『ICHI』

綾瀬はるかの今回のICHI役は今までの彼女の芸暦の中で一番いい演技、いい役だろう。深みだとか味わいとかそういうもっと奥のところまでは達していないが、なかなかいい演技をしている。これまでとは全く別、異質のキャラクターだから却って良かったのかもしれない。立ち回りもなかなか良し。この映画の綾瀬はるかは充分に評価していい仕事をしている。彼女に合わせたセリフ、演出も上手く行っている。綾瀬はるかに限ってだけ言えば・・・。

●しかしだ、変てこな部分もあちこちに在る。冒頭、佐田真由美(エキゾチックな美人である)演じる美津が暗闇の中からヌーっとその美人顔を現すシーンはなかなか巧いなと思ったのだが、その後のセリフで「男と通じた瞽女(ごぜ:目の見えない女芸人)は仲間外れにされるんだよ」と言ったかと思うと次のシーンでは男を誘い入れて自分の体を売る。まあこのシーンは流石美人女優佐田真由美だからちょっとだけだが結構官能的。その後、ヤルだけやっておいて金を払わず出て行く汚れ侍に「ちゃんと金を払いな、あたしがメクラだからって馬鹿にするんじゃないよ」と叫ぶ。おいおい、美津さんよ、普通に考えたらその展開って当たり前に予想つくだろうよ。よっぽどウブウブのなんにも世間をしらない若い女ならともかく、辛い世渡りをしてきたような瞽女がそんなこと予想出来ないってか? もう最初のこのシーンから全然キャラクターの背景だとか人生だとかを煮詰めていない場当たり的な脚本だなと本を書いている人間の浅はかさ、物語と登場人物の練りこみの無さがあからさまに見えてしまう。

●切り倒した相手の血糊が顔にパパッと吹きかかる絵は、もう手垢まみれ。いつまでもこんな絵撮ってるんじゃどうしょうもない。

●小太郎が自分の家にICHIを連れて行ったとき、小太郎の父親である喜八は「こんな俺よりこ汚ねぇ格好の女連れてきてどうするんだぁ」と言うが、そこに立つICHIは・・・・相当に綺麗なんだよねぇ。綾瀬はるかの顔自体も綺麗だし、着物も裾はボロボロと破いてあるけれど全然綺麗なまま。こういったところが役者や衣装の細部の詰めが全然なされていない証拠となり、絵、作品に嘘っぽい軽薄さをもたらしている。

●自分の振った刀が折れて母親を失明させてしまったことがトラウマとなり、その後刀を抜くことが出来なくなったという十馬(大沢たかお)だが、そういうトラウマを抱えてしまい、いざ争いの場になっても刀の柄に手を回すもののぶるぶると震えて鞘から抜けないというのなら心のトラウマの深さが分かる、伝わる。十馬が最初に出てきて、汚れ侍どもからICHIと美津を助けようとするシーンではそうゆう仕草だった。しかし、その後、万鬼党との争いの場になると、これが柄を持って鞘から刀を抜こう抜こうとしても、うーん、あれ、どうしたんだ、この刀抜け無いぞ、くそう、抜けろ、抜けろ!という演技になっている。これではまるで鞘の中に瞬間接着剤・・・いや、時代劇だからニカワとでもしておくか・・・を塗られて、刀と鞘がくっついてしまい、抜けなくなって苦労しているアホな漫才シーンではないか。そのシーンはその後も続き、危なくなって刀を抜こうとすると「うー抜けない抜けない、くっついてるよぉ・・・なんでだよぉ・・」とでも言っているかのような仕草を繰り返す。このシーンを見てまた白けてしまった。この辺で監督である曽利文彦は人間の演出の仕方だとか、心のトラウマがどう行動に繋がるかとか、このシーンを観客として普通に見てたらどう思うのか、そういうことをまるでイメージ出来ていない、自分が観客としてこれを観たらどう思うのかとか全く考えが及んでいないというのが表に出る。
そういった監督の演出や脚本家のあさはかさがポツポツと目に付く。じっくりスタッフの中で話とキャラクターとセリフを煮詰めていないのだなということがありありと分かってしまう。

大沢たかおにしても、またしてもこんなすっとぼけたダメ男やらされてるんだなぁと可哀想になる。

●おバカな映画として観るのならそれでもいいのだが、話は真面目なので、却ってそういう愚かな部分にため息が出てしまう。

●なんだか結局この映画の根底にあるのは、美人の瞽女は、なんだかんだ言って男の欲望の対象としえ都合のいいようにされ、そこから立ち直ろうとしても結局どこへ行っても男の目は、美人だからヤリタイ、目が見えないんだからやっちまえってという、男の性欲とそれに犠牲にされる女という概念が根元にあって話しが進んでいくようだ・・・刀を持ち歩いていたような時代の男と女の話しなんだからそういうことは承知の上なのだが、どうも結局は性的な部分が土台で話しがすすんでいくというのは生臭く気持ちの良いものではない。めくらの女性を主人公にした時点でそういった下半身の話が切り離せなくなってしまったのだろうが、この映画女性が見て気持ちのいいでは作品ではあるまい。

綾瀬はるかのICHIの演技はなかなかでそれだけでも十分見応えはあると言っていい。だが作品としてはあちこち抜けがありすぎ。

勝新太郎座頭市は目が見えなくてずっと瞼を閉じていた。それを時々瞼の内側で目玉を動かすようにして相手を確かめる仕草が不気味であった。今回の綾瀬はるかのICHIは終始瞼を開けたままである。瞬きもせず演技をしなければならない綾瀬はるかは相当に大変だったであろうと思うが、瞬きもせず瞼を開いたままだったら目玉が乾くし、ごみが入るし、本当の人間だったらやってられないだろう。瞼を開いたままで虚を見つめるような瞳の綾瀬はるかは美しいし魅力的ではあるが、生きている人間としての真実味からは離れる。

●そこそこに面白く鑑賞は出来るが、かっての座頭市とはまるで別物。あくまでこれは盲目の刀の達人というキャラクターだけを借りた『ICHI』というまるで別の作品。監督の演出も、脚本も練りこみが足りない、熟考が無さ過ぎる。

●かっての座頭市の新解釈と想像して割と年配の観客層も呼び込んでいるようだが、観た人はかなりがっかりしているだろう。これは勝新太郎座頭市とは全く別の映画として考えないと失望するだけである。