『秒速5センチメートル』 

●劇場にまで足を運んででも見に行きたいと思う作品がない年末である。

●あざとい宣伝手法がテレビでも雑誌でもネットでも嫌過ぎるくらい見えている映画ばかり。そんなんだったらソフト化されてから見てもいいや。そんな気持ちになる作品が劇場でヒットしている。「恋歌」やら「三丁目の夕日」やら。新垣を使った過剰なまでの宣伝と露出で若い層を劇場に引き込み、年配層も懐かしい昭和の映像の「三丁目の夕日」で取り込み、この年末の日本の映画鑑賞層を上から下まで一社の小屋に詰め込んでしまえとしているのだろうか? 他の会社は何をしていることやら・・・・・。

●と、作品とは関係のないことを最初に書いてしまったが、そういう嫌らしさが今年の年末興行には見え見えなので、敢えて劇場を拒否し、今まで見ていなかった小規模な作品で評判の良いものをこの機会に見ておこうという気になったわけである。

●渋谷シネマライズで上映され、短編で、ミニシアターで公開され、しかもアニメだというのに、記録破りの動員を作った作品。それがこの「秒速5センチメートル」奇妙でありながらも何か心に引っかかるタイトルである。

●ジャケットにも使われている独特の遠近感を持った彩色の絵は最初は、お、なんか凄いな!と思ったがずっと見ているとどこかで見たことのある感じが・・・・・クリスチャン・ラッセンのアートワークに似てるね。それが悪いと言うつもりではない。アニメーションの中にあのテイストを持込んだというのは唯一無二の事であり、その美しさが多くの人の心を掴んだのであろう。

●今までのアニメーターが描かなかったような細かな生活の部分の描写、風景の描写、町並みの模写、そして光線の独特の使い方など、確かにこの監督は新しいスタイルを日本のアニメ界に持込んだと言える。

●第一話はストーリーの出だしとして非常に大事なところなのだが、二人が分かれてからの描写に思いっきりの違和感を感じる。設定では二人は小学校を卒業し、中学生になっているのだが、絵があまりにアニメチックなために二人がまるで中学生に見えない。20歳位の若いサラリーマンとか言っても大学生、つまり充分な大人に見える。話していることも文学部の大学生が喋っているかのような大業な言葉だらけだ。これではこの二人がまだ幼い中学生という風には思えないだろう。(後から知ったことがだが、この喋りは大人になって回想のナレーションだということだ・・・それなら少しは理解できるか?とは思ったが、説明されて分かるようではそもそもダメなのである)

●とは言え、誰もが若かりしころに経験したような甘酸っぱい想い出、その懐かしさ、胸が締めつけられるような恥ずかしいようなあの感じは非常に良く再現されている。

シネマライズでこの映画を見た女性は、きっと胸が締めつけられて、自分が幼かったころの好きだった同級生のことや、その頃の思いを蘇らせていたことだろう。そして「あの映画、ものすごく良かった・・」と情報の伝搬をが行われる。この映画は驚くほどのヒットを記録しているわけであるが、それも東京という場所、渋谷という場所あってのものだろう。渋谷に繰り出す若い女性、OL,アベックそういった人達が見たからこそこの映画はヒットした。彼氏と手をとって映画館に行き、純情だった自分を思いだし(笑)グスグスと涙を流し、隣の彼に「もの凄く感動した・・・」と語り、自分の純情さをアピールする、自分の可愛らしさ、自分も高だったんだよとアピールする・・・そのお膳立てには見事な内容の映画だ。デートとしてではなくてもまだ若いOLや少し歳をとってしまった女性でもこの純なストーリーを観て、仕事だとか人間関係にへとへとに疲れながらも、表面的には私は巧くやってるわ、全然なんともないわ。と装っていても、こんなストーリーを美しい画面で見せられたのでは、本当はこんなふうに純真に生きていたい、そういう頃だってあったよね。と我に返ることだろう。

●渋谷という場所に集まる人種、女性に心に訴えかけた映画。そしてそれが渋谷という場所であったらか訴えかけられたのであり、認知も広がったのであり、そのお洒落さ、最先端さのイメージがあったからこそ、その情報は全国へ拡散していった。そして驚くほどのヒットとなった。

