『アフタースクール』

 
●これは驚き。

●劇場予告編を見ていたときは「またなんかクサイ映画が出てきたみたいだなぁ」って程度にしか思っていなかったのだが・・・・。

●巧みな脚本、プロット、組立はなかなか、いやいや、邦画ではこれだけのものは観たことないかも?

●さりげなく、そして観客にバレない巧さで折り込まれた仕掛けには舌を巻く。伏線の張り方も見事で、種明かしがされるまでその伏線に気が付かない。だから気が付いたときに「ヤラレタぁ」というくやしいが、実に気持ちのいい感覚が湧いてくる。

●脚本の巧さということではやはりポール・ハギスだが、それとは全く別で、こういう複雑だけど面白い脚本を書けるんだなぁと感嘆。

●騙されたことの気持ち良さを味わえる映画。

●役者の名前、セリフ、仕草・・・よおく見て、よおく記憶しておかないと、ごちゃごちゃになって分らなくなってしまうから注意が必要。

●DVDとかでなんども詳しく見たら、不合理な部分や、粗も見つかるかもしれないが、スクリーンの前での鑑賞時間の中ではそんな暇は無し、次々すすむストーリーに追いつき、負けないようにしないことにはラストの気持ち良さも味わえないだろう。

●様々な種明かしが開始されるまでの伏線をあちこちに張っている前半段階は、ボツボツとした話しが続き、普通に考えると退屈極まりないような映像なのだが、なかなか味の有る役者の動かし方をしているせいか、この前半部分もググッと面白い。演出の巧さ。

●通常の映画であれば、先ず脚本家が脚本というものを書き、それを読んで監督が映像をイメージし、演出し、スクリーンに映しだされる映画を脚本から作り上げていく。だが、こういった複雑な内容の脚本では、それを監督が受け取っても文字から絵をイメージし、映画にしていくことは難しい。というよりも脚本家が意図したことが、こういった複雑な話しだと脚本の文字だけでは別の人間、つまり監督には伝わりにくい。脚本家の意図したことが実現されにくい。

●だからこそ、こういった複雑であり、難しくも有るストーリーの映画は、最初にそのストーリーを生みだした脚本家が絵を撮ることが望ましい。そう、こういった作品は脚本、監督が同一でなければなかなかストーリーの良さが具現化されない。

●「アヒルと鴨のコインロッカー」も脚本を書いた人物が監督もした。そう中村監督である。だからこそあの複雑なストーリーが映像の中で破綻せず動いていた。

●こういった稀なるアイディアを抱えた映画は脚本家=監督 でなければダメだろうと思う。

●美紀「神野君はあの頃と変わってないね」
 神野「お前は何が変わったンだよ?」
 良いセリフだね。

●まあ、実はエンドロール後のテレビの内容とか、外相の出てきた意味だとか、香港だか台湾から来る要人??って???と一回見ただけでは分らないところが少なく
とも3箇所ぐらい頭の中に残ってしまっているのだが・・・さて、もう一度見るべきか?(笑)

●小泉をパロッたのも邦画にしては面白いね。割と日本の映画は政治家とかお偉いさんをパロディーにしたり茶化すのは少ないから。きっと後でいろいろ圧力掛けられたり、いやがらせうけたり面倒になるからやらないのだろう。マイケル・ムーアみたいには出来ない。それはお金を出す企業とかもからんでくるし。でも内田監督ってのはそういう部分では日本的じゃなく、さらっとしてるのかな? サンフランシスコ州立大学の芸術学部映画科卒というのもその辺の違いか?(笑)

●大手配給会社系の宣伝大作に押されて目立たないが、これは見るべき一作。

●こういう映画って地方では上映されにくいし、上映されてもなかなか人が入らない(それは地方の特性でもある)のだけど、なんとかのリボーンとかを見るくらいならこれを見たほうが気持ちはいいだろうね。
いや、ちゃんと見てないとわけが分らなくなるから、そうでもないか?

●「難しくてよく分んなかった」終わってからそんな会話がちょっと聞こえていたけど、まあそれも致し方なし。

●しかしまぁ、ホントに巧いね。

●『アフタースクール』という題も上手い! だが、これは聞いただけでは???と思う。話しを想像できないからだ。だが、観た後であると、なるほどなぁと思う。題は映画に注目を集めるために大事な要素だが、その意味では良い題ではない。だが、作品の全体クオリティーとして捉えると、これもよく考えられた秀逸な題の付け方となる。

★映画批評by Lacroix