『007/カジノ・ロワイヤル』(再見)

☆果たして、新作「007/慰めの報酬」はどうなることやら・・・・・・
●今月末から公開される「007/慰めの報酬」が前作「007/カジノ・ロワイヤル」のラスト1時間後からのストーリーという設定ということで(前作のラスト1時間後からのスタートというのはなかなか憎い設定。)ストーリーを思いだす意図もあってシリーズ最高傑作とも言えるこの『007/カジノ・ロワイヤル』を再度鑑賞。

007/カジノ・ロワイヤル」の批評(2008/4/19の日記)にも書いたが、冒頭からのハイスピードのアクションシーンは息をつけぬほどに凄い!ここでグイッと映画に引き込まれると最後まで中座する気になどなれない。144分という長さがまるで気にならない。2時間半なんて尺の映画は最近では最初からうんざりするのだが、この作品に関しては途中でダレるところも全く感じず、最後まで圧倒的なスピード感と面白さ、驚きでストーリーが流れていく。良い映画とはこういうものなのだと改めて感じ入ってしまう。

ダニエル・クレイグが新しいジェームズ・ボンドに抜擢されたという話が流れたとき、世界中で非難が沸き上がり、映画の中止運動やら、降板要請やらととんでもない動きがあったが、これだけ高級なハイ・クオリティーの作品を見せられてしまっては、その時クレイグに反対運動をしていた輩も口をつぐむしかなかったであろう。007シリーズの最高傑作という評価は間違いないものであろうし、興行収入もシリーズ最大となったわけだから。

ポール・ハギスニール・パーヴィスロバート・ウェイド の共同脚本によってギャグ、コメディーであった「カジノ・ロワイヤル」(1967)が40年もの長き時を経て正当な007シリーズの一作として蘇ったわけである。近年の映画界ではナンバー1の脚本家(「クラッシュ」では監督もした)ポール・ハギスの才能と能力が大きかったのではないかと思う。

●映画のシリーズものは一度ダメになるともう後に同じようなイメージが付きまといなかなか再浮上することが出来ないものだ。この「007/カジノ・ロワイヤル」はタイトルは同じシリーズだとしても、前作までの007のイメージを全部帳消しにして全く新しいスタイルの007シリーズとしてスタートを切った。そして、手垢がつき、イメージも固着し、もうそこそこのレベルの興行しか稼げなくなっていたシリーズが、このように完全な別モノとも言える素晴らしいクオリティーで再生することがあるのだと認識させられた。こういったシリーズの再生方法が見出されるとハリウッドは今後もストップしていたシリーズもののテコ入れをしだすのだろう。

ターミネーター・シリーズは3でどうしょうもない最悪の作品を世に送りだし「もうこれはオシマイだな」と思っていたのだが、今年公開される4ではこれもポール・ハギスが脚本に参加し、新シリーズを予見させるようなまるで別モノのクオリティーの作品に仕上げているという。これにも期待だ。(裏切られなければいいけれど)

●話は逸れたが「007/カジノ・ロワイヤル」を再見して素晴らしい映画の持つ魅力というものを改めて感じた。続編となる「007/慰めの報酬」もポール・ハギスを始めとする脚本家は同じ顔ぶれ。監督は変わってしまったが、続編にも素晴らしいクオリティーを期待したい(のである)が、前評判はなぜかイマイチ。せっかくこの「007/カジノ・ロワイヤル」でシリーズの価値を再び高めたのに、なんだかそれもまた元の木阿弥にもどりそうな予感。実際に鑑賞して自分の目で確かめるしかないが。

●異色のボンド・ガールとなるヴェスパー役を演じたエヴァ・グリーン(この名前はかなり面白いが)は本当に魅力的だ。他の出演作ではヒロイン級であっても余り目立っておらず、ちょっと特徴的な目つきと顔立ちが万人受けするタイプではなかったのだろうが、この映画の中ではとびきりの美しさと魅力を放っている。

●衣装、ヘアスタイル、メーク、その全てで今まで演じてきた役とは異なる、柔らかさと優しさを持ちつつも知的で妖艶という絶妙な女性の姿を演じている。しかも演技が巧い。ラストで水中に沈み行くときの悲しい表情にはグッと胸を打たれた。この作品に出演していた時は25歳位であったのだから、その若さでこれだけの女性の魅力と演技の巧さを身に付けているということにも驚かされる。

●仮に日本の女優で25,6歳だったらどうだろう? 美人であればそれだけが売りとなり、言わばアイドル路線での露出しかなく、映画に起用されても演技力なんて無しというのが普通だ。顔立ちが良ければ演技なんかで売らなくて、アイドルとしてキャピキャピしたところを見せていれば金儲けになるということで、演技力をつけるだとか、そういう育て方をしていない。このエヴァ・グリーンのように25歳なんて若さでこれだけの演技力を身に纏うというのは、やはり”女優”として目指す所、意識と格が最初から違うわけだ。世界規模の映画に出るような若い女優が日本から出ないというのは今の日本の有り様では当然であろう。若い女優、男優のレベル、質という点では日本は極めて低い所にある。