『大統領暗殺』

●遂にようやくブッシュ政権の終わりが確定したこの時期に観ると言うのも一考。もうブッシュは引退なのだからと思えば、腹立たしさが抑えられるので落ち着いて観れるというものか。

●配給会社が邦題を「ブッシュ暗殺」としたかったが、映倫に拒否されたというのは、今回は権威団体である映倫に賛成。原題も「Death of a President ある大統領の死」だし、それを”ブッシュ”という特定の名前にしようとしたのはセンセーショナルなフックを作りたかった配給会社の浅知恵。内容はたしかに”ブッシュの暗殺”なのだが、セックスだ、暴力だっていう禁句的なものを表に出して注目を引こうというタイプの宣伝は毛嫌いする。邦題を「ブッシュ暗殺」としたかったというのも同類の浅はかさである。

●この映画自体もアメリカ大統領の暗殺というアンタッチャブルな内容を、ドキュメンタリータッチのフィクションとして描いているのだから、内容以前に奇抜な話題性先行で人の目を引こうという魂胆は明らかではあるが、よくもこんな強烈な腫れ物にでも触るかのような、ニトログリセリンを扱うかのような題材で映画を撮ったものだと、その点には感心するとともに、よくやったものだねとある程度の評価はする。

●映像の編集は非常に巧い。まるで本当のドキュメンタリーを観ているかのようだ。FBIや容疑者とされた男、その妻へのインタビュー、映像の全てがリアルに感じる。(アメリカ人やイギリス人が見たら、やはり嘘っぽく感じる部分が在る、分かるのだろうか?)

●だた、犯人を探し出す手順や、中東系の人物を犯人として捕まえるまでのくだり、政府内部での動きなどどうも緊張感、切迫感というものに欠ける。ブッシュが銃撃される辺りまでは、どうなるのかなという興味と面白さがあったのだが、それ以降はだらだらとして実に詰まらない。リアルに見えるインタビューや映像もどうも底が浅くググッっと突き刺さってくるものが無い。結果、1時間半の映像の内、後ろの1時間は実に退屈極まりなく、時間が経過するのが極めて遅く感じるほど面白くない映像であった。

●このブログでは「ドキュメンタリーはなぜか目が離せなくなる。ただ撮影しているだけなのに飽きず、面白く、ずっと観てしまう」というようなことを何度か書いているが、この映画は傍から見ると本当に実際の映像を撮影しているのでは?と思えるほどなのだが、これはドキュメンタリーなのではないかと思えるほどなのだが、話にまるで引き込まれない。詰まらない。それはいかに見栄えをドキュメンタリー・タッチにしても、人が作った脚本、ストーリー、セリフ、演出は見ているものに伝える力が圧倒的に脆弱なのだということの証明をしているかのようである。

●これはドキュメンタリーに極めて擬態しているが、ドキュメンタリーの持つ力は、やはり備えていないのだ、明らかなほどに。

●作品の質的なせいだろう、語られている言葉にはシビアで、痛烈で、問題をぐさりと突き刺すようなものも多い。だが、登場人物から語られる言葉に重さが乗っていない。発された言葉は映像の表面を漂い、さらさらと風に吹かれるように流れていってしまっている。

●ブッシュを批判する映画は沢山作られた。映画史上これだけ映画という方法で非難された大統領はかってないだろう。今後も出てくるかどうか? ブッシュ批判の映画は数え上げればキリがないほどだ。マイケル・ムーアのように顕著なものもあるが、映画の中のちょっとしたシーン、セリフでブッシュが改悪したアメリカという国家を非難したものは非常に多い。(「最狂絶叫計画」等でさえもだ)11月5日遂にアメリカはオバマを次期大統領に選んだ。2001年1月から来年2009年1月までの8年間ブッシュが歪めたアメリカという国、資本主義は修正されるのか? ブッシュ在任期間中の数々の黒い噂、いや当選前の不正選挙疑惑から始まる権力の座に着いた人間の不正、その不正の塗りつぶしはブッシュ退任後明らかにされるのだろうか? アメリカは歪み、自国の大儀を世界中に押し付け武力で正当化していった。資本主義は暴走しその強欲な欠点を明らかにした。多くの映画がブッシュを非難した、だがブッシュの再選は阻止できなかった。ブッシュを大統領の席から引きずり落とすことは出来ず、8年ものあいだ合衆国のトップに居座らせ続けてしまった。

アメリカの最大産業であり、最大輸出品である”映画”は無力だったのだろうか? 「アホでマヌケなアメリカ白人」「華氏911」などのマイケル・ムーアの一連のブッシュ批判、アメリカの体制風刺の作品、最近の「大いなる陰謀」「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」などブッシュとその政権下で行なわれた戦争行為に対する批判作品、「ノーカントリー」や「告発のとき」のような今のアメリカに対する痛撃、告発ともいえる作品。そしてこの「大統領暗殺」も含めて、多くのブッシュ批判の映画は、アメリカを何も変えられなかったのではないだろうか? 声に出すことは大事だ、だが最大権力の座に着いた者には敵わなかったといえるのかもしれない。結局ブッシュは8年間、椅子に座り続けたのだから。

●今後はこういったブッシュ批判の映画は影をひそめて行くのだろうか? アメリカという国が、その最大産業である映画がまだアメリカという国の真をもっているのならば、ブッシュの退陣でいままでのようなブッシュ批判の作品が影を潜めるのではなく、これからこそ、本当にその不正や悪を暴きだしていくべきだろうと考えるのだ。

アメリカの歴史上、最悪の大統領と言われたニクソンは一介の新聞記者の力で任期中の退任を余儀なくされた、その後もレーガン、親ブッシュと「最悪の大統領」とされる人物は出てきた。そして2001年に当選した子ブッシュは未だかってないほどの非難を浴びつつも、8年間大統領職を続けた。子ブッシュこそがアメリカの歴史上最悪最低の大統領と呼ばれることは間違いないであろう。これ以上の酷い大統領が誕生しないことを望むばかりである。

●「大統領暗殺」というこの作品は、思い切った奇抜なアイディアは認められるが、映画としては全く面白くも無く、退屈の限りだ。だが、こういう作品が今後も出てくることを願う。映画という大衆に発信することのできる表現手段で国家の不正、権力のトップの悪を暴くことは必要なことなのだ。ブッシュ退陣後こそ、その政治的圧力が弱体化したときこそ、映画というメディアは今度こそ本当にアメリカという国の悪を暴きだしていくべきだと思う。

●この映画のなかで一つ頭に残った言葉。
「堕落した大義の為に死ぬのは無駄だ、大義だと信じ、教えてきたものは悪に変わったのだ」


◎たいぎ【大義】1 人として守るべき道義。国家・君主への忠義、親への孝行など。 2 重要な意義。大切な事柄。

アメリカの大儀「自由の国」という大儀は堕落し、暴走した資本主義の下で金儲け最上主義、利益最上主義の守銭奴の群れによって「おぞましい悪」に変えられた・・・金のために堕落したアメリカの大儀の為に戦場へ向かい死ぬことは無駄だ・・・ということであろう。