『ハチミツとクローバー』

蒼井優出演作の中でこれほどつまらない映画は今後もなかなかないだろう。見終わって真っ先にそう思った。

フラガール蒼井優の凄さをしり、どうせならと過去の出演作をずらりと見てみようと思った。

才能のある役者は才能のある監督を惹きつけ、相乗効果で素晴らしい作品が出来上がる・・・蒼井はその典型的パターンを進む女優だと思ったからだ。
そして「ニライカナイからの手紙」は文句無しに素晴らしい作品であった。

●巷の噂ではハチクロこと「ハチミツとクローバー」を絶賛している声もずいぶんと流れて着ていた。青春のあの日を甘酸っぱく切り取った秀作だとか。だが、最初の数分で「なんだろうこのかったるい撮影と演出の流れは」とがっかりしまう。蒼井優の登場シーンなど目も当てられないくらいのベタでどうしょうもない演出だ。

●この映画を好きだ、イイと言っている人は割りと原作のファンに多いのだろう。原作マンガのイメージがそういう意味では上手く映画の中に出ているのだろうか? それとも原作ファンがかなり以上の贔屓目でイイ、イイと言っているのだろうか? 

蒼井優のセリフが殆ど無い。演技力の高さは充分に評価されている女優であるのに、しゃべりが殆ど無く、ボーッとしたイメージの役。それが原作のイメージなのかどうかはわからないが女優を生かしていないことだけは確かだ。これならハグの役は突っ立っていればいいんだから誰でもイイだろうと悪口も言いたくなってしまう。

●原作は全く知らなかったが相当のヒットをしていて、売上げも凄いしファンも沢山いるということだ。どんな原作なの? とちょっと調べてみたら、めちゃくちゃの少女マンガ。いわゆるマーガレットとかリボンなんていう雑誌(今でもある?)に出ているような典型的少女マンガ。どれだけのヒットをしているとしてもオコトはこの作品を読むことはほぼないだろう。「ハチミツとクローバーって良いマンガだよね、青春の甘酸っぱさが出てて好きだ」なんてオトコが言ってたとしたらかなり気持ち悪い。オトコ、オンナという仕切りを作るわけではないが原作マンガをオトコが読んでいたらちょっと異常。女性が(ティーンと限定したほうがいいかもしれないが)読んでいる分にはなんとかなるけど、それでもかなり少女チックな漫画である。「ハチミツとクローバー」を社会人のOLとかが食い入るように読んでいるとしたらそれもちょっとヤバいだろう。マンガオタクかなにかちょっと大丈夫なの?と思ってしまう。

●原作を読んでもいないで、絵から受けるフィーリングだけであまり色々言うのもなんだが、大学生の生活と恋愛を描いてるとは言っても、若年層向けの少女マンガということでジャンル分けに間違いはないだろう。(子供向けの作品にだって良いものはあるし、若くない男だってジャンプやマガジンの漫画は読んでけれど)

●原作は少女マンガ、そしてどんなにヒットしている売れているとしてもそのファン層は女性中心であり、そういった少女マンガを嗜好するタイプの女性層。

「そういったマンガを一般向け映画作品にしようとしたところに最大のミスがある!」

●甘く切ないそれぞれの青春群像とか何かに書いてあったが、この映画の中に描かれている青春群像なるものは極めて典型的であり類型的でありステレオ的。どんな時代でも若いころの恋愛体験、青春のモチーフ、そういったものは皆同じ様なものかもしれない、皆同じような、似たような体験と経験をしていると思う。「ああ、あの若かりしころの思いでは皆同じようなものだなぁ」なんてセリフも良く聞く。それで言えば20歳前後の青春像を描けば皆似たようなものになりステレオタイプになるかもしれない。しかし、この映画に出てくる登場人物の描写、たとえば皆で海に行って叫ぶだとか、そういったものはもう数限りなくこれまでのテレビや映画であきるほど使いまくられている絵でありシーンだ。もう使い古され、手垢がついたようなどこでも見るようなシーンが映画の中でそこかしこに出てくる。

