『311 映画監督62人が見つめた大震災』(3.11 ア・センス・オブ・ホーム・フィルム・プロジェクト)

NHK-BSで放送
○「映画人である我々に出来ることは映画を届けることだけ」
○「私たちができることは映画を作ること」
・さも同情しているような顔つきでこんなことを言っている監督(という連中)を見ていると虫酸が走るようだ。
「ふざけるな、おまえらは一体なんなんだ」と言いたくなる。
・映画人なんて訳の分からぬくだらぬ低俗な人種である前に、お前たちは人だろう。人なら映画なんかを作らなくてもやれることは何でも沢山、山のようにあるはずだ。それを「私たちに出来ることは映画だけです」とは。(怒)

・こんな偽善的な映画祭で被災地が救われるか? そんなことを思っているのか、考えているのか。 こんな上っ面だけの映像が被災者の支援になるか?こんな映画祭を催す位の時間、労力、金があったなら実際に被災地に行ってミネラルウォーターや米を配付したほうがよっぽど支援になるだろう、人を助けることになるだろう。

・こんな偽善の面を堂々と被った映画などで何が出来る。自分の偽善を偽善で覆い隠しているだけだ。
・こんな映画祭で、見るのも恥ずかしくなるようなギャグ映像を、ラップで叫んでいる映像を被災地で撮ったりしたって、そんなものは屁の役にも立たない、確実に。

・一つか二つの作品には、その監督の震災と被災地に対する悲しみや思いやりが滲んでいるものもあった。だがそれ以外のほとんどは、苦しんでいる人の前で宴会をしているような下劣なものに、なんの品性も深い考えも、心も感じないものばかりだ。

・最低だと思った。こんなことを奈良でやるくらいなら、もっとほかのことができるだろう。ふざけるな偽善者・・・まあそういう風にしか思えなかった。

・ここに出ている(一部を除く)自分たちを映画人と行っている監督ってなんて低俗でくだらないどうしょうもない、最低の人間たちなんだろう。そう思った。

・震災当時TVのCMにニューミュージックといわれる分野の有名女性歌手が出ていて「私たちが今出来ることは何かを考えています」なんていけしゃあしゃあと語っているのを見て腹立たしく思った。あのときと同じだ。「今出来ることなんてなんだってあるだろう。今やれることなんていくらでもあるだろう。TVに出て”考えてます”なんて言う暇があったら動けるだろう」そう憤り画面の歌手にこいつらの偽善の皮をはいでやりたいと思った気持ちが、今回この番組を見ていてむらむらとまた戻ってきた。

河瀬直美は妙な映画ばかりつくる自分中心でしかものを見ていない変人的監督だとは思っていたが、作り出す映画は嫌いじゃなかった。だが、この番組を見ていてカメラに向かって「私たちに出来ることは・・・、私にやれることは・・」などとのたまっている顔を見ていたら、徹底的に嫌いになった。なんだこの偽善者はと唾を吐きたくなった。もう当分河瀬直美の作品は観たくも無い。

・あなたたちに無くなったモノを繋いでいく使命などない。そんな使命を映画人なんかに誰も託していない。こんな映画で思いが繋がるか? 思いが受け渡されるか。家族を無くしたした人が癒されるか。慰められるか。全部ノーだ。

・どうしょうもない。どうしょうもない映画人、どうしょうもない人間がやるべき事を誤魔化し、災害支援や被災者復興という名目を利用して自分の利得を上げようとした愚行。

・こんなことは最低最悪。こんな映画を作っている暇があるなら被災地で掃除でもしていろ。”映画人”というのは本当に低俗な人間を表す言葉だ。それを自ら馬脚をあらわしているような最低の映画の集まりだ。

☆外山光男の『手』だけは人を思う心を感じた。

「3.11 ア・センス・オブ・ホーム・フィルム・プロジェクト」