『銀色のシーズン』

●ちょうど公開日の1月12日は白馬に居た。八方、白馬のスキー場はそれはもう「銀色のシーズン」のポスターやらタペストリーやらパンフやら、チラシやら、コースガイドにも、白馬の観光パンフレットにまでも・・・・・もう白馬中が映画「銀色のシーズン」だらけだった。レストハウスの階段脇では「銀色のシーズン」のパネル展が開かれていたし、人が集まるところにはどこにでも「銀色のシーズン」の宣伝物が飾ってあった。ゴンドラ下のエスカルプラザでは丁度入口の所でノンストップで「銀色のシーズン」の予告編が大画面テレビで流されていた。白馬の街の全面協力を受けて撮影された映画ということはあるが、ちょっとやりすぎ?の感あり。この冬のシーズンに白馬のスキー場全体に訪れるスキー、スノーボードなどの客は数十万人規模になるだろう。それだけのボリュームの人にダイレクトにこの映画の宣伝をできるのだから、それも通常の都心部の宣伝と違って、かなーり安い値段で(ひょっとしたら白馬村の協力でタダかな?)これだけの映画宣伝が出来るのだから・・・これは巧いやりかたかな?

●白馬の街でバーのスタッフ、飲食店のオジサン、おばさん、レンタルショップのオジサンなど、誰彼ともなく「銀色のシーズン」の話題をちょっとでも話してみると「お、俺もあの映画に出てるよ、ほんの少しだけど」「エキストラでどこそこのシーンに私が映ってるわよ」なんて話しが必ず出てくる。もう白馬の村全部といっしょになって作った映画なんだなとものすごく感じた。

●この冬一番の話題作と言って良い作品なのに、当初のお正月映画第一弾から落とされてて、正月第二弾の1月12日公開となったのは、監督やこの映画に携わった人たちからすればかなり腹立たしいのでは?「ALWAYS 続三丁目の夕日」が好調ことによる第二弾落ちなのだから、同じ製作プロダクションとしてはまあいいでしょ、ということなのだろうけれど。

●この手のスキー映画としては誰でも「私をスキーに連れてって」(1987年)が第一に上がるだろう。あの映画はホイチョイ制作の傑作であり、実に巧くまとまった非常に良い映画であった。未だに邦画のスキー映画といえば「私を・・」が第一に上がるだろう。
注)「ゲレンデがとけるほど恋したい」(1995年)なんていうのもあったが・・・・箸にも棒にも引っ掛からないレベルの映画であるからほぼ無視されている。

●『銀色のシーズン』は言ってみれば2000年代の「私をスキーに連れてって」になる可能性をビンビンに予感させる映画だということになるだろう。
そういった多くの期待を含んだ映画ではあるが・・・残念ながらその期待に応える程の出来ではない。

●ましてや『銀色のシーズン』って、タイトル・・・・ベタベタ過ぎない? ベタなのはまだいいとして、内容ともちょっと合っていない。タイトルセレクトの微妙なズレがある。
[:W200]
●この映画のポスターも、なんで背景を黄色にしてるの? 全然雪とか冬のフィーリングがポスターから伝わってこない。なんで黄色にしたのか? バカじゃないの?と思える。一部にブルーの背景のポスターデザインもあるが、せめても雪のシーズンを感じさせるなら薄いブルーだ。シルバーは印刷に金が掛かるとはいえ、黄色はない。何考えているのかね、デザイナーは、プロデューサーは、宣伝担当は・・・一番大事な宣伝ポスターがあのデザインじゃ全然ダメ。冬を感じられない。

●ストーリーは・・・練り上げているとは言い難い。粗だらけ、突っ込み所超満載。登場人物の個性も殆ど深さが無い。表面的にさらっとこういう人物ですよ的な説明シーンを入れているだけで、実にキャラクターが浅い。映画全体が浅く広くぺったりと伸びたピザ生地のようなものであり、話しとしての深みもまるでない。派手さだけを求めた脚本で、もっと練り上げるべき所を時間をかけて書くべきだったのではないだろうか。

●ヒロインである田中麗奈がなぜかこの映画では輝いていない。いや、確かにキャラクターの設定としては輝きを持つキャラクターではない。悩み苦しみ、死までを考えているキャラクターなのだから。だが、これまでの映画で田中麗奈が出演すればヒットは確実というほど、彼女の存在は映画の中で光っていた。自分としても「がんばっていきましょい」「駅伝」などは彼女の出演作の中でも大好きな映画である。彼女持ち前のキャラクター、女優としての素質は、明るく、飛び跳ねていて、光り輝いている女性だ。だが、この映画の田中麗奈はその本質を輝かせる役に付いていない。つまり、今回の田中麗奈のキャスティングは・・・田中麗奈が悪いわけではないのだけれど、ミスキャスティングなのではないかと思う。

