『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』

●フランスの国民的歌手、日本でも越路吹雪などにより多くの曲が歌われている。確かに、聞いたことのある歌が何曲かあった。ああ、この歌もエディット・ピアフの歌だったんだと改めて知った次第。

●資料によると47歳で無くなったのが1963年、今かから45年も前だ。彼女や彼女の歌になんらかの興味を持っている人でなければ、今は年齢の高い人でなければ名前を知る人も少なかろう。(事実、自分も知らなかったのだけれど)

●2時間20分もの長さだが、この作品、エディット・ピアフの数奇、波乱万丈な人生がそのまま、巷に溢れる幾多の脚本よりも数十倍面白く、ストーリーとして卓越している。まったく飽きることなく全編を通しで見ることが出来た。これには映像化した監督の手腕もあるであろう。

●邦題には”愛の賛歌”とサブタイトルが付けられている。英題では”LA VIE EN ROSE ”(薔薇色の人生)と付けられている。この作品を見ればわかることだが、エディット・ピアフの人生は、愛に枯渇し、愛に飢え、愛を羨望、切望し続けた人生で、また薔薇色の人生というものでもなかった。映画のラストで病気のエディットが舞台の上から観客に向かって「愛を、愛を・・」と話しかけるシーンがある。彼女が歌った「愛の賛歌」や「薔薇色の人生」その他の歌は、自分が求めて止まないものへの熱望であったのだろう。本当の愛を手にし、その愛を讃える歌をを歌えたのではなく、自分の人生を薔薇色だったとも思ってもいなかった。手に入らぬものを求めて歌った悲しみの歌だったのかもしれない。邦題、英題に付けられたそれぞれの言葉はそういう意味では反意としてシニカルだ。

●フランス語の原題には”LA MOME”という言葉が付けられている。これは俗語で子供を意味するらしい。エディットのあだ名であったということだ。

●少し冷静に考えると、この映画は日本で言えば、日本の歌姫「美空ひばり 愛の賛歌」とでも言える内容だ。でも、もし日本でそんな映画を作ったとしても、年齢が高くよほど思い入れのある人たち以外は、観に行かないであろう。当たるとも思えないから製作もされないだろうが。

●”世界的”という違いはあるが、フランス版の美空ひばりの生涯を見て、感動したりヒットしたりするというのは、やはり主人公が外国人だからであろう。そういうところに自分の映画の見方として微妙な違和感、疑問は感じている。外国人のシャンソン歌手なら日本人が映画としてみてもカッコが付くわけだ。

エディット・ピアフを演じるマリオン・コティヤールは目玉も大きいし、なんだか土屋アンナにそっくり。はすっぱ女のような喋り方も、下品な演技も土屋アンナにぴったり。(マリオンの場合はきちんと自分で作り、演じているというところが地でやっている土屋とは大きく違うが)日本語吹き替えは、そのまんま土屋アンナがやってるんじゃないの?と思うくらいだった。