『クロエ』(2001)

監督:利重剛

不思議な感じの映画。
こういう手合いの映画はだらだらカメラを回してだらだら撮って繋げてハイ映画です!といったようなとんでもどうしょうもないものが多いのだが、これはちゃんとした意志が映像から伝わってくる。端的に言えば、上手いということだ、そして巧いということであり、映像と物語りに観る側の感性を撫でるような撮る側の感性、その品の良さ、感覚の素敵さがあるということ。

つまり、映画の映像に作る側、撮る側の感性と感覚の良さ、情緒感がしっかりと滲んでいてそれを観る側が目、耳、肌で感じられるものになっているということだ。映像に感情や体温やその場の空気感までもが取り込まれているということ。ただカメラを回してその場面を無機質に撮ったようなどうしょうもない監督の作品とは大きく異なり、映像に映像だけではないもっと沢山の人間が感じとれるものが取り込まれているということだ。

ともさかりえが主演の映画というのは初めて観た。拙い演技ではあるが、細くて脆そうで弱々しいともさかりえは、なんだか「異人たちとの夏」に出てくる幽霊みたいな感じでもある。



光の使い方も上手い。何気ない言葉も良い。

しかし、途中まではなんだかイイ感じだったのだけど、余計な話をごちゃごちゃと絡め出したら映画の背骨がブレ始めた。途中からなんだか訳の分からぬ要らぬような話を絡め出したら、最初に感じた不思議な魅力が薄れていった。

監督としてはいろいろ思いを詰め込みたいのだろうが、塚本絡みの場面などは明らかに蛇足。クロエと高太朗の純粋、純朴で綺麗なラブストーリーに焦点を合わせて余計な話をいれないほうがスッキリしたし、純粋に綺麗で美しい映画になっていた。

焦点を絞り切って、余計なものを入れないで純粋にクロエと高太朗のラブストーリーを磨き上げていったら、イイ映画になっていたんじゃないかな? なにも2時間オーバーの作品なんかにしないで、1時間半で二人の愛を猥雑物を取り払って細くてもしっかりと描いていたら、名作になっていたかも? ともさかえりの存在感はそれに値するものであった。しかし・・・そうはならなかったということだ。
だから、いままでこんな作品があると言うことも知らなかったし、流れてもこなかった。欲をかいて失敗してしまう典型。

クロエ デューク・エリントンの曲か・・・。

最初に出てくる岸田今日子の砂のお話・・・って、『砂の器』へのオマージュだろうけれど・・・不思議、不気味な感じはあるけれど、全体の中ではどうなのかな? ここでも綺麗に逆光が使われている。

午後の日差しが逆光で差し込むマンションの部屋に寝転がって、ともさかりえが、やっぱりいいねぇ、やっぱり死にたくないね・・・ていうシーンが素敵だった。

ともさかえりはとにかく印象的で、演技が上手いわけではないが、不思議で不気味でふわふわして不安定なもろそうな部分が魅力的であった。