『テルマエ・ロマエ』

・ローマ人役の配役は見事。現存の日本人役者のなかからこのローマ顔を選ぶというのが凄い、お見事、喝采

阿部寛 - ルシウス(浴場設計技師)
市村正親- ハドリアヌス(第14代ローマ皇帝
北村一輝-ケイオニウス(次期皇帝候補)
宍戸開-アントニヌス(ハドリアヌスの側近)

・海外でも大受けしたと聞くがホントのところどういう反応だったのだろう。まさか日本人が、まさかアジアの東洋の人間がローマ人を演じ、それも見事に演じ、自分たちの誉であるローマの賢人たちを演じ、それを面白おかしくこんな映画にしてしまうなんて・・・相当に驚いただろうなぁ。信じられないという嬉しさだったんじゃないだろうか。こういう映画、こういう話を撮れる作れる日本人というのは、やはりアジアのなかでも特殊なんだろうな。いい意味で。そしてこういう映画が撮れるようになったということが、それこそ10年20年前とは明らかに日本という国やその国民の意識、感覚が良い方に変わったということなんだろう。

・いわゆる他国、多民族が他の国の人間を描くときはあまりいい描き方をされないというのが大体の傾向で、日本人を外人が描くとおかしなところを強調するような描き方ばかりで、まあ観ていてアホかというか頭に来る部分も多い。『ガンホー』とかもあったな。日本人が中国人を描くときも、まあ昔から大体形は決まっていてちょっと小馬鹿にしたような描き方をしているのが多い。アジア人の西高東低意識。世の中の西高東低的歴史感、民族感、国家感なんてものが今までの映画のなかにはなんだかんだ言ってきちっと染み込んでいたわけだし、アジア人自体も自虐的に自分たちを描いたりして、西洋はイイ、アジアはダメだ、なんて感覚があったし、それは舶来品嗜好なんてのにも出ていたし、今だって「これは、海外のどこそこのものなんですよぉ、オホホッホ」「これはブルガリの、ヴィトンの、うんぬんの・・オホホ」なんて物が海外製であれば日本より上なんて意識は十二分に残っているけど、この『テルマエ・ロマエ』はそういう意識なんて全然無くて、感じられなくて、本当にフラットで、エンターティメントの感覚で、変なひねくれた意識や感覚なんてどこにもなしで撮られた新しい感覚の映画だろう。年寄りの感覚や劣等感を持った世代の感覚が全然影響していない、実に自由でのびのびしていて、いい映画だと思うな。

・とても楽しめた。ま、前半の面白いところからすれば、後半はちょっとダレたけれど。

テルマエ ロマエ IN ROMA!! http://ameblo.jp/yanksroma/entry-11299586942.html