『ディパーテッド』

●最近邦画中心に映画を選んで見ているので洋画の批評はひさしぶりか?

アカデミー賞作品賞を受賞したということで、注目度は高まっているが・・・・・・・私的には作品賞は??? である。

●ストーリー展開は流石マーティン・スコセッシ!実に巧みであり、計算されている。

●話しそのものよりも出演している役者の演技力が高レベル。だが、最近邦画ばかり見ていて、もっと素直というか、過剰な演技をしていないことの良さもわかってきているので、この映画で久々にハリウッド・メジャーの役者の演技合戦をみると・・・・確かに凄いのだけれども、ちょっと食傷気味に感じる。余りに演技が演技しているというか、作られた凄さというか、ハリウッドに鍛えられた演技力が却ってゲップが出るような感じであった。

ジャック・ニコルソンの怪演は際立っているが、これももう過剰すぎる!演技力が高過ぎてもう完成されすぎているからこそ、作られた演技だということがミエミエになってしまっている。それはディカプリオにしてもマット・デイモンにしても同じ。比べるならば過剰演技の主人公3人よりも、サブキャラであるマーチン・シーンやマーク・ウォルバーグの演技のほうがホッとするし、安心感がある。マーチン・シーンの演技は年齢も重ねた上で磨かれて丸くなった円熟の素直さだろう、ジャック・ニコルソンとは対局的。

●なにげにマーク・ウォルバーグが光っていた。肩の力の抜けた良い演技だ。アレック・ボールドウィンはやはり大根役者か? 二人の男の間で微妙な関係を作るヴェラ・ファーミガは余り冴えていない。美人でもないし。

●ストーリーは大きな破綻もなく、それなりに面白い。だが、段々と先が読めてしまうしょうがなさも多々有り。ラストに向かうくだりはどんでん返しのようでありつつも、ああ、やっぱりそうなるんだと予想が付いてしまう? 監督や脚本家は観客に驚きを与えようとしたのかもしれないが、あざとすぎるラストだ。

●緻密に練られたストーリーのようでありつつもアチコチにご都合主義の展開が見え隠れしている。ジャック・ニコルソン演じるマフィアの大ボスを捕まえる為にディカプリオを覆面捜査官として潜入させて犯罪の証拠を掴もうとするわけだが、大ボスがストーリー中でどんどん人を殺したり、麻薬取引をしたりと、これではわざわざ分かるように犯罪をしているんじゃないのと思ってしまう。しかもこのマフィアのボスは逃げ隠れもするわけでもなく、警察がいつも手の届くところをうろちょうろしている。これならいつでも捕まえられるじゃないと思ってしまった。それなのになんでわざわざ高い危険を犯してまで覆面捜査官を組織に送り込むのか? 後半になると別の覆面捜査官も組織に侵入していたということまで分かるが「だったらとっくに捕まえてるだろう!」と言いたくなる。実に抜けた演出であり、ストーリー設定である。こんなマフィアのボスなら手錠と拳銃を持って直接お家に行けば「あなた、沢山犯罪してますね」と直ぐに捕まえられるだろう。

●重厚複雑な設定を脚本の中に組み込んで観客を欺き驚かせようとしているようだが、これじゃあ全然駄目だ。

●主人公二人の精神的な相談を受け、終いには二人とネンゴロになってしまう精神科カウンセラーの女医だが、もうこのキャラ設定はあまりにご都合主義的。ただ単に野郎だらけの画面にバランスとるためにこの女性キャラが配されたとしか思えない。ネズミがだれか?というところでキーとなる場面には出ているのだが、「そこまで分かったらそういう行動はとらないだろう。なんでそこまで分かっておいて、ただそのままにしておくのんだ?」と言いたくなる動きだらけである。言って見れば映画の中の噛ませ犬という設定でしかない。話しの本筋にちょこちょこ絡んではいるものの、本質にはなにも絡んでいない、おちゃらけキャラになってる。ご都合主義の配役だ。

アカデミー賞ユダヤ人やアメリカの対外的PRや人種への政治的コントロールにも利用されているということは昨今おおっぴらに知れ渡っていることだが、それゆえに本来の作品の良さとは別次元でノミネートや受賞が行われることが多い。この映画がアカデミー賞作品賞を受賞というのは、長らく作品賞という栄誉(作られた偽善)を受けることのなかった老年監督マーティン・スコセッシに対する媚びへつらい、コンプリメント、お義理の授与であろう。

●流石の熟練監督という手腕、綿密な作りは見て取れるが、アカデミー賞作品賞というレベルの映画ではない。(そう言った疑問を持つ作品賞映画は過去にも多いが)お義理の作品賞でも歴史と記録には残ってしまうから質が悪い。

●マフィア、ギャング、鉄砲の撃ちあい、殺し合い・・・・そういうものが主となった作品で過去にアカデミー賞を受賞してきたものは沢山ある。しかしそれらの作品とディパーテッドの大きな違いは作品の品格であり、マインドと主張だ!

地獄の黙示録、スティング、明日に向かって撃て夜の大捜査線・・・・思いつくところを書いたが、こう言った映画には驚きと感動があった、そしてなんらかの思想もあり、観客を鼓舞し、インスパイアする監督や製作者たちのポリシーやマインドが詰め込まれていてそれが伝わってくるものであったのだ。

●それに比べてディパーテッドは、ただのストーリーであり、ただの演出であり、ただのエンターティメントである。この映画から感動や爽やかさ、観てこれは素晴らしかったと心を揺さぶる様な気持ちは少しも込み上げて来なかった。この映画には何かを観客に伝えようとするマインドや崇高な思想、監督の理念などはこれっぽっちの欠片ほども感じないのだ。単純明快なエンターテイメント作品はそれでいいのだが、この作品はパイレーツ・オブ・カリビアンや007シリーズのような単純明快なエンターテイメントを指向しているとも言えない。

●この作品は単なるギャング、マフィアのドンパチ、騙し合いに留まっている。そのもう一つ上に有る作品賞の品格に達していないのだ。だからこそまたしても行われたご都合主義アカデミー賞選考委員の偽善の作品賞授与だとしか思えないのである。

●昨年作品賞を受賞した「クラッシュ」はそこから打ち込まれる現代アメリカの病巣、問題点、そしてそれを認識しながらも希望を棄てないで生き続けていく人々を描いた素晴らしい感動作品であった。監督の思いや思想も静かに熱く伝わってきた。

●それに比べてディパーテッドは・・・・・・巧妙に作っただけの映画であり、見終わってもなにも受けない感じない感動しない映画であった。最後にほんの少しでも観客を爽やかにしてくれる演出が入っていればそれで良かったのかもしれないが・・・・何も無かった。ギャングの抗争と人の騙しあい、殺し合いをただ単に2時間以上見ても何も残らないのだ。 ゴッドファーザーのごとき文芸的な奥深さには足下にも及ばない。

●だだのマフィアの抗争、ドンパチ映画、それだけに終わらせたマーティン・スコセッシはもうポリシーのない技術だけの老いぼれ監督に成り下がったということか? 映画編集や構成の教科書を見るために映画を見ているのではないのだ。今回のアカデミー賞作品賞受賞はもう先のないトゲのなくなった老体監督への最後のプレゼントであろう。もうこれでお疲れ様ということであろう。

●ラストでマーク・ウォルバーグがマット・ディモンをやっつけなければどうしょうもない上に更に超が付く映画だった。爽やかになるわけではないが、後味の悪さは拭われた。最後のシーンだけがせめてもの救いである。