『世界最速のインディアン』

●インディアンというバイクで世界最速に挑む老人の物語、というよりも、デヴィッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」に似たロード・ムービーのほうが色合いが強い。後半はバイクレースに物語の主軸は移るが、そこに辿り着くまでは殆ど、一人の老人のアメリカ初体験、バイクレース会場まで辿り着くための面白可笑しきエピソードを延々と見せれれる。もう60歳を超えたのに、古いインディアンというバイクを自分で改造して世界最速に挑もうとする情熱の滾った映画かと思いきや、憎めない老人のレースに至るまでの話が映画の中心であり、ちょっと見ていてどっちつかず、拍子抜けした。

●最高速度記録を達成するまでの苦悩、それを乗り越える情熱、そういったものを期待した自分としてはこの映画は「ン?なんか思っていたのとは別種の映画だったな」「これって老人のロードムービーだったとはね」というのが正直な気持ち。

●憎めない老人役のアンソニー・ホプキンスは流石の名役者だと思わせられる。ハンニバルの食人レクターという強烈な役をこなしてきたのに、この映画の主人公バートにはレクターの面影がまるで感じられない。多くの役者は強烈な個性のあるキャラクターを演じてしまうと、そのキャラクターに引きずられ、そのキャラクターのイメージが固定され、見るものにとってはどんな映画のどんな役にでていても、一つの強烈なキャラクターの影がまとわりつき、離れずその役者の個性を押しつぶしてしまうということがある。しかし名優アンソニー・ホプキンズにおいてはそんな杞憂は無用であったわけだ。強烈なレクター博士のイメージなど完全に消し去り、この映画では完全に別人のバートを見事に演じている。観る側もそれに違和感をまるで感じない。これが名優の名優たる所以なのだろう。イメージが固定されるのを嫌がって、強烈な個性の役を引き受けたり、継続してやらないとする役者は、まだまだ演技力が足りないのだということを証明しているようなものなのだな。

アメリカに対する風刺もずいぶんとチクチク入っている。この国は老人には優しくないな・・・というのは「ノーカントリー」でも言われた言葉だ。税関で入国審査のときに「インディアンで・・」と話したことで、別室で入国理由の確認をとらされるなど、原住民族にたいする差別をチクチクと出している。

●夢を追いかけた男の話ではあるが、それ以上にアメリカ放浪記みたいな内容が話しの大部分を占めているので、夢追い物語りとしての熱っぽさだとか、強い気持ちだとか、そういうギラギラしたものは作品の中には無い。監督はわざとという風にしたのだろうが、情熱的な夢追い物語りを求めていたのでこれはずいぶんと期待外れ。映画としてはきっちりまとまっていて良い作品であるが、やはりこれは「ストレイト・ストーリー」の亜流だな。

●バーンの出した世界記録は今だに破られていないとラストに声高々なナレーションが入るけれど、たぶん挑戦しようとする人自体が少ないか、居ないのだろう。何十年も前のエンジン、マシーンで出された記録が今のテクノロジーで敗れないはずが無い。きっとそれにトライする人、その価値を評価する人が居ないというのが実情であろう。