●工夫が必要なのだ。アイディアが必要なのだ。唯単純にこれまで多くの監督や役者がやって来たのと同じようなシーンを撮ったとしてもそこに映像としての新しさもなければ、創造もなにもない。この演出って!このシーンはもう使いまくられてるじゃないかといううんざり感が漂ってしまう。斬新さなどどこにもない。

●監督の高田雅博という人はこれまでCMのディレクターをしていたということで、CM業界では名が通っているそうだが、映画はこの作品が初メガホンということだ。映画を作る監督のスタンスというもの、考え方にも寄るだろうがどこかで観たようなシーンばかりで積み上げられた映画に価値はない。本当に映画を志向している人ならば今までの山のように作られたシーンとなんら代わり映えしないよく見るような青春シーンを撮るようなことはしなかっただろう。

●2006年7月の劇場公開当時の監督インタビューを読んだ・・・・
 映画初挑戦だが、「気負わずCMの延長として臨んだ」という監督の発言。
ダメなはずである。CMの延長で人を感動させる映画が出来るものか! そういう発言をした時点で映画を舐めているというか映画を何も分かっていないということをさらけ出している。

●同じく蒼井優のインタビューも書いてあった。
個人的にも「こんなに頑張ったのは初めて」
全く頑張ってるように見えな。演技もせずただボケーっとしているだけに見える。この発言はスタッフサイドが用意したものか? こんなにオーラも出ておらず、煌めきも魅力も感じられない蒼井優は他には無い。

●同じくインタビュー記事には監督の発言でこんなことも書いてある。

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ヒロインの蒼井優「ほとんど放し飼い」
「まったく出自が違う俳優たちを一つのフレームに収めれば、何がしかの影響を及ぼしあい、おもしろい雰囲気になると思った」と高田監督。
キャスティングの妙が奏功し、「撮影では指示する必要がなかった。うまく行っている時はやることがない」と笑う。

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まともな演出すらしていなかったということを自分でしゃべっている? ほんとに、まるで演出らしきものが見当たらない最低の映画になるはずだ。うまく行っていないことになにも気が付いていなかったのだろう。

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 一方の蒼井は、「ほとんど放し飼い状態。でも、監督がちゃんと見ていて、遠くにいっても戻してくれるという安心感があったから、最大限自由にやれた」と撮影を振り返る。

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ほとんど放し飼い状態? 監督は本当に映画を撮っていたのだろうか? 演出と言うものをしていたのだろうか? 真面目にこの作品に取り組んでいたのだろうか? 蒼井も放し飼い状態で自分で役を消化し自分で素晴らしい演技を滲みださせるというレベルには達していないのだろう。

●天才的な絵の才能のある少女というハグ、この映画の中で蒼井の演じるハグから天才的なものなど何も感じない。大きなキャンバスに絵の具というかペンキを塗りたくるシーンにも何も感じない、そんなものが天才の表現なのか?

●なんにしても最低クラスのどうしょうもない映画だと思う。

●原作の映画化権と、興行収入を確保するための人気役者の確保にお金がかかりすぎて、脚本と監督という映画の中で最も大切な部分はお金の出し惜しみをしたと思える。CMディレクターならカメラは扱える。映画を撮ってないから監督料は低料金で大丈夫だろう。原作が大ヒットして、530万部も売れているから劇場動員はまあ大丈夫だろう、人気の役者を客寄せパンダとして入れておいて、他の出演者も出演料が安い役者でまかなおう。音楽は大事だから人気のあるスピッツにしておこう。これで製作費も抑えられるしリクープもほぼなんとかなるはずだ。うまくいけば大ヒット、大儲けになるはずだ。
と計算していたんだろうと推測される。

これだけの人気作品なのに劇場公開規模も小さく(試写を見たら当らないと素直に判断して自分の所での公開をお断りしたのかも)、評価も低い。セルDVDはソコソコ売れ、レンタルではまあちょっと回転率がよくて、少しは製作費の回収パーセントが上がったかもしれないが・・・・・駄作として全くもってダメである。