした監督の責であろう。役所の役人たち、そのほかの脇役、もう殆どの登場人物の見るに堪えない演技演出に続けて鑑賞するのがイヤになるほどだった。

●最近良く同じようなことを書いているが、ただ説明してる、ただストーリーを表面的になぞってる、そんな邦画が多くなっている気がする。この映画に至ってはその極みとも言えるのではないか? 感情も熱もないストーリーがただ流れていく、そんな感じだ。

●そう、この映画が見るに堪えない理由は・・・・映画の中から全然作り手の熱だとか思いが伝わってこないというところだ。出来上がった脚本のUトーリーの流れを、なんら思いを込めた演出もすることなく、ただなぞっている。だから本当に表面的で人形に喋らせてるような何の面白みも、高揚ももたらさないトンデモ映画になってしまっているのだ。

●確認したら脚本と監督は同じ渡辺謙作、そして菊崎隆志という名もある。そもそも小説の脚本化にまるで熱を持っていなかったのではないのか? 小説の大きな流れだけ辿って、小説の中のイイ科白だけを抜き取ってそれを時系列に並べただけ・・・そういう感じだ。もしそうだとしたら、原作が不憫だ。

●やっつけ仕事でヒット小説を脚本に起こし、やっつけ仕事で映画を撮った・・・・そうとしか思えない。映画の中から、何かを伝えたえたいとか何かを表現したいなんていう、ほんの少しの情熱も熱意も、思いも・・・感じられない、これほど感じられない無機質な映画は先ず無い。

●小説が映画化されるというのはそのストーリーを書いたものにとって嬉しいことであろうが、こんなどうしょうもない形の映像にされ、小説の中身まで詰まらないだろうと思われるような映画が公開されたのでは・・・小説家が可哀想である。

●50万部超のヒットとなったとはいえ、まっさらな新人作家だから、映画化権もさほど高くはなかっただろう。まだまっさらな新人だから、映画の脚本や内容にあれこれ文句を付けることもできなかったのであろう。(原作者なのに)。制作会社は小説50万部ヒットという看板だけを安く買い上げ、安い監督に脚本まで書かせ、脚本料も監督料も抑え、収益率の高い商売をもくろんだのだろう。観客はシビアだ、宣伝や小説の知名度だけで映画の動員が伸びるわけではない。製作にあたって社内をまとめ金を出させるには都合の良いネタであっても、出来上がった作品はその作品として評価される。その作品の在りのままの姿がさらされる。・・・・・ほとんど話題にもならず、映画化を知る人も少ないような映画だが、日本映画の傷口はここにしっかり広がっている気がする。

●監督の渡辺謙作鈴木清順の「夢二」の制作に携わったことから”鈴木清順の愛弟子”と呼ばれ映画監督の道が開けたということらしいが・・・・
鈴木清順は”愛弟子”に何を教えているのだろうか? 
会社組織の中では、創業者だとかで権力を持っている年寄社長なんてのが、まだ実力もない年齢の若い社員をやたら重用し、役職につけたり、飛び越し出世させて事業任せたりってことことがよくある。そういう社長の言い草は「自分は若い力に期待してるんだよ」「若いやつには可能性があるんだよ」「もっと責任のある仕事をさせなきゃならないんだよ」とかである。だいたいそういうのは年寄社長のエロ企みで「自分を良く見せたい」「社内で器量の大きい社長だと思われたい」「既存のルールに囚われない自由な発想を持っているんだと思われたい」なんていう虚栄心満杯のスケベ根性の表れなんだけれど、そういうエロ社長のスケベ根性は組織の構成も無視して社内をグチャグチャにしたりする。鈴木清順の愛弟子・・・なんか似たような感じなんじゃないのか・・・・この映画を見るとそんな風に訝しく思ってしまうのだが・・・。

渡辺謙作の次回作は10月公開の「フレフレ少女」ということだ。新垣結衣を使ってるから話題にはなるかもしれないし、三矢サイダーのCMも大夫前から流れてて、学ラン着た新垣は新鮮な感じだった。さて、この次回作はどうなるか? 幸いなことに渡辺謙作は脚本は担当していない。それはいいことだろう。しかし脚本の橋本祐志はずっとテレビシリーズでやってきた人・・・・・この組合わせ。人気女優におんぶした映画になるんじゃないかと予想するが・・・どうだろうねぇ?

●余りに酷い映画であったから原作もこれは相当に詰まらんだろうと思ってしまったのだが、文庫版でも見つけて読んでみるかな?

追記:原作小説のレビューなんかを読んでいたら、原作も抑揚なく、詰まらない小説だ、なんて書いてるのが多いようだった。だとしたら、この脚本は、この映画は原作のテイストを忠実に再現してるということか?????? 脚本と監督の酷さをイッパイ書いたが、原作に引きずられてたのか?と少し思ったりして。だが、詰まらない作品ということはまるで変わりない。