『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』(1992)

●1992年6月 噂には聞いていた「グレート・ブルー」のロングバージョンが、未公開映像を47分も加えた『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』として遂に日本で公開されると聞き、色めきたった。あの1988年8月の「グレート・ブルー」を観たときの感動を大きなスクリーンで味わえる。これは絶対に観なければと思った。夕方のシネセゾン渋谷は4年前の日劇プラザとは大違いで、超満員だった。通路に座って観る人、立ち見まで出るほどの凄い人気だった。
注)グランブルー・トリビアには「フランスで最初に公開された132分のバージョンに35分のフッテージを復元させて作られた167分のバージョン」だとされている。

●4年間でこの映画がこんなに人気の作品になるなんて思ってもみなかったし、本当に驚いたものだった。

●しかし、2時間47分にもなる『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』は甚だしく失望する作品であった。

●新しく加えられたエピソードやシーンを観ることは楽しい。だがまるでファイナルカット前の粗編集段階のフィルムを見せられたがのごとく、付け加えられたシーンは余剰と思えるものが多い。ストーリーの流れにも馴染んでいない。なんでこんなものまで付け加えて長くしなければならないのか?と非常に不満だった。

ジョアンナとジャックのラブシーンがかなり増えていたが、これが却って「グレート・ブルー」にあったジャックの純粋無垢でストイックなイメージを打ち壊す方向に作用していた。ジャックの伯父さんのシーンなど面白いものもあるにはあるのだが、47分のシーン追加が「グレート・ブルー」の作品価値を更に高めるものになっているとは到底思えない。

コンペティションに参加する日本人チームを小馬鹿にしたようなシーンははっきり行って非常に不愉快だった。リュック・ベッソンは日本贔屓だと聞いていが、なんだ結局日本人をこんな風に見ているのかと腹が立った。こんなシーンを追加する意味などまるでない。追加された48分にはそれこそ削除すべき不要なシーンだらけである。

●非常に期待して観に行った『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』だけに、失望感は相当だった。リュック・ベッソンってくだらない監督だと思った。(その後もロクな作品を撮っていないからこれは正しかったのかもしれないが)

●家に帰って「グレート・ブルー」のVHSビデオを見返し「ああ、やっぱりこっちの方が断然イイ。無駄なシーンなんかないし、2時間の映画としてカッチリとしっかりと破綻なくまとまっている。完成度は「グレート・ブルー」の方が断然に高いと再認識。

●こんな雑にシーンを放り込まれたような映画がどうして“完全版”なのかと憤った。これではファイナルカット前の粗編集版の上映じゃないかと、腹が立った。

●「グレート・ブルー」無き今、日本ではこの167分の『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』が数ある「グラン・ブルー」のバージョンの中の”完全版”と一般認識されている。こんな不出来の作品が本当に"完全版”と言えるのか??本当にこれが完全版だといえるのか?

●1992年日本公開の『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』の原題は 『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』である。原題にはどこにも“完全”を意味する言葉など無い。原題を直訳すれば『グラン・ブルー/ロングバージョン』又は『グラン・ブルー/長尺版』とでもするのが当然である。しかし20世紀フォックスから配給権を引き継いだ日本ヘラルドは『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』を『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』と命名して公開した。これが諸悪の根源なのだ。

●世界中で様々なバージョンが公開されている『Le Grand Bleu』だが、日本以外のどこにも“完全版”と称するものはない。しかし、日本でソフト化されたVHS、LD、DVDは全て"完全版“と表記されている。日本だけがフランスで公開されたロングバージョンを“完全版”だとしているのである。これは全くもって奇異であり、おかしなことだ。

●日本の「グラン・ブルー」ファンはフランスのロングバージョン版を、これが“完全版”だとして劇場で見せられ、これが"完全版“なんだ思い込まされてレンタルをしたり、DVDを買ったりしている。これはグラン・ブルーのファン全てを騙していることであるし、それこそ監督であるリュック・ベッソンやフランス人などがこの話を聞いたら「なんで日本ではロングバージョンを勝手に完全版なんて言っているのか? 完全版なんて作った覚えがないんだけど、なに考えてルの?」と笑われるのであろう。

●監督であるリュック・ベッソンが最も自分の考えに忠実な編集であり決定版だとしているのは作品誕生10周年を記念して1988年にフランスでリバイバル公開された『10ans Le Grand Bleu/VERSION ORIGINALE』オリジナル版(132分)である。(フランスで最初に公開されたバージョンと同一版)(1989年に日本ではシネスイッチ銀座でオリジナル版として公開)

●にもかかわらず、日本では、やたら無駄なシーンが付け加えられ一本の作品としての完成度も低い『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』が"完全版“と称され、あたかもこれがこの映画の最終版であるような扱いとなっている。可笑しなことである。愚かなことである。

●たぶん『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』の日本公開時に宣伝担当者または代理店が「“グラン・ブルー/ロングバージョン”ではインパクトが足りないし“長尺版”ではかっこ悪い。そうだ“完全版”として公開しよう」と企んだのだろう。日本人は典型的に”完全版”だとか"限定版”だとか言う言葉に反応しやすいし、そういった名称のものを崇める傾向がある。そしてそしてそれが既成事実となり、日本では完全版ではない『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』が“完全版”と呼ばれるようになってしまったのだ。

●映画を、パッケージソフトを"売る"ためには"完全版"としたほうが名称として遥かにいい。“完全版”という言葉はその手の言葉に意図も簡単に食いつく人にたいして非常に有効なフックとなるからだ。その販売戦略は正しい、がしかし、製作者が完全版などと考えていないものを“完全版”だと謳うことは詐称であり、詐欺でもある。 

●諸悪の根源は 『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』を邦題で"完全版"とした事にある。しかし問題は日本の映画ファンの側にもある。映画会社が"完全版“と名付けたからこれが完全版なのだと盲目的に信じ、自らの目で、作品を判断しようとしていないのだから。この作品が完成版と言われるに値するものかどうかを考えることもせず、言われたままにこれが完成版なんだと信じてきたわけだから。以後20年近くの間、ずさんな付け足し編集の『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』に疑問を持つことも無く、「これが完全版なんだ、やはり完全版はイイ」と盲信して来たのだから。

●教条的で、自分の物差しで、自分の目で判断をしようとしない人々は“長尺版”を“完全版”とした商業的マインドコントロールを安直に盲目的に受け容れ、粗編集の"不完全版"とも言える『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』を"完全版"と信じ、疑いもせず崇め奉ってきたのだ。そして今でも、たぶんこれからも。

●不完全でただ冗長なばかりの『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』を日本では完全版だと信じ、「グラン・ブルー」の決定版だと崇め奉っていることに肌寒い、空恐ろしいものを感じる。企業が投下した情報に完全にコントロールされてしまっているのだから。

●人それぞれに受け取り方、感じ方は異なって当然だ、だが、1992年6月の夜、シネセゾン渋谷で初めて見た『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』に「この作品のどこが完全版といえるんだ!」と憤った自分の気持ちは間違っていなかったのだ。『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』は“完全版”などと言えるものではないのだから。

●『Le Grand Bleu/VERSION LONGUE』、邦題『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』は完全なる不完全版なのだ。

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