『 チーム・バチスタの栄光 』

●第四回「このミステリーがすごい」大賞受賞作品の映画化、豪華キャスト、宣伝もたっぷり。さらに、少し映画を知ってる人なら「アヒルと鴨のコインロッカー」で複雑なストーリーを見事に脚本、映像化した中村義洋監督の作品だから、これは期待できそうと思う。(実際、あちこちの映画評などを見ていると「アヒルと鴨」の中村監督の最新作だということを取上げているものが多い!というかほとんどか?)
その位、この映画には期待度が高かったの・・・・・。

●まずはTVCM!映画の内容的な部分を一切外して、ソフトボールの試合の部分を流している。竹内結子のコスプレアピールか?? 劇場予告編はまあ手術っぽいところを入れてサスペンス映画と分かるようになっているが、なんなのだこのTVCMは? 最近は大衆というか映画館に行かないような人によりリーチするために、TVCMは劇場予告編とは別で、もっと大衆受けするようなものを流すというのがよくある。中身を伝えるよりもアイキャッチーな内容にしたり、やたら愛だ、恋だとデートムービーっぽく見せたりするタイプのCMだ。

同じく竹内結子が出ていた「ミッドナイトイーグル」のTVCMも、アクションシーンも無く、スパイサスペンスの要素も無く、主役がモニターを通して、愛してるだの、誰かを護りたいだのと喋っている、そういったセリフの部分だけをちょろっと切りだして繋いで、本来の中身を一切想像できず、いかにも涙を誘う感動恋愛モノというような作りをしていた。竹内のアップもハイハイという感じでキチンと使われていた。

●こういった変なCMをテレビで流す作品にロクなものはない。

●ある程度事前にどいうった内容の映画かという知識というか情報を雑誌やネットから知っている人が、なにこのCM? 中身と全然関係ないじゃない?と思うようなことがあれば、妙なプロデューサーや宣伝担当が小細工して余計なことをしていると予想できるし、そういう小細工をするということは作品そのものの質が悪いか、スタッフがその作品の中身の重さを感じていない、その程度の作品である証拠である。良い作品ならばその良い部分を見せてやる、想起させてやることが1番の宣伝になるし、それが観客動員にも繋がるのだから。

●映画はサスペンスになっていない。いや、一応犯人探しのサスペンスなんだが、その探す過程が、子供の間違い探しか?というレベル。兎に角犯人探しのストーリーに深みがまるでない。おちゃらけでしょう。バチスタ手術のメンバーの一人々にインタビューしていっても。お茶のみ話しをして、それを絵日記に付けて捜査資料ですと言っているようなものである。
ビデオを見ながら手術ミスの原因を発見するあたりなど、余りに短絡的である。なんだよそれ?という感じである。

●これはサスペンスではなく、サスペンスの部分を取り入れた、ギャグコメディーなのですよと言うのであれば、はあそうですかと渋々納得もできるかもしれないが・・・・原作にあったギャグやコメディーの部分を脚本の中で拡大しすぎている。原作の背骨、本質はギャグコメディーではない!

●脚本で大衆受けを狙ってギャグコメディー部分を濃くしたのなら、まあそういう考えで映画化したんだからそれも原作のアレンジの一つの方法であろうけれど、バチスタ手術という正真正銘に真剣なモチーフと、低レベルなギャグは一つの映画のなかで溶け合うことはない。

●今回の竹内結子演技は、そういうギャグコメディーを意識した演出がなされたのかもしれないが、見ていて余りに興ざめする。超が付くほど酷いものだ。竹内はこういうギャグっぽい演技が好きなのかもしれないが、まるで合っていない。余りにわざとらしい笑顔、余りにわざとらしいセリフ回し。見ていてウッと来るくらい嫌悪感の沸く演技である。これでは大根役者どころじゃない。

●竹内には真面目な演技をさせたほうが良いだろう。目鼻立ちもハッキリしてるし、気の強そうな顔が、媚びを売るようなコメディー演技をするともう目を当てられない見難さである。仲間由紀恵の演技は美人が極めて真面目な顔をして、真面目にギャグをしているから面白かった。だが竹内の場合はあのわざとらしい笑顔と演技でギャクを連発されると・・・・もうそれだけでオシマイである。
(またしてもミッドナイトイーグルの話になるが、真面目で気の強い顔で(大きな鼻の穴で)「あなたを絶対に許さない」とドアップで喋った竹内も酷かった。あれも見ていてかなり引いてしまうシーンだった。真面目な演技ではあったのだが・・・・)

