『いけちゃんとぼく』

●八月はまるで観たいという作品がなかったのでそんな月もあってもいいかと思っていたが、これなら観ておいても悪くないかなと思い突発的に鑑賞。

●「夏を過ごした男の子は日向の匂いがする」っていう、いけちゃんの言葉がとても印象的であった。

●前半の子供の喧嘩話の繰り返しはかなり退屈であった。何度も時計を気にしてしまった。いじめっ子といじめられっ子、そして町毎の遊び集団、その対立、それがある瞬間から和に変わるという話は悪くは無いのだが、あまりに同じようないじめ、喧嘩のシーンがだらだらと続くのは展開がまだるっこし過ぎる。いけちゃんとの会話やお母さんのエピソードがなかったらかなり辛かった。

●全体としては正直言ってかなりギクシャクした作りの映画である。完成度が高いかといえばそれは全く違う。短絡的な話の繋がり、落とし方はご都合主義としか言い様がない。しかし所々に出てくる懐かしさを感じさせるシーン。台詞によって気持ちは最後まで映画に引き止められていた。

●なんにしても、いけちゃんの造形、表情などがとても良い。つるんぺろんな顔と真ん丸くて真っ黒いだけの目(たまに三本線になったりしているが)、そして色、これだけでなんと多彩にいけちゃんの感情やこころの動きを表現していることか。観ている側につるんぺろんのいけちゃんの心の動きがはっきり見えるようだ。これは蒼井優の台詞のよさもあるだろうけれど、いけちゃんのCGを担当した人たちの心のこもった巧さのなしえたものだと思う。さして表情変化を出せないいけちゃんがこれだけ内包する感情を観る側に伝えてきているというのに、昨今のアイドル歌手や若手の俳優はいかようにも表情を変えられるのに、ただ声の大小、口と目の明け広げでしか感情を表現しようとしていない。まるで役の心が役者から伝わってこない。生きている人間よりもいけちゃんのほうがよっぽど心に伝わる演技をしているということに驚かされる。

●一言で言ってしまえば余りにも簡単なストーリなのだ。だけど、そのとても単純なストーリーがなぜかとても切ない。懐かしい。哀しい。思い起こして楽しくなるような思い出ではなく、胸がキュンと締め付けられて苦しくなるようなそんな思い出。甘酸っぱさよりもちょっと悲しさを含んだような思い出。そういったものがたくさん映画のなかにちりばめられていて、観ている自分自身の胸までが苦しくなってくるような映画。辛い悲しさではなくて、もう戻ってこない思い出に対する悲しさ。素敵だった時代、物事が通り過ぎて遥か過去にある悲しさ。そんな切なさや悲しさがチクチクと胸を刺すような映画であった。

●成長していって親からどんどん自立していく子供の姿。そんな子供の姿にとまどいつつも自分も強く生きようする母親のともさかりえも近年にないいい役を演じている。自転車を押しながら夜道を歩く母親のともさかりえが、ヨシオ以外には見えるはずのない、いけちゃんに向かって「ありがとう、いつも支えてくれて」と言うシーンが物凄く良い。「え、僕が見えるの」と驚くいけちゃんの表情もイイ。「見えないけどいつも感じていた」と、ともさかりえが語ったときは思わずジーンと来て目頭が熱くなってしまった。

●確かに、これは子供向けのファンタジーではなく、大人向けのファンタジー、ある程度歳をとって人生の酸いも甘いもかみ締めた大人こそが共有する切なさと悲しさの映画なんだろう。子供の成長物語というよりも大人の懐古の物語といったほうがいいかもしれない。「少年時代」や「20世紀少年」などが表現する子供の世界とは全然違うアプローチなわけだから。

●映画を観ているとき、後ろの席で喉を鳴らす音や、鼻をすする音が聞こえていた。劇場を出ると売店でパンフレットを買っている人が泣いていた。西原理恵子原作のこの映画は、たくさんの人に涙を流させる切なさを持っているんだとはっきりと分かった。

●「絶対泣ける本第一位」・・・そんな本はまず100%手に取ることは無いのだが、この本は読んで見たいと思った。

蒼井優のいけちゃんの声はやはり巧いと言えよう。鉄コン筋クリートのときとまんま同じじゃないかとも思ったのだが、ずっと台詞といけちゃんの表情を見ているとまだ20数歳の蒼井の声ではなく、もう年老いた池子の声をちゃんと表現してるんだなって思った。いけちゃんの台詞も声も、何気なく聞いていたら何歳の声かなんてわからないけれど、だんだんと年老いた池子の声なんだなぁって年齢が見えるようになっていった。この辺りは凄くよい!

●なんにしても、いけちゃんが一番の名演技をしていた映画であり、とても切なく、悲しく、涙もろくなってしまう映画であった。夏の日の一日に観る作品としてはとても良いものに出会えたなぁと感慨深い思いになった今日である。