『博士の愛した数式』 

●小泉監督の作品の特徴を揚げるとすれば、大きく揺さぶらず、淡々と、だけど、しっかりと、ゆっくりと心を徐々に満たしていく緩やかだけれどしっかりと伝わってくる感動ということであろう。

●小泉監督の作品ではこの『博士の愛した数式』だけが未見だった。数十分で記憶が無くなってしまうという病。これは『メメント』(このブログではなんども取上げているが)で初めて一般に、そして映画のモチーフとして取上げられた病ではないだろうか? 『メメント』はサスペンスであったが、その病は一度聞いただけで「そんな記憶喪失があるだ・・・」と頭に焼き付いてしまう病である。

だから、非常にインパクトが強い。

●映画のモチーフとして使う場合、同じ病を取上げるとどうしても『メメント』の二番煎じ的に思ってしまう部分がある。誰かが一度取上げた余りにも強烈な印象を残す事柄を、他の人がそれを映画や小説で使うということは、どしても最初の作品を頭の中に想起してしまうし、マイナスな部分が多い。だからこそ強烈なモチーフを残す事柄は、表現手段としての映画、TV,小説などでは、別の人がやすやすと使ってはいけない事柄である。
最近では別の小泉監督『ガチボーイ』でまたしてもこの記憶障害をモチーフとして使っているが・・・・どうもなぁ???

●さらに、この映画は記憶を維持できない博士のストーリーだという。しかも数式という言葉が題にも使われているのだから、ここからどうしても天才的でありつつも、精神分裂を起こし、自己を制御できずに生きる数学者を描いた『ビューティフルマインド』を思い起こしてしまう。

●『博士を愛した数式』とそのイントロを聞いたとき、なんだか『メメント』のモチーフと『ビューティフルマインド』のモチーフを二つ足して二で割ったような話しではないか? そう思った。・・・・・・・それで、どうもこの作品には鑑賞意欲が沸かなかったのである。

●ひょっとしたらこの原作もそういったところがヒントだったのでは? と思う部分もあるが・・・・・・映画自体は非常に良心的であり、抜けや破綻がほとんど見当たらず、非常にクオリティーの高い作品になっていた。

小泉堯史監督の作品=良心的作品  そういった公式がほぼ成り立つ作り方である。黒澤組で長い間鍛えられたその果実ということなのだろうか。いい加減なストーリー、背景、描写、演出は一切ないというこの素晴らしさは。

●絵の美しさは際立っている。小泉監督とカメラマンは流石である。ここには手をぬかず、美しい風景を切り取っている。

●淡々とした大きな起伏のないストーリーだが、実に良い作品だ。

●ちょうど今日『明日への遺言』の公開に絡んだ小泉監督の講演会があるので、そこに参加するが、ギリギリ監督の作品を全部見ることが出来、ちょっと食わず嫌いしていた『博士の愛した数式』もよい作品だと納得することが出来た。講演で良い話しを聞きたいものである。