『パーマネント野ばら』(2010)

菅野美穂の演技がなかなかいい、それに引けを取らず共演している女優陣の演技がまたいい。菅野美穂の悲しさと寂しさと侘びしさを湛えた表情は、表情だけで何十何百の台詞よりも心を伝える。菅野美穂ってこんなに内面から染み出す演技を身に付けたのか、これは歳とっておばあさんになったころにトンデモない位の名女優になるかもしれないな。

小池栄子にしても池脇千鶴にしてもなかなかの演技をしているのだが、動きでもしゃべりでもなく、ただ黙っているだけの表情でこれだけの演技をしている菅野美穂と並べると、見劣りしてしまう。夏木マリパーマ屋に集うおばさんらもイイ味だしているんだけどね。

・ぐっと息をこらえ、いらぬ抑揚をおさえ、じわじわと染み込んでくるような痛みと悲しみ。ふーむ、こういう話し、脚本と演出だったのかと驚いた。原作をサイバラ漫画の映画化と聞くと、もっとはちゃめちゃなものを想像したが、まったく逆で、まさかこういう内容になっているとは、本当に驚き。

・映画化の話しが出たときに原作漫画を読んだのだが、映画のストーリーと漫画の記憶が全然繋がらない。改めて原作漫画を引っ張り出して読んでみたが、なるほど、結構大きな話しの改変が加えられていたのか。改変と書くと悪い印象がつきまとうが、原作の一部分を膨らませもっと分かりやすく具体的に話しを変え、登場人物を加え、主人公の悲しみをじわりと浮かび上がらせているのだから、これは脚本の妙である。

・脚本:奥寺佐渡

・ただし、この作品はかなり観念的、情緒的な方向に内容を傾けているので、それがサイバラ作品の根元に横たわっているものだとしても、漫画の印象とはずいぶんかけ離れたものになっていることも事実だ。それでいながら漫画のどたばたな部分は抱え込んでいる。

サイバラ作品はあの絵とあのギャグでありながら、女性の悲しさや寂しさを内包しているという点が特異なのだが、それがそのまま映画に置き換えられるわけではない。

・この映画は原作漫画を上手に料理し映画として漫画とは別のものに昇華させているのだから、敢えて漫画のどたばた部分を引きずる必要はなかったのではないか? 原作の映画化という部分で仕方がないかという気もしなくはないが、あのドタバタ漫画の中にしっかり漂っている、女の悲しさや寂しさを見事に抽出して脚本を仕上げたのだから、ドタバタ部分は適度に削除してしまって、話しをもっと真面目にもっていったほうが、ひょっとしたらもっともっとジンジンと染み込む映画になっていたかもしれない。まあ、そうなると原作漫画の映画化!という部分では原作からかなり離れていってしまうかもしれないが。

・脚本の奥寺佐渡子が漫画の『パーマネント野ばら』をじっくり読んで、見つめて、感じた魂の部分を、牛をひと思いに殺して、最初に流れ出る鮮血と心臓をバケツに溜め、それだけを持ち帰り、後はすべて捨ててしまっていたら・・・相当の傑作が生まれていたかも? そんなふうに思った。

・原作の映画化は、原作で脈打つ魂を抉り取ることが大事で、枝葉末節まで映画に取り入れることは必要ないのだ・・・という先人の言葉を強く思い出した。

・悪くは無い作品である。だが、自分は『女の子ものがたり』のほうが好きだな。

・ラストでパーマネント野ばらに集う猛者の女性たちが、ハッと息を飲んで動きを止めるシーンが秀逸である。

☆2010-08-18 『女の子ものがたり』 余りに痛々しいが心に響く秀作
http://d.hatena.ne.jp/LACROIX/20100818
☆2011-09-05 『女の子ものがたり』(再見)女の子の本当の青春映画
http://d.hatena.ne.jp/LACROIX/20110905