『パンドラの匣』

●キャスティングは良い。いかにも昭和初期といったの雰囲気を持った女優たちは美人というのではないのだが、レトロな雰囲気を見事に顔に表している。作品の時代背景などにもマッチした見事なキャスティングと言っていいだろう。芥川賞作家川上未映子の起用は最初、どうなのそれって?と思ってはいたが、演技にわざとらしさが抜けないまでもこの顔つき、気だるい目つき、雰囲気は作品の中にしっくりとはまりこんでいる。仲里依紗,kikiと見事にレトロ顔の女優を揃えている。この映画は女優陣のキャスティングで引っ張っている部分が非常に大きい。

●そして美術だ。結核療養所の古びた木造小学校のような建物が実に良い。画面の色合いから階段や門の擦れ具合、実に良い雰囲気で昭和初期の雰囲気を再現している。当時を感じさせるような絵がスクリーンに映し出されている。良い雰囲気がスクリーンから漂ってきた・・・・・・。

●だが、肝心の話が全く持って面白みが無い。眠気が繰り返しやってくるほどに詰まらない。

●「この世に不幸をまき散らしたパンドラの匣の片隅に希望の文字の書かれた小さな石ころを見つけた。絶望の果てにほんの小さな砂粒ほどの希望の光をみつけ、生きていく望みを繋いだ・・・・」というのが太宰治の小説のテーマであり、この映画のモチーフであり、テーマなのだろうが、病弱、敗戦、結核医療といった絶望、まったく未来に向かう明るさのない状況が、この映画から伝わってこない。この映画のなかに絶望感などどこにも感じられない。敢えてギャグとしてそうしたというのもあるかもしれないが、そういうわけでもあるまい。

●主人公である染谷将太にそういった悲壮感がまるで滲んでいないのだ。生が良すぎる。爛と輝く染谷の目には病弱からくる絶望感も、結核にかかった絶望感もなにも感じられない。健康的で明るい青年の顔でしかない・・・・絶望から立ち上がる主人公にたいしてこれはミスキャスト。女優陣があまりのナイスキャストに比して男優人はミスキャストだ。

●窪塚も敢えて使う必要があっただろうか? なんだかさして意味を感じない役であった。主人公の心の動きを出す対比的な存在ではあるのだろうけれど、なんとも深みの無い人物としてしか感じられない。

●ラストも蛇足にしかかんじられない・・・・

結核療養所にいる患者もどうも結核患者というような暗さも重さも不安もなにも感じられない。普通の人たちだ。この人たちと、この結核療養所には暗さがまるでない。敢えて青春ドラマに仕立てたという話もあるようだが、これでは「絶望の果てにかすかな希望を見出す」というストーリーが成り立たない。

結核療養所という場所でそんな中でもはつらつと元気に生きる女性達を描く。その無邪気にも見える輝きがパンドラの匣の中の小さな希望だというのだろうか?それはあまりに短絡的だ。パンドラの匣という小説の妙にに明るいところばかりをつまみ上げて映画にしているような感がある。ストーリーの根底にある絶望がまったく絵から滲んでこない。だから、その絶望のなかから希望を見出すという人間が生きていくための積極的な動機が見えてこない。主人公の心の変化も見えてこない。これはストーリーとして片手落ちであろう。

太宰治生誕100周年・・・いろいろ映画は作られているようだが、さしたる話題もないから無理やり結びつけてなんとか衆目を飛行としているという程度にしか感じられない。