●今回の田中麗奈はきついことを言えば大根役者になっている。田中麗奈の良さがまるで出ず、個性に似合わぬ役をしている。だから、演じているのに全然役に真実味が無く、ド下手な新人女優がなんとかかんとか演技をしているという感じだ。これは本当に目を伏せたくなる、悲しくなる。

●前評判の高かったスパイダーカムでの撮影も全然目立たない。事前に公開されていたメイキング映像などもあり、期待は高まったのだが・・・いかに対象が空間を移動するそのままを撮影出来る機材だとしても、その動きを大胆に演出するには機材だけではなく、付帯するお金がばく大に掛かる。カムのセッティング、ロケ、動きの計算、そして大胆でダイナミックな映像を撮ろうと思えばそれだけ撮影セットの規模も大きくなり、費用もどんどんと膨れ上がっていく・・・・・残念ながらこの映画ではせっかく運び込んだ最新の撮影機器も、それを最大限に使ってびっくりするような映像を生みだすほどの条件がなかった。撮影のスケール、予算、などが最新機材を生かす程のレベルに追いつかなかった、追いつけなかったという感じである。

●所々で映しだされるスキーでの雪山滑走シーンはなかなか良い。絵も美しい。白馬やそのほかいろいろな所の雪山風景を合わせているのだろうけれど、雪面をスプレーを上げて走るシーンはどれもこれもイイ感じだ。空中撮影やCGも組みあわされて観ているだけで実に気持ちが壮快になる。だがである、そういうシーンがもっともっと有っても良いと思うのに、思った以上に少ないのだなぁ。銀色のシーズンの映画なのに素晴らし撮影をしているのに、素晴らしい雪山のスキーシーンが全体のなかで少ししかない。(穴だらけのドラマ部分はたっぷりだが)そう言った部分も観ていて「あれぇ、雪山を滑るシーンがなんだか少ないなぁ、雪の映画なのに物足りないなぁ」と思わせてしまうのである。

海猿が山猿になった・・・・というコピーが使われていたが、まさにその通りで、海猿と同じ位のレベルの作品になったと言っているようものである。

●と、ここまで酷い書き方をするのもちょっと悪いかな?という気がするのだが、ホントの思った気持ちだから嘘はない。映画としては「銀色のシーズン」は全然褒められたものではない作品である。

だけど・・・・・『好きだね!この映画』

●ちょっとした事件、行動がトラウマになって心に少しの悩みを持った3人の男達。スキーの腕だけは秀逸。その3人が田舎の小さいスキー場を舞台に好き勝手放題している様子は・・・スカッとしている。若者が若さのパワーを思いきり外に弾きだして、

海猿は海難救助というシリアスな背景設定なのに、中身がホントにおちゃらけで、突っ込みどころも背景がシリアスだからちょっとふざけてんじゃないのというムカ付きがあった。山猿こと「銀色のシーズン」は雪山の、スキーの好きな若者のその行動こそが舞台だ。だから突っ込みどころ満載でもシリアスな設定じゃないんだから許してあげようという気になる。 監督や出演者がこの白馬という場所で、頑張って、気持ち良く活きの良い映画を作ろうとしたそのパワーはスクリーンからたっぷり感じられる。ダメなストーリーでも、ちょっとした場面やセリフに「よしよし、がんばれぇ」と言いたくなる力がある。きっと自分も三人の山猿と同じように、悩んだりすることはあっても、こんな風に自由に好き勝手にやりたい、そういう時代も過去にあったなって、思いが蘇る部分があるのだろう・・・・そして、そう思う人が結構居るんじゃないかと思う。

●この手の映画には映画そのものとは別の、なんていうかな、映画そのものを、いいフィーリングで作ろうとしていたスタッフ、キャストの思いのパワーが宿っている。そのパワーが気持ち良くて好きだ。だから、映画そのものの技術論やクオリティーという部分は横に置いておいても、この映画は好きなタイプの作品なのだ。

●巷の映画評もほとんど悪いものばかりのようだが、ある種の思いも持っている人にはこの映画の良さは伝わるとおもう。たとえばそう言った映画はこのブログで書いているのだとロード88とかもそうだ。

●映画の事をあれやこれやと好き勝手に辛口に書いているが・・・・・・それとは別のスタンスで、次元で、心に響く映画、好きなタイプの映画というのがあるのだ。だから、自分はこの映画、ダメダメだけど・・・・いいよって、好きだねって言うね。

『銀色のシーズン』公式ページ:http://www.g-season.jp/
goo映画『銀色のシーズン』:http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11932/index.html
ぴあ映画生活『銀色のシーズン』:http://pia-eigaseikatsu.jp/title/19764/