『 Life 天国で君に逢えたら 』 

●ガンに犯され38歳で無くなったワールドカップトップクラスのウィンドサーファー飯島夏樹のエッセイ「天国で君に逢えたら」「ガンに生かされて」を基に映画化したという作品。

●ハワイでの映像が非常に奇麗だ。これはやはり空気の違い、湿度の違い、太陽の光の違いであろう。日本で同じような映像を撮ろうとしても不可能なのだ。空気の乾きと太陽の日差しが作りだす色の輝きは湿度が高く光線の力が弱い日本では撮影できない。それほどまでにハワイでの映像は海の青さも空の青さも花の色も草の緑も輝いている。

●カメラマンが良いのであろう、ハワイの空気と光線が作りだす色の輝きを見事にフィルムに落としている。〔少しエフェクトしてるかもしれないが?)

●ウィンドサーフィンのレースシーンではヘリコプターを使った空中撮影でハイスピードで水面を滑走するウィンドサーフィンを追いかけている。んー金がかかってるねこの撮影。そしてそれと同じくらいいいカメラマン使っているなぁ。

●ハワイでのウィンドサーフィンのシーン、海のシーンは日本映画の中でもトップクラスの美しさだ。『ブルークラッシュ』に勝とも劣らぬ映像と言って良いだろう。

●冒頭から絵の美しさに驚いてしまったがストーリーもなかなかである。実直に言えばそれは脚本や演出の妙というのではない。実際にガンに侵され、死ぬ間際まで必死に生き続けた飯島夏樹という人物の実話を元にしているからこそ、そういうストーリーが本当に有ったのだとスクリーンを観ながら感じてしまうからこそ非常に重く心にのし掛かってくる。

●そう言った意味でこの映画を映画の方法論やスタイル、そして技術などで語ってしまうのは少し憚られる。フィルムに写しとられた映画としてのストーリーとその裏にある真実のストーリーの二つを観客は同時に頭の中で観てしまうから。

●敢えて映画という部分で話しをすれば、カメラマンの良さ、ハワイでの映像の美しさの部分以外には特に取り立てるべきものはない。ストーリーは非常に平凡だし、話しの進め方も教科書通りというか、本当に順当。こうなるだろうと思う通りに話しは展開してゆく。だからこの映画は映画云々ではないのだ。妙な演出や特殊な撮影、特殊な編集などを行えば裏に流れている真実のストーリーを茶化してしまうことになりがちだ。ある種ドキュメンタリー的な映画制作の進行をしなければならないタイプの映画であり、それを行うには新しい映像表現を求めている監督だとか、今までに無い絵を作り出そうとしている監督だとかではなく、本当にスタンダードに手本通りに映画を作っていける監督が必要となる。監督にとってもそこは苦しいところであろうが、それを行いきっちりとまとめ上げるには若さや先進性ではない、経験から積み上げられた器量というものが必要であろう。

●こういった実話を元にした映画はストーリーの二重性(映画と現実)の葛藤に悩まされる。

●劇場では非常にヒットしているようだ。通常の公開が終わってもレイトショーのみとかでロングランを続けている。多くの人がこの映画に足をはこんでいるという事実は、やはり実話の、哀しいけれど勇気づけられるストーリーの持つ力なのではないか?

●お決まりで苦言を言うならば、夏樹の妻である寛子を演じた伊東美咲の存在か? 映画としての花、観客を呼ぶための花として有名女優の起用。プロモーション、宣伝戦略のやりやすさとして美人女優、人気女優を採用するという手はそれでいい。この映画はヤフーとも連動して、公開前からヤフートップページで頻繁にバナーを回していたし、公開直前には大沢たかお伊東美咲スペシャトークをオンラインで放映するということもしていた。作品にあまり興味がなかった認識がなかった人は伊東美咲という美人女優の出演ということでこの映画に興味をもつフックになるだろう。それは宣伝手法としても、映画の興行を成功させるためにもまっとうなやり方だ。

●だが、この映画はこれまで書いてきたように、夢を追いかけたのにガンに侵されて死んでゆくサーファーとその家族という実話がベースにある。監督の手腕でこの映画はその実話を妙に曲げることなく観たものに涙をながさせる素敵な作品となった。だからこそ、今度は伊東美咲の存在が目立ちすぎるという部分が逆に表にでてきてしまった。

●非常にイイ作品に仕上がっていて、この家族の苦悩に感動するのだけれど、それだからこそ、伊東美咲の美貌、華やかさ、この映画以外の芸能人としての活躍の派手さが引っ掛かってきてしまう。

●この映画を観終えて「こんなにイイ話しに出来上がっているのであれば寛子役はもっと普通の、まだ目立っていなくて、妻としての純粋さや純真さを感じられる色の付いて居ない女優を使ったほうが良かったな。と思ってしまうのである。それが観終えたあとの我侭とわかっていても。伊東美咲の起用はビジネスとしての映画としては成功であろうし、正当なやりかただとおもう。だが、この映画が想像以上に出来が良く、その真実をベースにしたストーリーが感動を呼び起こすものだからこそ、役者の色が邪魔になる。たとえば新人女優とか、まだ全然色の付いて居ない、真っ白な女優であればこれはまたもっと素直にこのストーリーや妻の哀しみに感情移入できたのではないかと思ってしまうのであろう。

●まあ、だがもしそうしていたら・・・・この映画はこれほどまでの認知を獲得できなくて、これほどまでのヒットはしていなかったかもしれない。いや、ストーリーに観客の持ついろいろなイメージを張り付けれないように、知名度の低い色の付いていない役者を使ってこの映画を作っていたら、映画としてはもっと良くなっていたかもしれないけれど、単館公開しかできないような、目立たない、劇場にもかけられないマイナーな映画になっていたかもしれない。

●二律背反、無い物ねだり、思ったよりも凄く良かったからこそ、もっともっとと欲張ってしまう。そういう感覚であることはたしかなのだけど。やはり伊東美咲は美人で奇麗では有るけれど、この重たくも爽やかな本当のストーリーのなかで目立ち過ぎてしまっているのが作品として残念である。

●海の美しさ、そして命の限りが分かっていても頑張った男の生き様、それを取り囲む家族。まあ、ぶつぶつ文句も書いたが、こんな話しが実際にあったのだということがスクリーンのなかから滲みだしてきて、そこに感動する。そういった映画であった。映画手法や技術、そんなところではなくて、純粋にストーリーとして素晴らしい映画であると言っておこう。
 
★映画批評by Lacroix