『包帯クラブ DVD』

●この作品は、現代日本版「イージーライダー」であり、洋画の青春モノの傑作といわれる「リアリティーバイツ」であり「ブレックファースト・クラブ」であり「セント・エルモス・ファイア」だ!

●DVDで見直して思うことは、この映画には複雑なプロットも、仕掛けも、そういうものは何もないというのに、何度も見たくなる魅力があるということだ。

●特筆すべきは石原さとみの演技。最初に見たとき、そしてDVDで再見したときでも、石原は余りにワラという女子高生の役に嵌まっていて、そのセリフから喋り方からもうこのワラというキャラクターそのものになりきっている。もう石原さとみは演技をしていない、地でそのままの感覚でこれだけぴったりの役を演じていると思った。

●だが、メイキングでインタビューを受けている石原さとみはやはりワラの女子高生とは別人の20歳の女性である。そこでまた驚く。映画界的には蒼井優の演技力が高く評価されているし、将来大女優になる可能性もあちこちで話しが出るのであるが・・・・なんのなんの、石原さとみこそ大化けして物凄い演技力の女優になるかもしれないと思った。(もちろん蒼井優も好きではあるがね)

●所々抽出するが、たとえば映画冒頭で弟に晩飯を作ってやって二人でテーブルで食べているシーン。石原さとみとテーブルに付いた弟はただぼそぼそとパソコンと携帯を打ちながら丼ごはんを口に運んでいる。作ってもらったことに対する感謝もなく(だだ、暖めただけだろうとしても)ただ胃袋に詰め込む物質のごとく晩ご飯を食べる弟に石原さとみ
「せっかく作ったんですけど」と暗く重く言う。

首を斜めに傾げながら、めちゃくちゃ不機嫌そうに、自分も美味いとも思わず口の中でご飯をもぐもぐと噛みながら。

このシーンを見るたび、ただこれだけのワンシーンなのに「巧い!」と手を叩いてしまう。思わず笑ってしまい、なんてこの石原の演技はうまいんだろう、なんて雰囲気の出しかたなんだろう。弟にその言葉を発する姉である石原さとみの演技は・・・見事すぎると思ってしまうのだ。

あまりの石原の演技と雰囲気の出し方の巧さに、もうこれは凄いと驚きつつ、重いきり笑ってしまう。その位このシーンだけで巧すぎるのだ。たかが数秒のシーンだが、石原の演技力、脚本を飲み込み、そのシーンでどういう演技をすべきかを計りきっている演技力の凄さがなみなみと伝わってくる。

●じっくりとこのシーンを観察してみた。最初に画面に出てくる携帯電話のメール画面。ピポパポとメールを打つ音の中に「カシッィ」という金属的な音が混じる。・・・・・・そう、この音はスプーンを間違って噛んでしまったときに頭の骨に直接響いてくるあの音だ。この音が聞こえると、何かをスプーンですくって食べている、そこがいやおうなしに頭に浮かぶのだ。1秒もないこの音。画面の背後で聞こえた一瞬のこと。これが続くシーンで兄弟が丼物を食べているシーンに繋がっている。ただ、食物をスプーンですくって、ただのエネルギー源として口に運んでいるその姿に繋がる。「
カシッィ」という音で、実際には見えないのだが、二人がスプーンで丼の中のご飯を食べ、ただ無機質に咀嚼しているということが分かるのだ。
これには驚いた。
そして、弟に文句をぶつける石原さとみ。傾げた首はそのままの状態で、目だけが動いている。実際劇場でこの短いシーンを見てもその動きを動きとして認識できないかもしれない。だが、画面全体を捉える観客は石原の白い目の動きを全体の中に捉え、そして石原の不機嫌極まりなさをはっきりと感じることができるのだ。
「せっかく作ったんですけど」と言う石原は顔は動かさず(口元は動いて居るが)目だけを動かして、弟を睨みつける。そしてまたその目は下を向く。弟が「温めただけじゃん」というと、また石原の目だけが弟を睨みつけ、そして頭に来ているけど。弟の言葉に反論できないことに更に頭に来て、そのムカ付きを自分でむらむらと耐えて押さえ込む。石原の目だけが下を向き、宙を泳ぐ。
首の角度と、もぐもぐと動く口。そしてはっきりとした意志はその目の動きで表現されている。
さらに驚いた。

