『八甲田山』

●「天は我々を見放した」、未だにTVCMか何かで流れていたこのセリフは印象的で頭に残っている。2006年5月に一度DVDで見ていたのだが、その時はなぜか感想を文字にすることができなかった。

●邦画の名作だ、八甲田山での大量遭難の事が描かれている・・・その程度の知識しかなく、2006年に見たとき、結局200名以上の隊員が死亡した雪中行軍は青森と弘前の二つの部隊の意地の張り合いから起きたことではないか? なにかもっと荘厳な目的の下に多くの人が死亡したのではなく、詰まらない部隊間の見栄、意地でこれだけの人を死なせてしまった。そこに「なんだ、そんなことで大量遭難が起きたのか、馬鹿馬鹿しいな」と少し白けてしまい、3時間近い長さに疲れ、ふぅと溜息を付いてこんな映画があったのだなぁと思ってオシマイだった。
古い映画というものに気持ちが向いていなかった時期であるせいかもしれない。なるほどと思ってそれだけだった・・・。
きっとそれで感想を書き留める気もちが盛り上がらず、そのままになっていたのかもしれない。

●ほぼ2年ぶりにこの作品を手に取ったのは、橋本忍脚本の映画を通しで見ている流れからだった。2006年にDVDで鑑賞したときは、脚本よりも作品そのものに、監督に興味があった時期だが、今はこの作品を脚本という形で設計した橋本忍の、その技を見てみたいと思ったからだ。

●そして、改めて見る八甲田山。2年前に見たときは全く違い、今度は細部に渡り逐一そのその緻密な映画作りの技と執念、情熱に驚嘆しながら見続けた。構成を確認し、役者を確認し、史実を確認し、短期間に3回この映画を見返した。興味が向いているときと、そうではないときで、これだけ受けるものが違うのかと自分でも驚きながら、この八甲田山という映画の尋常ならざる壮絶さに打ちのめされながらこの映画を繰り返し見た。

●これだけの役者陣を抱え、3年間にも渡る長期ロケを行い、マイナス十数度の吹雪の中で、いつ変わるともしれない自然条件を相手に映画を撮る。今の映画産業のシステムではこのような撮影は出来ない、やれないことはないが、システムが、ビジネスが、算盤勘定がそれを許可しないであろう。

●公開は1977年、もう既に30年もの年月が経過する。しかし映画自体に古さは微塵も感じられない。それは今も変わらぬ自然の厳しさ、その真実を映像に捉えているせいであろう。

●映画の作り方、情熱の注ぎ方が今とその頃とでは大きく変わってしまった。黒澤明橋本忍の関わった作品、インタビューなどを読んでいて感じることは、かっては映画に真実をどれだけ再現して見るものに伝えられるかということに監督や脚本家は心血を注いでいた。本物の厳しさのなかでなければ映画からその厳しさは伝わらない、観客に嘘がばれる、白ける。黒澤明はこのようなことをよく話している。

●かっての映画撮影は、いかにして真実をフィルムに焼き付け、その空気感までをもスクリーンに映しだされた映像から観客に伝えようとしていた。それが本物の映画だとして異常なまでに撮影にも真実を求め続けた。演じている役者、撮影している監督、スタッフまで全てがその映画がシーンを共有し、そのシーンを共に感じながら撮影しなければ、フィルムの中に嘘の空気が混じり込む、それほどのストイックさで映画を作ろうとしていた。
そこが、今の映画とこの当時の映画の大きな違いであろう。(小泉堯史監督は今でもその思いを持っているであろう。だが、そういう事は出来なくなったと講演会で話されていた。2008/3/15の日記参照)

●脚本構成の緻密さ、二つの部隊が八甲田の山中で交差するというストーリーの巧さ、猛吹雪の八甲田での見るからに恐ろしくなるような撮影の凄まじさ、オールスターとも言える役者陣の豪華さ。そして、それぞれの役者の渾身の演技合戦。心に染み入る音楽。語り尽くせぬほど技巧は巡らされ尽くされている。

●邦画でも洋画でも、かってはこのような歴史に名を残す大作と呼ばれるものがあった、八甲田山は、そのスケールで言えば「遠すぎた橋」「戦場に架ける橋」「アラビアのロレンス」などのように、当時のスタッフが総力を結集し心血を注いで、一切の妥協を許さず作り上げた本物の映画であろう。

●日本の映画界は今、活況を呈している。興行収入で80億だ、100億だという作品までも出てくる状況だ。だが、大作と呼べる作品はあるだろうか、真に大作と呼びうる作品はあるであろうか・・・・・ここ10数年、そういう作品にはお目にかかっていない。映画会社のシステムが大作と呼べるものに巨額の製作費をつぎ込むリスクを排除している部分があるが、同じように金を使ってもCGにばかり製作費を費やし、製作費だけは大きいが、大作と呼べるようなものは・・・ない。

●いい映画も沢山出てきている、だが、本当の意味での映画、これぞ映画という作品、これぞ大作と呼べる作品、それは・・・ない。

●この映画は真の意味での大作であり、真の意味での《映画》である。