『七人の侍』

●何年かぶりに観た。何度目の鑑賞かは忘れてしまったが。

●最初からダラダラと締まりが無く、映像にもストーリーにも切れがない、出来の悪い作品を観てしまうと苛々してくることがある。そういう作品は大抵最後まで観ることが出来ず、途中で鑑賞をストップしてしまう。ひょっとしたら途中から良くなるかもしれないし、良いシーンが後ろの方にあるかもしれない・・・でも一度途中で鑑賞を止めてしまうと、なかなかその作品はもう一度観ようという気持ちになれず、結局未鑑賞のまま残ってしまうこととなる。最近そういうのが何作か続いて、どうも映画を観ることにフラストレーションすら溜まってしまった。締まりの無い作品は観ているだけでムカムカしてきてしまう。

●こんなときは絶対に間違いのない、絶対に感服させられる一本を観るべきだ。そうでないと映画に対する拒絶感すら生じてしまう。そして、そんなときに観るべき映画として「七人の侍」は素晴らしい効果をもたらしてくれる。

●今まで何度か鑑賞しているが、それはクライテリオン社からリリースされた「七人の侍」北米版DVDであった。今回初めてキチンとした東宝からリリースされた日本のDVDを鑑賞となった。

●相変わらず音声の聞き取りにくさは酷いのだが、これはもうどうにもならないのだろう。せっかくの日本版なのだから日本語字幕を出しての鑑賞。これなら今まで良く分らなかったセリフもハッキリした。

●改めて鑑賞すると菊千代役三船敏郎の演技はかなり態とらしいというか、敢えてそうしたのだろうが、今の目から見るとちょっと過剰演出しすぎという気がしないでもなかった。

●余りに多くを語られ研究されている作品だから、ここであれやこれや今更自分が言ってもしかたあるまい。やはり超が付くくらい面白い作品であり、考えさせられる作品でもある。

●3時間27分というこれまた超が付くくらい長い映画なのに、その長さがまるで感じない、一時も飽きない、ダレない、退屈なシーンがどこにもない。凄い話しである。

●今回再見して気になったのは、合戦シーンなどで侍が走ったり、馬が掛けたりするシーン。特に侍が走るシーンは非常にスピード感があって凄いのではあるが、どう考えても普通の演技でこれだけのパキパキとした動き、これだけのスピードを役者というか人間が出せるわけがないではないかと思う。つまり少し合戦シーンでは早回しをしてスピード感を上げているのでは? と思うのだが・・・調べてみたが良く分らなかった。カメラの使い方でスピード感を出す手法もあるだろうが、あのスピードで人間が走ることは無理だろう。その辺、何か何処かにスピード感演出の種明かしが書いていないかと探している。


●ディスク1の特典に収録されている特報映像(音声は無し)を見ると、武士が走るシーンも本編のような異常な早さではなく、普通の人間的はスピードだ。やはりフィルムを早送りしているのだろうか?「酔いどれ天使」で志村喬の吐く白い息の事を書いたが、黒澤作品ではあきらかに普通とは違う目だった(おかしな)シーンが数ある黒澤研究所や解説書で全く言及されていないということがあるようだ。これは故意的なものではないだろうか?

●今までクライテリオン版では久蔵(宮口精二)が撃たれるシーンで、バーンという銃声が聞こえる前に久蔵がぐらりと倒れはじめていて、音と演技にタイムラグが明らかに有った。この違和感はけっこう明確で、ある人に聞いたところ確かにあのシーンには音と演技にズレが有ると言っていた。しかし今回の東宝版ではそのズレが殆ど無くなっている。バーンと音がすると同時に久蔵がぐらりと横に倒れるようになっている。この辺り、日本版製作にあたって修正が施されているのだろうか? 違和感が無くなったから非常に良かったが。

●久し振りに世界の名作と言われる一本を見て、なんだか胸のつかえがとれたような、ようやく溜飲が下がったような、そんな安堵感を味わうことが出来た。こういう映画は数少ない。映画に飽きてきたり、映画にうんざりしてきたりしたときに、映画に対する疑念を取り払ってくれるようなそんな妙薬のような作品。きっと自分にとっての「七人の侍」はそういった一本であろう。

感謝!


2010/09/13追記
『夢は天才である』文藝春秋刊 P.100 で久蔵がグラリと倒れた後にバーンと銃声が聞こえるのはわざとやったと黒澤明が話している。井上ひさしもあのシーンは音のずれがオカシイと思っていたようだし、黒澤明の弁によるとヴェニスの映画祭でも音が遅れるのはおかしいといわれたと語っている。「あの距離から撃ったら、音の方が少し遅れる感じですよね」と。いや、あれだけのタイムラグは起きないだろうから、この発言は黒澤明一流の後付け論理、やっちまったこと、指摘されたことへの言い逃れにも思える。