●こういった演技は監督や脚本による指示や演出指導ででるものではない。役者個人の脚本の場面をどれだけ真実的にとらえているかによって醸し出されるものだ。石原はブスではなく、かわいく、奇麗な女優だ。だがこのシーンではふてぶてしく機嫌悪く、弟の態度に煮えくり返る腹をグググっと飲み込んで押えているその雰囲気、不機嫌極まりない姉のニュアンスが物の見事に出ている。ここだけで圧巻である。
石原は美形でありながらも演技でその美形さをなんでもない普通さにまで変化させられる希有な女優ではないかとおもう。
生まれ持った顔つきやその作りから他者に与えるイメージはなかなか変えがたい。メイクや衣装でそれを出そうとしても限度がある。たとえば伊東美咲がブスを演じろといっても無理だ。吉永小百合が性格の悪い女を演じろといっても困難だ。持っている形がそれを許さないからだ。
だが、石原さとみは、美人もブスも、性格の良い女性も、悪たれ女も、こましゃくれたガキ女も全てを演じる事が出来る。・・・・・凄い女優だ。

ハンバート・ハンバートの音楽がこれまた素晴らしい。最近の邦画の、ただ話題性だけを求めて作品を更に昇華させるような音楽を絵に付与出来ていないどうしょうも無さに呆れ果てていたが、このハンバート・ハンバートの音楽はこれぞ!というべきほど映画に、シーンに、テーマに、全てにベストマッチした音だ。これこそが映画音楽というものだ。映画を、その絵をより一層素晴らしく心にしみ込ませる。そういうものこそが映画音楽というのもだ。

●DVDで細かく見ると、これはこれで劇場でみているのとは違った細部の作りまで見えて、やはり面白い。ワラがレトルトのカレーの封を包丁で切ろうとしているシーンなんか、ちゃんと湯気がレトルトパックから立ち昇ところまで映されているんだね。驚いた。そしてさらに手首をナイフで切っちゃって手を持ち上げるシーンではちゃんと血がポタリと垂れ落ちるところまで映っている。んーやるなぁ、カメラマンも。監督がそこまで入れろって指示したんだろうか?

《余談》
・エンドクレジットが終わった後、ちょっとわざとらしく追加されたようなシーン、ディノ役の柳楽優弥が、中東かどこかの戦地の中で、まだ煙のくすぶる荒れ地の親子、そして風に揺れてたなびく包帯をカメラで撮っているシーン。最初映画で見たときは「なんだこれは? なんだこの超蛇足的なシーンは?」とちょっと憤慨していた。

・この映画の主人公はワラである石原さとみである。原作も映画もワラを中心に話しは進む。だが、ディノはストーリーとしては主役ではないが重要な役でもある。映画の宣伝もポスターもディノ役の柳楽優弥が中心に作られており、映画としては柳楽優弥が主演となっているが、これは明らかに違う。主演は石原さとみであり、ストーリーの中心はワラである。

・なのに、なぜ柳楽優弥が主役? と思ったわけだが、これは事務所のプレッシャーか?SDPとHPのどっちがどう力があるとかはまあ分らないし、そういう話しはうっとうしいのだが、SDPがストーリーとしては準主役なのに、柳楽優弥を主役という扱いに無理やりさせてるんじゃないかと思える。(そうじゃないと出演させないとかってね)だが、映画を見れば殆どが石原さとみを中心に展開するストーリーだし、これじゃ主役は石原だと誰の目にも明らかなわけである。そしてラストもワラの笑顔で映画は終わる。
・事務所としてはこれは気にくわないだろうねぇ。(『フラガール』の時も似たようなプレッシャーを事務所からうけてラストが変わったということだが)だから、最後の最後に柳楽優弥のあのシーンを入れて、事務所問題を調整したんじゃないの?と思える。・・・・・溜息

・でも、原作や天童荒太のコメントなども読んでいると、「将来に繋がって行く、今の話しとして映画は作ってくれと」言っているようなので、そういう原作者の意向を考えればあのシーンもまあそれなら分らなくもない・・・となる。

・でも映画としてあのラストは主役として話しが進んでいなかった人物を最後に大きくだしてるところでも明らかに変だし、まあこの作品に関わったいろんな会社や、プロデューサー、監督なんかのつまらないしがらみを苦心して調整した結果ああなったということなのだろうかね?


●なんだか「明日の記憶」はイマイチ受入れられなかったが、包帯クラブを見て堤監督が面白いなと思えてきた。どうも余りにも沢山の作品に関わりすぎているようで、多作すぎるんじゃないの?と思える節があるのだが(一年中休むことなく次から次へと監督してるねぇ)じっくり腰をすえて、これは!という名作を一本撮ってもらいたいものだ!