『地球が静止する日』

●年が明けて2009年になってもどうも観たいと思うような作品が今年の正月興行では全然無く、一体映画業界もどうなるのかねなどと思いつつこのブログも2週間程停止していた。お正月に劇場に足を運ぶ気になれないというのも実に悲しい気持ちである。なにか頭をスカッとさせてくれる映画が観たいと家にある山の様に並んだDVDの棚を見ていても、どうもこれといったものが無い。結局年末年始ではスター・ウォーズのエピソード5と6のダースベイダーの苦悩の下りを再見して、やっぱりこの映画は傑作だなと再認識したに留まった。気持ちが向かないとき観る映画というのはいかに名作があっても本当に少ないものだ。

●前評判が不評だらけであったし、何とはなしに中身も予想できたので、時間があれば見ればいいであろうという程度にしか考えておらず劇場に足を運ぶこともなかったが、しかしこの映画、年末年始に掛けての宣伝がなかなか上手でお正月興行ではなんとかウォーリーを抑えて1位を走っていたようだ。

●おバカな映画宣伝者がメディアで「大ヒット」「超大作」「最高」を連呼したり、TVCMで鑑賞後の観客にインタビューをし「すごく良かったぁ」「感動したぁ」なんて声と映像を流しているのを見ると。「もうこういったやり方は手垢まみれで、見ている側もシラケルということがいつになったら宣伝担当はわかるのかねぇ?」「最初この手のCMが流れたときは実際の観客の声ということで面白さとインパクトがあったのだけれど、今となってはヤラセだろうと思ってしまうし、こういうCMが流れると却って映画の中身はダメなんだろうな感じるのだよ」と思ってしまう。そろそろマンネリ化した映画のTV宣伝も考え直せばと言いたくなるのが。

●その点この「地球が静止する日」は見え透いた白々しい宣伝は目に付かなかった。内容を仰々しく煽りたてるのではなく、単純に作品映像とキアヌの顔だけをアピールするようなプロモーションだった。これが「今年のお正月映画の目玉」「今年度最高の話題作」などという宣伝の仕方は、ともすると見る側に懐疑心を抱かせるし、「またこんな嘘っぱちの宣伝やってるよ」「なにが最高だよ、どうせくだらないんだろう」などと反対に思われてしまう。もう何度と無くそういう宣伝に騙されてきたのだから。「地球が静止する日」も一応「2008年末最大の話題作」なんてプロモの言葉もあったが、仰々しくなかった。LG携帯とのタイアップCMもなんら作品のことを語ることなく、携帯の液晶画面にキアヌの顔が映っているだけ。しかし作品に対する興味をそそらせるものだった。虚飾で塗りたくられた宣伝に人は嫌悪感を抱く。映画宣伝は虚飾が酷い、それが人々の意識に十二分に浸透してしまっていることに気が付かない宣伝担当はいつまでも同じ愚かさを繰り返すだろう。

●今回の「地球が静止する日」の宣伝は抑えの効いた巧いやりかただった。まあ内容が内容なだけにあまり虚飾をすると本当にそっぽを向かれるというのも合ったのかも知れないが。淡々とした嘘もホントも何も言わないPR。これが巧くいって年末興行では動員を稼ぐことに繋がったと思う。(まあそれでも狙っていた金額には程遠いとは思うけれど。)

●結果、前評判、口コミはまったく芳しくなかったのだけれど「キアヌが出てるし、洋画でCGIの映像も面白そうだし、ちょっと観てみようかな」という人の心を掴み、劇場に足を運ばせることには成功した。良いよ良いよ、最高だよなどと美辞麗句で嘘の賞賛を並べ立てるのではなく、却って中身の事をあれこれ言わず映像だけで興味を引くというやり方は非常に巧かったと言えるだろう。予告編やTVCMの作りもなかなか巧妙で「これは凄い映像を見ることが出来るかも?」と期待を抱かせる作りだった。(CGIの映像の派手なところはCMと予告編で殆ど流されていたけれど。)

●観なくてもいいかと思っていた一作なのだが、時間が出来たし、尺が106分と適度であったし、評判の悪さがどれだけのものかと確認する位の気持ちで劇場に入った。今週末でもう主要館の公開は終了だし、平日ということもあり劇場はガラガラだった。年末年始は一度も劇場に入らなかったのだが、2週間ぶりとはいえ久しぶりに劇場に入ると「やはり映画館はいいなぁ」と思った。椅子に座り映画が始まる前のワクワクした気持ち。これは昔から変わらない。家庭でのホームエンターテイメントとしての鑑賞も良いけれど、やはり映画館はいいなとなんでかしみじみ思ってしまった新年第一作だった。

●作品の話だが、確かにこれでは何かを期待してこの映画を観た人は殆ど肩透かしを食らうであろう。CGIの映像に面白い部分はあるが、それが「凄かった!」と感嘆するようなものでもない。人はもうCGIの映像には見飽きている部分もある。しかもそういった映像は全体では数シーンだけであり、残りはクラトゥ(キアヌ)とヘレン(ジェニファー・コネリー)のごく普通の映像なのだから。

