『しゃべれども しゃべれども』 

●まるで期待せず、というかこれはダメだろうなと思って観たら、とても良い作品だった。めっけものというか素敵なものを発見した気分。

●先ずは題名が悪い。「しゃべれども しゃべれども」は原作の題名だが、この題自体に何か面白さを喚起させるようなイメージも、期待をもって「どんな映画だろう?」と思うような輝き、引力が無い。原作を読んだ人には原題のままでいいのだけど、映画というのはもっと広く観客を集めてこそビジネスとして成立する。つまりヒットしないとどうにもならないという部分がある。その要素で大きいのがキャスティングや監督、そして題である。

●さらに映画の中身が噺、つまり落語ときたら「なんか面白くなさそう」と思ってしまうわけである。デートムービーには不向きと判断されるだろうし、なぁんで落語の映画なんかみなくちゃならないの?ってな感じでわざわざ劇場に高い金払って足を運ぼうというモチベーションを喚起させるものが全然ないわけである。こういった部分で自分も「なんかやぼったくてつまらなそうな映画だなぁ」「なんでこんなテーマを映画にするかねぇ」なんて思っていた。丁度よく時間的なだぶつきがなかったらきっと観ていなかったかもしれない。

●でも、そういうネガティブなファーストインプレッションがありつつも何故かこの映画を観てしまった・・・・・そして驚いたわけである。んー、なかなか良い映画じゃないのって。

伊東四郎扮する落語の師匠が町のカルチャースクールに呼びだされて話し方の公演をする。すると後ろの方に座っていた女性が不機嫌な顔をして公演を中座して外へ出てしまう。弟子である国分太一がその女性を追いかける、中座の非礼を諭す、そしてその女性に落後に来るように進める。
まあ、ちょっとこの展開はステレオ的だし持って行き方が強引じゃないの?と感じたが、そこからの話しの展開がすこぶるいい感じになる。

●一癖も二癖もある役者を揃えたキャスティングがなかなか巧い。伊東四郎のいかがわしさは言うに及ばず、松重豊のへんくつさ、そして要所要所を八千草薫が自然な演技でピシッと引締ている・・・・・絶妙である。

国分太一TOKIOの一員という派手なジャニーズ系アイドルという感じがなくて、この役のうだつの上がらないだけど生真面目で素直な青年を地で行っている感じである。羽織袴の姿も見事なまでにマッチしている。

香里奈は確かに美形ではあるのだが、イマイチ派手さというか華やかさがなく、ちょっと暗さを持っている・・・・それがまたこの役にぴったり。

●そして大人を食ってしまう程上手い演技の子役森永悠希・・・・この子の存在は騒々しいけど他の登場人物を上手く取り持ってまとめている要であろう。

●落語という世界の事は何もしらなかった、冒頭で日本にはどれだけの噺家がいて、寄席が何ヶ所あって、仕事なんて少ないのに口先三寸だけで食っていこうという人が後を経たないなんてことが説明され、それだけで、ほほうぅ・・・と感心してしまう。

●浅草のほおずき市、下町の夏の風景、古くからあった良き日本の普通の風景がさりげなく画面のなかに流れていく。その風景をスクリーンでみるとやはり心が和むというか、ああ、この感じってイイよね。と体の力が抜けて優しい気持ちになれる。

●海外の映画祭での受けを狙ってやたら日本独特の風習や風景を取り入れる映画が多々有るが、この映画の場合はそんな下心はなく、本当に浅草を中心とした下町の雰囲気をキチンと真面目に画面に切り取っている。

●全体的に抑制の聞いたトーンでストーリーは進行する。そしてそれぞれのキャラがそれぞれに日常の悩みを持ちつつも、そこに苦悩しつつも、絡み会うストーリーは非常に爽やかに流れていく。その爽やかさに映画を見ている側も乗せられていく、そして最後には良く有るオチではあるのだけれど、んーいいね、そういう感じって。ととても晴れ晴れとした気持ちで映画を見終えることが出来る。

●落語はたった一人で二役も三役もの人物を表現しなくてはならない。一人の人間が己の持つ声の高さを変えたり、声色を変えたりして多数の人格を表現することはとても難しい。国分太一はかなりトレーニングをしたのであろう、火焔太鼓の噺は充分に落語家している!これは拍手モノだ。

●それに引き替え香里奈の火焔太鼓は話しの人物が変わっても声が全く同じ。別人のキャラクターが表現できていない。一人の人物がずっと朗読してるかのような下手さだ・・・・・・だけど、一番最後で「お前の火焔太鼓は30点だ!」と言われるわけだから、30点ならあんなものか?笑

●流れるBGMも爽やか、ストーリーも爽やか、八千草薫がまた上手い、子供役も解説者もみんないい感じだ。全く期待していなかった映画だったのだけど、見終わってとても幸せな気持ちになった。なかなかの佳作である。これはいいよ!