●渋谷発信のヒット映画の見事なパターンをきっちりと踏んだアニメーションということになるだろう。こういったヒットパターンは今では渋谷からしか起きることがない。以前であれば岩波ホールだ、新宿だ、有楽町だというふうにまだ小屋とその街に個性があったのだが、今街自体が情報の最先端であり、そこにあることが若い世代にとってかっこいいこと、センスあること、吸収して真似をしたくなること・・・そう言った場所は渋谷位ということなのであろう・・・特に映画と劇場から発せられる最新のカルチャーの匂いということでは、渋谷以外に無いのかもしれない。

●ただしだ、この映画を観て、昔の自分を思いだし、何かに心を揺さぶられるというのは、本来あるべき日常の生活の方がわい曲しているということの証しでもあるだろう。歪み、捩れ、腐敗した社会とその中に浸かっている自分の事を知っているからこそ、こんな映画に魅かれる。そういう映画が出来るということはその素晴らしさ純真さの反照が現実だということなのだと気が付かされるのである。

●第2話・・・第一話との話しのギャップがあるようで、最初同じ男の子のストーリーと思わなかった。だが、場面設定を種子島という非常に特異な所に持っていくなどニクイやりかたをしている。目の前を大きく長く高い巨大なトレーラーが通過していく、それがロケットを運んでいる所なんだというくだりはそのまま監督が実際に見て驚いた経験を絵にしているのだろう。表現の巧みさもあるが、目の前をロケットが運ばれていくなどという日常では経験できないことを種子島という特殊な場所の特殊な経験として画面に取り込んでいるのは巧い。それを観る側も同じように驚きを受け取ることが出来る。

●夏の青空の元でロケットが打ち上げられるシーン。高く高く空に向かってロケットエンジンから吹きだされた煙がズンズンと伸びていく。このシーンも非日常の驚きを観るものに与える。映像描写の巧さがあってのことだが、そこに非日常、普通では観ることの出来ない風景を描きだすことによりテクニックとしての驚きではなく、純粋な絵としての驚きを演出している。巧い!(ただし、このロケット発射のシーンは「ガタカ」から取っているのかな? 絵がものすごく似ている。まあ模倣して、それを越えてこそ良い作品は作られるわけだろうが・・・・)さらに言えば、波乗りのシーンは「ブルークラッシュ」の一場面そのままという絵もある。頭の中で描ききれない場面は絵や写真を元にして作画するのはしかたないことだろうが、オリジナルが分かってしまうような作りは止めるべきだろう。

●波乗りのシーンはこの作品の中でもとりわけ描写が下手である。洗濯機の細かな動き、ホームに入る電車、そして駅の風景。ロケットが上昇する場面。ものすごく細かく驚くようなアニメーションが随所にあるのに、第2話のサーフィンのシーンは波の感じも乗っている感じもどうもマンガマンガしてしまっていて本当の動きとほど遠い。監督は波乗り、サーフィンにまではその詳細な描写を生かすほどの知識と経験はなかったか?

●第三話になって普通では考えられないとんでもないところでタイトルが突然でてくる。そしてそれはストーリーの終わり直ぐ間近だ。これまた思いきったことをやるものだ。でもアンダーから飛び込んできた「秒速5センチメートル」というタイトルがセンターで止まり、そして揺れ、絵がアウトしていく。そして山崎まさよしの歌声がかぶる。このシーンはいいね。巧いね。拍手を送りたくなるよ。

●全体としてこのアニメは絵もストーリーも少女趣味的な部分が多く感じられ大の男がこれを好きとか言うとアニオタと言われそうな感もある。だが、クオリティーの高さは明らか。ストーリーもキチンとしている。それが照れて恥ずかしくなるようなものでも、心にズシンと来るものをもっている。どちらかといえば男性よりも女性に受ける作品とストーリーであろう。男性監督が作っているのだけど。「秒速5センチメートル」って映画観たことある?と知りあった女性に聞いたらヒットしてるとはいえ知らない人も多いだろうし、じゃあ観てご覧なんていったら、その女性の心を少し揺らすことが出来るかもしれない。その位この作品は女性に向いているんじゃないカナと思う。