●なんだか竹内結子批判になってしまっているが、この映画、当代の超人気女優にあやかって興行を上げようという魂胆が酷すぎるのである。脚本上でのフォーカスの当て方も竹内に偏りすぎ。(原作キャラを無理やり女性にしたんだし)なのにあの下手なコミック演技をさせているものだから、作品が軽薄になってしまった。本来はもっと重く心に響く部分がある原作なのに、医療という、困難な心臓手術という非常に重いモチーフが根幹にあるはずなのに、その部分の比重が軽く、ないがしろにされ、下手なギャグの部分ばかりが表に出てきて大きな顔をしている作品になってしまっているのだ。

厚生労働省の役人(にはまったく見えないが)である阿部寛も完全にギャグキャラ。原作のイメージには1番合っているキャスティングだということだが・・・・阿部寛があのセリフであのギャグキャラで登場し、そこにデコボココンビよろしく竹内が並んでいたら、阿部と仲間由紀恵のコンビである「トリック」を連想しない人など誰もいないだろう。

●この映画で阿部と竹内のにわか探偵の場面が続くと、なんだ?この映画ってトリックの二番煎じ映画じゃないのかよ?と思えてくる。仲間が竹内に変わったけれど、まんまトリックとおんなじになっちゃうんじゃないの? オイオイという感じである。

●もうそういったなんやかんやで、この映画は見ていてホントにガッカリだったし、久々に何度も時計に目をやってしまった。早く終わらないかなぁと。他にも吉川晃司のことやら、井川遥のことやら、いやはやキャストが豪華だから色々と書くようなネタは沢山あるのだが、兎に角主役二人でもう満腹になるくらいにダメダメなのである。

●中村監督は「アヒルと鴨のコインロッカー」であれだけ素晴らしい脚本を練り上げ、素晴らしい映画を作ったのに・・・・なんでこんな演出をするんだろう? なんでこんな映画を監督して作ってしまったんだろうと、映画を見終わって甚だしく落胆した。
★因に「アヒルと鴨・・」は自分の2007年のベスト2に入れている作品。その位良い作品、なかなか見ることの出来ない素晴らしいと思っている。

●さてと、ここからは一応邪推ということにしておこう。(そうでないとちょっとなんだから 笑)

●この作品を見て、自分と同じようにマイナスな意見を持った人は「なんだこれ、なんだよこんなのを作った監督」と思ってしまうだろう。だが、時間を置いていろいろと分かってくると・・・・これは監督の責ではないだろうなって思えてきた。

●「アヒルと鴨のコインロッカー」の素晴らしさはその脚本にあった。催洋一や伊丹十三などの下で助監督として映画を学び、同時に脚本の技術を研ぎ澄ましていった中村監督が、自分自信で原作を脚本化し、それを自分自身で監督したからこそ、あの素晴らしストーリーが全く破綻することなく、とうとうと流れるように映画に化けた。(+αで共同脚本として名を連ねた鈴木謙一のアイディアもある)これは脚本の良さが第一だが、脚本から映像化までの流れを中村義洋という一人の監督が行ったことによる成功例だ。監督は映画の設計図である脚本からそれを演出して映像として繋ぐまでの全てを自分の頭のなかでイメージし、コントロールし、完璧に組みあわせることが出来た。だからこそ「アヒルと鴨のコインロッカー」は素晴らしい作品となった。監督がよかったというのでも、脚本がよかったというのでもなく、その両者が見事に融合した完成物として、作品が素晴らしかったのだ。

●だが、今回の「チーム・バチスタの栄光」では中村義洋監督はその実、敢えてちょっと悪い言い方をすれば〈雇われの監督〉なのである。
アヒルと鴨のコインロッカー」の時と大きく違うのはそこだ。中村義洋が受け持ったのは映画撮影において最も大切な役目である監督である・・・・・が、監督だけ、でもある。

脚本は担当していないのだ・・・・・・・・・・。

●天下の東宝作品の監督依頼、しかもこれまで関わってきた作品とは予算も、製作費も、宣伝費もそして公開規模もケタ違いにデカイ。これは今ようやく波に乗りかけている監督としては願ってもないチャンスであり、そのオファーを貰えるということは監督にとって最大級の称賛でもあり、光栄なことである。これも「アヒルと鴨のコインロッカー」での脚本と監督の見事さが評価されたことによる。

●大ヒットすれば監督としての箔もつく。信頼も知名度も上がる。(鳴り物要り作品を大手配給のシステムで上映するのであるからミドルヒット以上はほぼ間違いなしだろう)監督料だって跳ね上がる。まあ、そういった金銭的な所が主ではないのだけれど、働いて行くうえでは大事な要素だ。

●中村監督は脚本も自分でキチンとみて、自分のアイディアで脚本から監督までを一貫してやりたかったのではないだろうか? 出来上がってきた脚本に従って、絵を撮影していく、監督だけでは・・・不本意だったのではないだろうか?

