『大帝の剣』

●劇場で流されていた予告編は、如何にも東映仮面ライダー的怪獣物のノリだったので、とても観る気にはなれなかった。この手の映画は堤監督お得意のテレビドラマ演出の延長線上にあるだろうと容易に想像がつくし。(スシ王子も同様、これはそのままドラマの続編だが)

●それにしても大した人気役者を揃えたものである。この俳優のギャラだけで相当の予算を食っているだろう。俳優だけで人を呼ぼうとした魂胆が見え見えであるが。それに引き換え脚本家はマイナーな金の掛からないところを使っている。ホントは逆なんだがね、良い、実力のある脚本家を使って良い脚本ができれば、キャスティングはそんなに人気の役者を使わなくてもいい映画が出来るのに。そして監督は堤幸彦、当代きっての人気化監督、面白い受けのよい映像を作ることではこの監督が一番確実という訳だ。

夢枕獏の原作は途中で小説がストップし、この映画化にあたって再開されたということだが、小説の方もこんなに奇想天外奇天烈な内容なのだろうか?オリハルコンの3つの剣を巡り、時の権力者がそれを手に入れ、世界を動かす力を得ようとしたという話しは面白いが、話しの飛躍度があまりに凄まじいので殆ど漫画である。

●宇宙船から、アメーバ宇宙人、徳川幕府に豊臣家、天草四郎、その他諸々の歴史上の有名人の名がずらり。脚本も相当に苦労したであろう。この滅茶苦茶なストーリーをなんとか大きく破綻させずに誤魔化しながらも一つに映画にまとめたというのはよく頑張りましたねという感じである。脚本もそうだが、堤監督の才覚でぶち壊れて四方八方に弾けとびそうな話しをなんとか繋いでいるという感じだ。

●宇宙船から始まるトンデモストーリーは前半は一体どうなるのかと割と面白く見ることが出来たが、それも次第に息切れ、だんだんと退屈になっていく。結局この映画は何だったのだろう?滅茶苦茶ストーリーのテレビのバラエティー番組みたいなものか? 江守徹のナレーションが無かったら話なんて全然分からなかっただろうに。というか、ナレーションで全部の筋を殆ど話してるから、役者の演技は肉付け、味付けのアクションシーンになっている。いやはや、余りの奇天烈さに流石の堤監督も話をまとめて映画にするのが無理と判断してナレーションでなんとか形を落ち着けたと想像する。

●なんとかかんとか、どうしょうもない、くだらない、というレベルからほんの少し上をキープしている。それもこれも堤監督の演出と斬新な映像があってのものである。

CGIの技術はテレビのロボット変体物や戦隊物、ライダーシリーズなどで実績を積み上げているから流石に上手いのだが、CGIなんてどんどん見飽きてくるのだから、本筋のストーリーできちんと魅せる映画を作らないとねぇ。

●こんな映画を作ってもその評判と人気に全くケチが付かない監督というのは、日本においては堤幸彦のみだ。それは映像に堤流のテイストはあっても、作品そのものに、作家性や主義主張を入れてこないで映画を作り続けていたからだ。堤監督はあくまで雇われて作品を撮り続けてきた、だからどんなに変な作品を作っても、どんなに今までと流れの違う作品を作っても、機能としての監督業に変わりは無いからだ。だが、そうであっても、堤監督にはそろそろ本当に真正面から取り組んだオリジナルの映画と撮って欲しいと思う。

●今の日本で一番ひっぱりだこ、一番人気の監督、だけど堤監督はナンバーワイの雇われ監督なのである。映画会社が映画を作るとき、一番失敗の恐れなく、そこそこにまとまった、ある程度以上の完成度の作品をスピーディーに撮ってくれる、一番ビジネスとして都合のいいやりやすい監督。それが堤監督なのだろう。作家性なんてものを盾にして、なかなか言うことを聞かず、自分の撮りたい絵とストーリーしか撮ろうとしない監督は、映画会社としては扱いにくし、リスクも大きい。会社は”監督”という機能を忠実に、着実こなしてくれる監督が一番なのだ。言ってみればそれはサラリーマン監督ともいえる。

●堤監督は日本映画の名匠、巨匠と言われるような監督とはまるで違う。黒澤にしても、今村にしても、今に名を残す監督達は撮影所から独立し、自分の撮りたい映画を苦労賛嘆して撮っていった。堤監督は大手の映画会社の雇われではなく、製作プロダクションの監督である。だからこそ、最初から独立しているようなものだ、利かない自由もあり、利く自由もあるはず。

●オフィス・クレッシェンドの取締役でもある堤幸彦としては、たくさん映画を作って、たくさんお金を稼いで会社と社員に貢献するのが一つの責務でもある。だがやはり映画監督なのだ。次から次へと追われるように持ち込まれた作品を撮っていくのではなく、もうそろそろ自分の本当に作りたいと思う作品を自分の手で撮って欲しいと思う。

●5月13日放送のNHK「プロフェッショナルの流儀」に出演した堤監督は「今50歳、後10年、何か自分の代表作といわれるものを撮りたい。焦っている」と語っていた。ならばこそ、持ち込まれた監督依頼を次から次へと休む暇も無いほどに仕事、業務としてこなしていくのではなく。自分で話しを見つけ、自分で本を書き、脚本とし、そして真に自分が撮りたい、自分の思いを訴えたい、そういう映画を自らの手で作って欲しいと思うのである。

●『大帝の剣』を見ていたら・・・・そんな気持ちがより一層強くなった。

●イイ監督だとおもう、手堅い、ある程度以上のクオリティーは確実に備えている。後は・・・雇われではなく、自分のオリジナルが必要なのだ。

注)クドカンは脚本を書いているよりも、役者をやっていたほうがいいのではないか?独特の風貌とキャラが際立つと思うのだが。