『暗いところで待ち合わせ』(2006)

田中麗奈はなかなかいい感じ。数年前は田中麗奈が出れば映画はそこそこヒットするとまで言われたくらいなのだが、ここ最近はぱっとしていない。それは作品の興行だけでなく役としてもだ。『ゲゲゲの鬼太郎』[2007]であの猫娘を演じてあの踊りをやった時点で「んー、田中麗奈もここまできてしまったか」と思ったし、『銀色のシーズン』(2008)の時もどうしょうもない役をやってるなぁ演技もしょうもないし・・・と思ったものだったけれど。だが、殆ど同じ時期にこんなしっとりとした役もやっていたんだねぇ。猫娘田中麗奈は強烈で凄かったが、やはり彼女のキャラからするとこの『暗いところで待ち合わせ』の女性のような役の方がいいんじゃないだろうか?

●ちょっと無理のあるストーリー展開。いきなり一緒に暮らす父親が交通事故にあって、始まって直ぐに、たった一人になるというのも強引過ぎる話しの持って行き方だ。韓流ブームで台湾のイケメン俳優をあてがえば動員も図れるし、台湾でも日本でも話題作りがしやすい台湾のマーケットにも持っていける、という安直なプロデューサーの考えから田中の相手役をチェン・ボーリンにしたのだろうが、殆ど日本語が話せない状況でこの役はどうにもならん。もうこういったあけすけな客寄せのキャスティングは作品の質をなんら向上させないというのが・・・まあ分かっていてもそうするんだろう、今の邦画の流れでは・・・。

佐藤浩一はかなり嫌みな役をやっている。工場にいる若手の苛めなんだから。しかし佐藤浩一はこういう役が嵌まってるなぁ。クライマーズ・ハイのあの結城みたいな役はとてもよかったのだけど、地としてはこういう陰湿や嫌な奴の役がぴったりなのかも?

●心温まるほのぼのドラマかと思っていたが、設定の甘いサスペンスであった。あちこち見え見えの脚本、設定の穴があるので観ていてどうしょうもないねぇこのサスペンスはと溜息が出てきてしまう。

●大石(チェン)殺人容疑者として疑われるのを逃れる為ミチル(田中)の家に来たということ、ミチルが玄関を開けたところをすり抜けて家に潜り込むということは大石はミチルが目が見えないということを知ってたということになる。駅のホームで向かいの家の窓から顔を出すミチルを見てこの娘は目が見えないんだってわかって家に来た? そんなことあるのかい? まあいい、それならそういうことにしておこう。しかし、その後にミチルに洗濯物を届けに来た三島(井川)はミチルが目が見えないということを知らなかった。これがサスペンスの謎解きのキーになっているのだが、同じように駅のホームに良くいた大石はミチルが目が見えないとわかっていて、三島は分かっていなかったっていうのが設定としておかしい。いや、大石がミチル遠くのホームから見ているだけなのに、ミチルが目が見えないと分かってかミチルの家に忍び込むというそこが大体にしておかしいのだ。そんなことありえんだろうと。もう少しなにかのきっかけやどうしょうもない状況に追い込まれて仕方なく逃げ込んだらミチルは目が見えなくて、そのまま黙って家に忍び込んで隠れていたというならまだ説得力も状況の整合性もとれるのだ。

●目が見えない人は音にも嗅覚にもなんにしても敏感だというのに、直ぐ近くに忍び込んだ大石がいるのに気がつかないというのもこれまた不自然極まりない。まあそこをなくすと話がすすまなくなってしまうからどうあっても気がつかない、何か変な雰囲気を感じていても実際に大石がいるとは分からないと都合よく話を進めているのだろうけれど。

●ファンタジーとしてみれば良い? このストーリーではファンタジーにはなりえないし。サスペンスとしても粗だらけ。まあ三島が犯人であったということはちょっとどんでん返しで驚いたけれど。いや、驚いたのはそれ以上に駅のホームの端から飛び上がって出てきた井川遙の怖さだ。この表情は相当に恐ろしい。ドキッとした。本当に何かを恨み襲いかかろうとしているかのような目つき、表情。井川遙は演技が巧みだ。この井川の演技を見れたことはこの映画を観たプラスかも?

●ということで田中麗奈の目の見えない女性の姿を演じている巧さ、井川の演技の巧さこの二つかな?良かった点は。もう少しサスペンスなら話の設定をきちんと煮詰めるべきではないの?そうい言いたくなる作品であった。