●それが、「アヒルと鴨」に比較して、あまりに作品のクオリティーに違いが出てしまっている最大の原因なのではないかと推察する。

●1970年生まれでまだ40歳にもなっていない若い中村監督、この「チーム・バチスタの栄光」の脚本は斉藤ひろし蒔田光治の二人となっている。この二人は共に、中村監督よりも10歳も年上の脚本家である。特に蒔田光治氏は「トリック」や「ケイゾク」にメインで関わっている。そこでわかったのだ、なんでこんな「トリック」の二番煎じ的なストーリーをこの映画でやっているのだ、明らかにオカシイではないか、何故中村監督はそんなことをしたのだ?・・・・いや、それは中村監督ではなく、この脚本家がそういう脚本にしてしまったのだ。愚かにも、まっさらな新しい作品の脚本に、自分が過去に書いて、そしてうまくいったプロットを組み入れてたのだ。それは自分が書いた得意なキャラであり、過去に大受けしたキャラである。だからまた受けるだろうと・・・・しかしそれは、脚本家としてあるまじき行為である。
そして、大会社に抱えられ、年齢も一回りも上のそんな脚本家が書いてきた脚本に・・・中村監督は異を唱えられなかったのではなかろうか?

●「アヒルと鴨のコインロッカー」のDVDに封入されたパンフレットの中で中村監督が成城大学での講演で学生に向かって「橋本忍の『複眼の映像』という本を読んだ方はいらっしゃいますか」と言っている部分が書かれている。脚本を書くにあたって鈴木謙一が参加したことをよかったと。そう、共同脚本という形で映画の脚本に複数の人間、自分のアイディアを取り込みよりよき形にしていく、中村監督はそのことを良く理解し、そうありたいと思っている監督であろう。だが、今回の「チーム・バチスタの栄光」ではそれがなされなかった。

●きっと中村監督はこんな映画作りたくなかったのではないだろうか? 自分ならこうする、こんなおかしなところはカットする。こんな展開は筋が通らない。なんでこんな脚本なのだ・・・そう思い続けて、しかし監督として雇われた責務だけを果たそうと指示をしつづけたのではないだろうか?映画の設計書である脚本に従って・・・・それが変だと思いつつも、職業としての監督として絵を撮り続けた。

●「アヒルと鴨のコインロッカー」の時は小さな製作会社と密に話し合い、ある程度以上自分の思い通りに映画を撮らせて貰えたのだと思う。脚本も任され、原作を自分の思ったように料理し、自分の納得の行くようにこの一作を完璧に仕上げた。だが、大会社の下で監督をすることとなった「チーム・バチスタの栄光」では、中村監督の手腕を発揮できなかったのではと思う。年長の脚本家二人に文句も言えず、出来上がってきたものそつなくこなすしかなかったのではないか? だから、あの「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村監督なのに!こんな作品を作らざるを得なかったのではないか・・・。

●大手と組むことはいいことだ。だが、中村監督が本当に自分の才能を生かし、映画を観るものに驚きと感動を与えるような作品を作るには、もっと自由な環境で自分の才気を誰に制限されることなく、遺憾なく発揮できるもう小さなプロダクションで作品を作っていたほうがイイと思う。その積み重ねが監督の評価を盤石なものとしていくだろう。

●次回作に期待したい。

公式サイト:http://www.team-b.jp/index.html
海堂尊(かいどうたける)氏、中村義洋監督インタビュー:
http://special.infoseek.rakuten.co.jp/movie/batista/kaido_nakamura/
チーム・バチスタの栄光竹内結子 インタビュー:
http://www.hollywood-ch.com/report/interview_team-b.html
チーム・バチスタの栄光井川遥 単独インタビュー:
http://movie.nifty.com/cs/interview/detail/080214004966/1.htm