『クローズド・ノート』 

●例の舞台挨拶での話しは映画の中身には直接関係ないので後回し。

●2時間18分という長さに「おいおい、なんだそれ? 邦画でこの位の話しに2時間超とは」と見る前に嫌な予感。だが、尺の長さは全く感じられず、作品全体もほぼ破綻もなく、ラストまで実に巧くまとめられた、そして非常に爽やかな内容の映画だった。

●例の舞台挨拶はどうしょうもないが、実はこの映画の予告編を見ている段階から「んー、沢尻か、なんだか偽善的だなぁ」と思う部分はあった。別に耳にしようとおもわなくても、あれやこれやと沢尻のゴシップねた、傲慢な振る舞いは聞こえてくる。CDのプロモにしてもCMにしても「パッチギ」にでていたようなあの清純さではなく、わざとというか無理してというかダーティーでけばけばしく、可愛らしさという部分を強制的に否定しようとしているような部分が見える。(事務所が無理やりそういうイメージを作らせているのか、沢尻自体がカワイコチャンキャラを嫌がってそうしているのか、それとも地なのか?それは分からんが)

●そんな悪評プンプン、ケバいイメージプンプンの昨今の沢尻を見ていると、予告編でさも可愛く「私じゃダメですか」なんて言ってる沢尻には「うへぇ、偽善的」なんて思いが付きまとう。だから当初は「この映画キャスティング失敗してるんじゃないのかね? 人気あるからって沢尻を使うのはどうなのか?」と思っていた。

●それで、更に悪いことにあの舞台挨拶事件。自分も「ああ、まったく。この映画は最初からちょっとと思っていたけどまあ見る気がしなくなったね」と思って劇場に足を運ぶこともなかった。それがたまたま時間に余裕があったから、まあせっかくのチケットを無駄にするのもなんだからと時間潰しの感覚で見に行った。(時間潰しに132分は余りに長いが)

●案の定、メジャーな劇場の夕方の回なのに10人にも満たない観客の入り。これは酷いなぁ、あの舞台挨拶の一件でアベックも、普通の映画ファンもこの映画を見ようという気をなくしてしまってるんだろうね。と思った。(興行収入的にはまあまあ良いところ行ってるみただが)

●つまらなかった寝てよう。そんな感じで映画を見始めたが・・・・・んー、面白くて、巧くて予想を大外しで感心してしまった。

●沢尻は見事にこの映画のキャラクターを演じきっている。最初は少し「あの沢尻がこんな純な役なんて実際とは違うから白々しいや」なんて事も思っていたのだが、そんな気持ちは直ぐに消えた。この映画の中の香恵という女性を沢尻は見事に演じている(まあ、つたない部分もあるが)。
この映画の中心人物である香恵は完全に”香恵”になっておりけばけばしい沢尻のイメージはほぼ見事に消えている。

●そういうことでいうと、沢尻の演技はなかなかのものだとも言えるのかもしれない。監督の演出に巧く自分を殺して別のキャラクターを演じきっている沢尻は大したものである。自分も映画が始まって数分で、あのいまいましい沢尻のイメージは頭の中から消え、純粋に人を好きになっていく若い女学生の姿がスクリーンにあった。

●映画の中で役者が演じるキャラクターが、役者の日頃の遡行や、日頃のイメージから離れず、そのキャラクターとして生ききれない場合というのがある。「life」の中の伊東美咲は映画の中でも伊東美咲であった。飯島夏樹の妻という役にはなりきれていなかった。だが、それも一つの在り方で、伊東美咲は演技の力量もあるが、伊東美咲としてあの役をやっていた、そこまでしかできなかった。だが、それでも一つの役は全うしていた。

クローズド・ノートの中の沢尻は香恵になりきっていた。(少なくとも自分の鑑賞感としてはだ)映画の中の香恵に沢尻臭さは感じられなかった。それは繰り返しだが、監督の演出の力量、そして沢尻の見事な自分を消した豹変振りの巧みさ・・・つまり演技の巧さであろう。

●沢尻でなければ見る前にへんなバイアスはかからなかっただろうが、沢尻はそのバイアスを消してしまうほどに巧く役をこなしている。

●と、結局沢尻の事ばかり書いてしまっているが、映画として非常に巧く出来ている。段々と先は読めてくるが、それでもストーリー自体が持つ爽やかさ純粋さに見ているものとして、心は洗われる。

●子供たちのたどたどしさも見事な演出だ。子供たちの顔触れも整った顔立ちだけを揃えたりしておらず、実に綿密に考えられて一人ひとりが選ばれたのだろうと思う巧みさだ。登校拒否になった女の子は演技も実にうまいし、田舎の素朴な女の子らしさを素で感じさせてくれる。

●ということで、この映画、沢尻のおかげで飛んでもない興行の出だしになってしまったが、見るに値する作品である。特に女性向けの素敵なラブストーリーで、これを素直にみたら多くの女性は「こんな恋をしてみたい」と思ってしまうのではないだろう?

●そういったいみでも、初日舞台挨拶でのあの沢尻のとんでもない発言は、とても残念。監督や、スタッフ、皆がせっかく作り上げて大成功させよとした映画に泥を塗ってしまったのだから。

●この映画での最大の失敗点は・・・・・またしてもテーマ曲。YUIは昔のフォークソング見たいな歌い方だし、少し暗いのだが、最近のヒット曲はとても爽やかで可愛らしいものなどが続いていた。唄もフォークソングっぽいのが最初は多かったが、今はこなれてさらっとした唄がやはりファンの子のみだろう。そんなYUIが歌うクローズド・ノートの主題歌は・・・・マイナーなコード進行でどうも曲調も歌詞も暗くて重い。
このクローズド・ノートという映画は実に明るくて、爽やかな作品であり、内容もラストシーンも本当に胸がスーッとするような爽やかな映画である。

なのに、ラストに掛かるYUIのテーマ曲がどどどどっと暗い。映画の雰囲気に曲が全く有っていないのだ。映画に合わせてもっと明るく爽やかな曲をラストに流せばいいものを、なんだか悲哀の唄みたいな曲が流れるからどうもしらけてしまう。

●映画の製作段階でテーマ曲をオファーしたのだろうが、プロデューサーも監督もこんな暗い曲が上がってくるとは思っていなかったのでは?映画のイメージをYUIに伝えるのにしくじったか、YUIが曲解してしまったのか、どちらにせよラストの曲はせっかくのラストシーンの良さを暗くおしつぶしてしまっている。もっとマッチした曲であれば、観客は爽やかな気持ちで劇場を後にできただろうに。

●監督もこの曲はちがうな?と思っていたのではないだろうか? でもソニーミュージックYUI、そしてYUIの事務所の手前、いろいろな絡みもあって、曲を差し替えるところまではやれなかったのではないだろうか?

●映画自体はいいのだけれど、選んだテーマ曲で失敗して映画のトータルクオリティーを少し落としてしまったという感じだ。

★映画批評by Lacroix