●脚本としてもちょっとしくじっている。ヘレンの子供のジェイコブの存在もあいまい。子役を一つのスパイスとして使うというのは定石ではあるが、ストーリーの中になんら必然性がない絡め方ではダシに使っているという他ない。なんでヘレンの子供が黒人なのか?というのも設定としては無理がある。ドル箱スター、ウィル・スミスの子供を起用ということでの話題作り、一人はキャスティングに黒人を入れないとハリウッドの業界の暗黙のルールでまずいからか? 名優キャッシー・ベイツも大統領の代理、補佐をする国防長官という柄ではない。そういう政治の重職という役には似つかわしくないし、この役は合ってないであろう。

●地球を壊し続けている人間という生物を駆逐しなければ地球そのものがダメになるというストーリーは面白く、それをコントロールするのが地球外から来た未知の生物だというのも面白いアイディアなのだが、話は中途半端に終わるし、なんら策も結論も出されずさらりと映画が終わってしまう。これでは人類、人間に対する警笛なんて言葉すらおこがましくなる。あくまでエンターテイメントに徹するならばオリジナルの「地球が静止する日」を選らんだのは大きな間違いである。オリジナルにあったシニカルさ、皮肉な風刺などはこの映画には取り込まれていないし、過去の名作をリメイクするということで知名度だけを拝借したと言っていいい。要するにこの映画、オリジナルを全部ダシに使ってなんらメッセージも思想も無く作られた単純商業主義のタイトルであろう。

アメリカが情報を秘匿していることに世界中から非難が集まっているというコメントが流れる部分はちょっと現状のアメリカに対する皮肉が入っていて少し笑えた。70年前から人類を観察していたという同じく人間の姿をした宇宙人の老人(後述)が「人間はダメだ、救いようがない、だが、自分は人間として生活してよかった、人間が好きになった」と語るシーンなどにちょっとした監督か脚本家の気持ちが込められているようでもあるけれど。

ジェニファー・コネリーは目が強いなといつもながらに思う。巨人ロボットの映像はなんともアニメチックで興ざめしてしまった。もう少し考えたらと言いたくなる。

●それでもまあ観て損したなという気持ちにまではならなかった。ふーん、こんなもんなの?と確かに肩透かしであったが、予想していた部分もあるからがっかりというほどではなかった。こんな終わり方でいいのかねぇとエンドクレジットを観ながら思っていたが、ちょっと考えてみると昔のSFモノの多くは皆こんな感じでちょっと肩透かし食らうようなのが多かったかな?「宇宙戦争」「人類SOS」「禁断の惑星」などどれも似た感じだ。ガーン、ドーンと衝撃的なラストではなく、ちょっと物静かで考えさせるようなラスト・・・そう言った意味ではこのリメイクされら「地球が静止する日」は昔のSF映画のテイストを持っているとも言える。それは今の時代ではゆるくて締りのない作風と言われるかもしれないが、このふわふわした終わり方に懐かしさはちょっとあった。

カラコルムのどこかは分らないけれど映画が始まって直ぐに冬山登山のシーンが出てくる。確か1928年という年代が示されていたと思ったが、使われている道具などを見ていると割とこの辺はキチンと時代考証をしてるんだなと感心する。チラッとしか見なかったが使われていたストーブはSVEA121タイプのものだったようだし、12本爪のアイゼンをヤスリで研いでいるところなどもなかなかイイ感じ。ピッケルもウッドシャフトのものだし、美術スタッフか監督が結構登山やクライミングに昔精通していた人なのだろう。
(去年の「クライマーズ・ハイ」で真新しいキスリングをヒョイと肩にかけて一ノ倉に向かうシーンには呆れたが。)

●喫茶店でクラトゥと会話する老人。70年前からこの地球に来て人間の姿をして人間を観察していたという話をするが、この老人の特徴的な顔を見て、あれ、誰だっけ?とちょっと考えた。 そうこの顔はブレード・ランナーに出ていたチュー博士であった。冷凍庫のような実験室でレプリカントの眼球を製作しているチュー博士。非常に印象的な役を演じていたあのチュー博士(ジェームズ・ホン)がこんなところに出ているとは驚いた。調べてみたら中国人の脇役でちょくちょく色んな映画に出ているようだが、C級の映画が多いかな?ブレード・ランナー以外では自分が観てきた映画でジェームズ・ホンが出ているのはこの「地球が静止する日」が初めてだった。「ブレード・ランナー」が1982年の作品だからもう26年も前になる。あのときの眼球博士ジェームズ・ホンがまだこうやって頑張って役者をやってるのを観たらちょっと嬉しくなった。この顔つきはそう簡単には忘れられないな。

キアヌ・リーブスとジェニファ・コネリーという金の掛かる役者を使っているので製作品は安くはないだろうけれど、CGIの驚くような映像は少なく、どちらかといえば役者以外ではそんなに金は掛かっていないであろう。内容も驚きや感動があるというものでもないし、リメイクと言ってもなんら特筆するような部分もない。こういった作品がアメリカで言えばクリスマスシーズン、日本で言えば正月興行という一年でも最大級の稼ぎ時に公開されるというは、今のハリウッドの映画産業自体の力の無さを如実に現していると言っても良いだろう。

●日本における宣伝手法は嫌味が無く巧みであったといえるが、またこれで洋画にがっかりする人が増やしてしまったのではないだろうか?