『火垂るの墓』(1988)

●アニメーションは子供が観るものだという認識が一般に定着しているし、アニメーションというのはその殆どが子供向けに作られてきた。製作者も子供向けの視点でストーリーや絵を創り上げていく。ジブリ作品は大人の鑑賞も出来るアニメだが、今敏作品のように全く子供向けではない作品作りをしているアニメーションもある。やはりアニメーション作品の主となる視点は子供の方に向いている。

●しかし、この『火垂るの墓』はジブリ作品とはいえ、完全に子供向けという視点はない。かといって大人向けという視点で作られているわけでもない。

高畑勲野坂昭如の原作小説を、その中で描かれた戦争の酷さを、その辛さを、当時の状況を、自分が経験した戦争と重ねあわせて戦争の愚かさ、悲しさとして表現したかった。純粋にそういうことなのだろう。その手段として使ったのが自分の技であるアニメーションであったということだ。監督の高畑勲にとってこの作品はアニメーションや実写という映像の方式ではなく、純然たる自分の"思い" "映像そのもの"であったのではないだろうか。

終戦記念日が近づく度に何度もTV放映され、教育の現場でも戦争というものを教える教材として子供たちにこの映画を鑑賞させていると聞く。しかし、この内容、この表現、この厳しさを幼い子供たちが理解できるだろうか? アニメーションという表現形態をとってはいるが、この作品は100%大人が大人に向けて作った内容であり、この内容を理解したり、感動したりということが出来る主学生や中学生は非常に少ないのではないか? 大人が、当時の戦争体験を思い出し、それを子供たちに伝えたいとしてこの映画を選択することは間違っている。この映画を子供たちに見せ、この映画で子供たちを教育しようとしている大人は自分たちの経験や感覚や意識を子供に押し付けようとしているのではないか? 

このアニメーション映画は、完全に大人向けの作品なのだ。それがアニメーションであるからという理由で子供に向けてさも教育の手段のようにして「見なさい」と上映、放映されている。それがこの作品の、そして日本のアニメーションを取り巻く状況のマイナス面ではなかろうか? 作品の内容、表現を、自らの目と感性で判断することなく、アニメーションだから子供向けという既成観念に乗せられたまま作品が語られ、上映されている。延々とずっと。

●名作と呼ぶことになんの躊躇いもない映像作品だ。だがそれゆえに、この作品を取り巻いている状況には少しおかしいと感じる部分がある。

●名作と呼ばれるアニメーショに比較して実写版の『火垂るの墓』は余り良い評を聞かない。子供はアニメーションが好きだ。柔らかく輪郭のはっきりとした絵。優しいキャラクター、優しい絵のトーン。二作品を並べれば子供はアニメを選ぶだろう。だが、もし本当に子供たちに戦争の怖さ、恐ろしさを教えたい、伝えたいというのならばアニメと実写のどちらがいいか? 優しいトーンの絵の中に描かれた戦争の恐ろしさを子供達は汲み取ることができるだろうか? 本当に戦争の恐ろしさを子供に教えたいというのならば実写版の方がいいのではないか? 大人の感性で作られた大人向けの内容である映画作品を、それがアニメーションであるから、アニメーションだから子供に向くからと子供に見せるのは本質とそれを伝える手段がちぐはぐになってはいまいか? 本当に子供に戦争の恐ろしさを教えるのならば実写を見せるべきなのではないか? 二作品を続けて観て、そんなことを思った。

●このアニメーション『火垂るの墓』はアニメでありながら完全な大人向けの作品となっており、だがそれを観る側は大人向けの作品でありながらアニメだから子供向けと考えている。作った監督の見ている方向と、観客が考えている対象の方向が真逆に伸びている。